選んだ未来に、君がいるなら(6)
「……兄貴、そろそろいい加減、追いかけたら?」
その日、深月は来人の住むマンションにもう使わなくなった残りの動物的反応抑制薬を回収しに来ていた。
来人の言葉は、ふわりとした笑顔とは裏腹に、核心を突いていた。
出されたコーヒーを飲んでいた深月は驚いたように顔を上げたが、すぐに目を逸らし、気まずそうに額に手をあてた。
「なんの話だよ、俺は別に……」
「また誤魔化すのかよ。大知さんのこと、引き止めたいくせに、ずっと黙って見送ったままじゃん」
来人は立ち上がり、白猫を抱き上げながら、深月に近づいた。
「一ヶ月だよ、兄貴。もう一ヶ月も、あの人のこと避けてた。俺が猫化解除終わった今まで、何も言わずに過ごしてた」
「……別に、避けてたつもりはない」
「うそ。俺にはわかるよ。兄貴ってそういうとこ、いつも逃げる」
来人はまっすぐに兄を見つめた。どこか幼さの残るその瞳に、今は強い意志と、優しさがあった。
「ちゃんと伝えて。兄貴は大知さんのこと、あの人も兄貴のこと、ずっと……」
その声がふと震える。
「ずっと一緒にいたかったって、俺、知ってるから」
深月は息を詰めた。胸の奥に、あの日突き放した白沢の言葉と表情が、今も焼きついている。
――「俺は、ずっとここで一緒にいたいだけや。……でも、あんたがそれ望まんのやったら、無理におらへんよ」
震える声でそう言った白沢を、自分は無理やりラボから追い出した。自分の不安を押しつけて、彼の願いを否定した。
(……なんて、ことを……)
ようやく気づいたその痛みに、深月は目を伏せた。
「行って。大知さんのとこに」
来人が最後に言った言葉が、背中を押した。
深月は静かに頷くと、コーヒーカップを置き、立ち上がってジャケットを羽織った。
「……わかった。行ってくる」
白猫がにゃあと一声鳴き、来人の胸で小さく跳ねた。
その音が、少しだけ春の風のように聞こえた。
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深月が白沢のマンションへ到着したのは、夜も更けた時間だった。
インターホンの前でしばらく逡巡した後、意を決してボタンを押す。
数秒の沈黙ののち、画面に映ったのは、変わらぬ臙脂色の髪と柔らかな瞳――そして、どこか驚いたような白沢の顔だった。
「……ミツ?」
「……久しぶり。少し、話がしたい」
白沢は無言のままドアを開けた。その視線の奥に、怒りも諦めも、まだ少し残っているのがわかる。
でも、それでも迎え入れてくれたその事実に、深月の胸は強く鳴った。
リビングのソファに座り、二人の間に少しの沈黙が落ちる。
けれど白沢の心の中には、ずっと残っていた言葉がある。
あの日、星を見上げながら深月が言った「過去を変えたら、お前に会えなくなる。だから、今を選ぶ」という言葉。
あれはきっと、自分に向けられた本音だった。信じたかった。信じて、待つしかなかった。
タイムマシンを諦めるほどの想いが、あの人にあったのだと。
先に口を開いたのは深月だった。
「……あのとき、無理やり返して、ごめん。俺が怖がってただけだった。お前と一緒にいることが、お前の将来の邪魔になるって、勝手に思い込んでた」
「……そないなこと、おれ一言でも言うたか?」
白沢の声は、低く、怒りと寂しさの混ざったような音色だった。
「言ってない。でも……俺が、自分で決めてしまってた。勝手に」
「ミツがどう思おうと、おれがあんたと一緒にいたかった。それがすべてや。将来がどうとか、そんなもん関係あらへん」
白沢がそう言った瞬間、溜めていた感情が堰を切ったように、深月の喉にこみあげた。
「……俺も、お前と一緒にいたい。ずっと」
白沢は一瞬、目を見開いたが、すぐにゆっくり笑った。
「やっと素直になったなぁ、天才さん」
その声に、深月は顔を覆ったまま、ふっと笑う。
「ああ……遅くなって、ごめん」
「まあ、今回は許したる。そやけど――」
白沢はそっと深月の隣に座ると、その肩にもたれかかった。
「次に置いてかれたら、許さへんからな」
「……ああ。絶対、置いてかない」
深月はそっと、白沢の指を握った。
選んだ未来に、彼がいる。
それだけで、すべてが強く、やさしくなれる。




