選んだ未来に、君がいるなら(5)
「……よし、準備は整った」
深月が端末の操作を終えると、透明なチャンバーの中に静かに座る来人が、小さく頷いた。
その姿は、猫耳も尻尾も消えかけており、ここしばらくの“猫化状態”がいよいよ終わりを迎えようとしていることを物語っていた。
「いよいよ、だな……」
秦がそっと来人の肩に触れる。来人はにこっと笑って、兄に視線を移す。
「兄貴、ありがと。いろいろ……ほんとにさ」
深月は一瞬、呼吸を忘れたようにまばたきをした。
「……ああ、無事に終わらせる。絶対に」
そして静かに、解除ボタンを押した。
光が一瞬、チャンバー全体を包んだ。温かな光。けれど、何かが剥がれ落ちるような、少しだけ切ない光。
「う……っ……」
来人がうずくまった。その身体の影から、小さな白い影がスッと飛び出した。
「ニャァ……」
それは、猫だった。
まるで雪のように白く、小さく、やわらかい毛並みの、猫。
それは、ずっと来人の中にいた“もう一人の来人”――記憶や感情を共有し、形を成していた存在。
猫はしばらく不安そうに辺りを見回し、それからそっと来人の元に歩み寄って、ぴたりと寄り添った。
「……これが、俺の“猫”か……」
来人が静かに言った。
秦は、彼の背にそっと手を当てた。温もりが、確かにそこにあった。
来人の腕の中にすっぽりとおさまった白猫は、じっと彼の顔を見上げていた。まるで、心の奥底を覗くように。来人はそんな猫をそっと撫で、微笑んだ。
「……なんか、不思議な感じだな。自分の一部が、こうして隣にいるなんて」
「そうだな。でも……すごく、愛しいよ」
秦が隣でそう言って、白猫の背中に指を伸ばす。ふわふわと柔らかい毛が指先をくすぐり、猫は小さく「にゃぁ」と鳴いた。
来人は、ふっと笑う。
「……この子、俺の中にいたときより、ずっと自由そうにしてる。いい顔してる」
「そりゃそうだよ。これからは、好きなときにゴロゴロして、好きな人に甘えて生きていけばいいんだから」
「……なんか、それ……俺もそんなふうに生きたいな」
「もうそうしてるじゃん。俺の前では、ずっと甘えっぱなしだし」
「……うるさい」
そう言いながらも、来人はまったく怒った顔をしていなかった。むしろ、照れくさそうに笑っている。白猫はふたりのやり取りに満足そうに目を細め、その場にとろんと寝そべった。
しばらくの静寂が流れたあと、秦がぽつりと言った。
「……名前、決めなきゃね」
「え?」
「この子の。来人の一部だった猫だけど、これからは、ちゃんと“家族”になるわけだし」
「……そっか。名前か……」
来人は抱き上げた白猫をじっと見つめる。真っ白な毛並み、薄いピンクの鼻、ちょっと大きな耳。くるくる変わる目の色は、どこか昔の自分を映しているようだった。
「……“ユキ”とか、どうかな。雪みたいに白いし、柔らかい」
秦は微笑んで頷いた。
「いい名前だね。“ユキ”」
来人が「ユキ」と呼ぶと、猫はすぐに反応して小さく尻尾を揺らした。
「……この子、俺たちで飼おう」
来人の声は静かだけど、しっかりとした決意に満ちていた。
秦はその言葉に深く頷いた。
「もちろん。そのつもりだったよ。来人の“心”が形になった存在なら、俺にとっても、すごく大切なものだから」
来人の手が、秦の手に重なった。
白猫――ユキが、ふたりの足元で丸くなる。
その温もりは、確かに生きていた。
そしてふたりの間にも、また新しい未来がひとつ、息をし始めていた。




