ふたりだけの秘密(5)
ある日の昼下がり。
俺はいつものように、秦より少し遅れて出勤し、パソコンに向かってた。――けど。
「……ん、んん……」
首筋が妙に熱くなって、耳の奥がうずくような感覚。
(……なんだ、これ?)
胸の奥で、嫌な予感が鳴った。
さっき、薬は飲んだ。間違いなく飲んだはずなのに、なんだか体が熱い。
耳のあたりに意識を向けた瞬間――ぴく、と何かが動く感覚。
(……やべ、耳、出てんじゃねぇか!?)
血の気が引く。
焦りすぎて、パソコンの画面がまともに見えない。周りの同僚たちは、今んとこ気づいてないけど……時間の問題だ。
どうする。どうすりゃいい……!
パニック寸前の俺の前に、すっとファイルが差し出された。
「冬崎、これ、さっき頼まれてた分」
秦だ。
低い声で、俺をじっと見ながら、そっとファイルを渡してきた。
同時に、自然な動きで、俺の前髪をいじるフリをして耳を隠す。
「――トイレ、行け」
小声でそう囁かれて、俺は必死で頷いた。
顔を伏せたまま、席を立つ。できるだけ目立たないように、早く、静かに。
***
トイレの個室に飛び込んで、慌てて鏡を見る。
案の定、白い猫耳がぴょこんと頭から飛び出してた。
「……マジかよ……」
声にならない悲鳴を飲み込んで、耳を押さえながら必死で耐える。
そのとき、コンコン、と控えめなノック。
「来人、いるか」
秦の声だ。
「……いる」
「これ、予備の薬」
ドアの隙間から、小さな小瓶が滑り込んできた。
俺はそれを受け取って、震える手で一気に流し込む。
(……間に合え、間に合えっ)
祈るような気持ちで喉を鳴らした。
数分後。
耳のあたりの熱がすっと引き、猫耳も、元通りに消えた。
「……っ、ふぅ……」
命拾いした気分で個室を出ると――壁にもたれた秦が、黙ってこっちを見てた。
「よかったな」
「……あぁ」
ほっとした瞬間、ぐわっと涙が滲んだ。
バレるかもしれない怖さ、ひとりじゃなかった安心。全部、込み上げた。
気づいたら、秦の胸に飛び込んでた。
「……ありがとな」
「ったく、泣くなよ」
秦は苦笑しながら、優しく俺の背中を撫でてくれる。
会社のトイレで交わした、ふたりだけの小さな秘密。
それが、どれだけ救いだったか、言葉にならなかった。
***
その夜。
部屋に戻るなり、俺はソファにダイブした。
「……もう、むり……」
「よく頑張ったな」
秦がそっと、俺の髪を撫でる。
その瞬間――
「ん、んん……」
俺の喉から、自然に小さな音が漏れた。
ぐるぐる、ぐるぐる。猫が甘えるときの、あの音。
「……お前、素直すぎ」
秦が笑いをこらえるように目を細める。
「だ、だって……秦が助けてくれたから……」
顔を真っ赤にして、思わず秦にしがみついた。
そんな俺を、秦はまるごと抱きしめてくれた。
「これからも、俺が守る」
低く、静かだけど、嘘ひとつない声。
心にずしりと響く。
俺は秦の胸の中で、そっと目を閉じた。
ここだけが、俺の居場所だって思った。
ぐるぐる、ぐるぐる。
甘い音が、夜の静けさに溶けていった。




