君といる“今”を選ぶ(3)
静かな夜。
エアコンの風が涼しく部屋を撫で、ベランダのカーテンがふわりと揺れた。
リビングのソファには、来人と秦が肩を並べて座っていた。
テレビはついているけれど、もう音も映像も意識には入っていない。
来人は膝を抱えて、どこかぼんやりと月を見上げていた。
「なあ、涼一」
ぽつりと、来人が口を開く。
「俺さ、小学生の頃……タイムマシンって、本当にあるんじゃないかって思ってた」
「急にどうした?」と秦が笑いながら横を見ると、来人は珍しく、目元に影を落としていた。
「……うちの両親、事故でいなくなったの、中学の時だったんだ。」
「うん。深月が一人で葬式の手配してたって話、聞いた」
「そう。……兄貴、あの時、すげえ冷静だったんだよ。葬式の時も泣いてなかった。むしろ、俺のこと気遣ってばっかでさ。……でも、本当は違ったんだって、後から知った」
秦は黙って、来人の話を聞いている。
来人は足を崩し、秦の隣に体を預けながら、少し目を細めた。
「大学入ってから……たぶん、大知さんと出会ったくらいの時だったかな。兄貴、研究室で酔ったみたいにしゃべっててさ。『もしあの飛行機に乗っていなかったら、今も親父たちは生きてた』って。あの人、ずっと……両親を救うために、タイムマシンを作ろうとしてたんだ」
「……」
「俺、それ聞いた時……正直、めちゃくちゃ嬉しかった。あの兄貴が、未来じゃなくて“過去”を変えたいって本気で思ってることが、なんか人間らしくて」
「来人……」
「でもさ」
来人はそこで、少しだけ笑った。
「最近、気づいた。兄貴、もうそれ……やめたんだ、って。大知さんのこと、大事に思ってるから」
来人はソファで秦にもたれかかるように座りながら語りつづける。
「……荷物取りに行った時、研究室で古いノートを何冊かまとめて捨ててたの見たんだよ。小難しい数式びっしりのやつ。……その表紙に、“T-M PROJECT”って書いてあった」
「ティー・エム……?」
「タイムマシンの略。昔、兄貴がそう呼んでたんだ。家に遺されてた父さんのメモを元にして、ずっと研究してた。誰にも言わずに。俺にも、本気で作ろうとしてたなんて、ずっと言わなかった」
来人は少し遠い目をして、言葉を継ぐ。
「でも、そのノート……燃えるゴミにぽんって捨てられてた。ふつうさ、あの人が書いた研究ノートなんて、絶対処分しないんだよ。自分で書いたメモとか、10年前のプリントとかも未だに残してるくらい、執着してるくせに」
「……諦めたんだな」
「たぶんね。でも、それってきっと、大知さんがそばにいてくれるようになったからなんだと思う。兄貴、ようやく“戻りたい過去”より“手放したくない今”を選んだんだって……なんか、わかった気がした」
秦は来人の肩にそっと手を回し、言葉少なにうなずく。
来人はその温度に安心しながら、目を閉じて微笑んだ。
「兄貴って、家族とか、想いとか、そういうの不器用だけどさ……でも、ちゃんと、前に進もうとしてるんだよ。過去を変えるより、今を守りたいって思えるくらいには、誰かを好きになったんだなって」
その手のぬくもりに、来人は、ぽつりぽつりと語っていた言葉をふと切り、秦の肩に軽く頭を預けた。
「……俺も、なんだかんだで兄貴と似てるのかもしれない。過去にしがみついてばっかで、未来のこと考えるの、ちょっと怖かった」
秦は黙って、来人の髪をゆっくり撫でる。
「けどな、涼一と一緒にいる時間が増えて……未来って、そんなに怖いもんでもないのかもって、思えるようになってきた」
「……俺と一緒にいる未来、想像できる?」
「ああ。ちゃんと、できるようになった。――いや、これからは、ちゃんと“したい”って思う」
そう言って、来人は秦の方をまっすぐ見つめた。
「だから、俺ももう迷わないよ。……タイムマシンなんていらない。俺は、涼一と進む未来を選びたい」
秦の目元が少しだけ揺れて、そして穏やかに細められた。
「……じゃあ、その未来、ちゃんと支えてやる。お前が逃げたくなっても、俺がつかまえてるから」
「……ほんと頼りになるなぁ。ずるい」
そう言いながら、来人の笑顔がにじむ。
夏の夜、窓の外で虫の音がかすかに響いている。
ソファの上、互いにもたれ合うように静かに重なるぬくもり。
未来はまだ不確かで、何が起きるかはわからない。
けれど今だけは――確かに、愛おしく、優しく、ここにあった。




