第2節 8章再会編Ⅱ-Ⅱ
ゲンジが部屋を後にして以降、泣きべそをかくアンリエッタをそのままにシャルロットはただ虚空に視点を結んだまま立ち尽くしていた。しかし、その脳裏にはゲンジから伝えられたその疑問がずっとこびりついていた。
いくら考えてもわからない。
あまりにも情報が少なさ過ぎる。
そしたら、今度は捜索しなければならない。失踪した貴族達が氾濫してこないよう、仕留め尽くさなければとこれからくる激務に思わずため息が出る最中、シャルロットは王座の前に立つアンリエッタと視線が通う。
「ええ、本当。飛んだ茶番よ。ここが既に落ちていたなんて。
本当にいけすかない男
いいか!今日からその王座に立つ者が、お前達の主人であり、新たなシザーベントの女王だ。不貞を働くば我がそれを処す。心せよ。
何か、不服なものはおるか。」
シャルロットがそう叫ぶと共にメイド達や執事達が並ぶ列に目を送る。
突然、新たな女王の誕生に難癖つけようだなんていう仕様人は一人たりともいなかったと思われた次の瞬間、彼らの中で一つの声が上がる。
キャアアアアア!!!
その声に、シャルロット達は思わず目を見開き強い視線を送りつける。
女の悲鳴であろう咆哮は一度ではなく二度、三度と続く。
その度に少し目を細め、耳のあたりに思わず手を添えてしまう。
悲鳴は悲鳴を呼び、気づけば幾多の悲鳴が部屋全体を揺るがしていた。
「なんなのよ!一体!!」
「わわわ、わかりません!」
悲鳴は完全に耳を塞いでもその肉壁を超えて鼓膜を強く振るわせる。
その波が体を軋ませるほど大きく震わせると
激しい音の波が大気を震わせ、堆石にヒビを生じささるほど震える。
気づけば、あたりのメイド達は体で十字架を描くようにして浮かび上がり、その末端からは血が溢れ出ていた。
その苦しみと、痛みの悲痛な声が雨のように降り注ぐ最中、シャルロットは思わずアンリエッタの腕を強引に引っ張ると共に走って場外へと飛び出した。
尖った屋根が崩壊し、さまざまな人間達が宙に舞い上がり、ゆっくりと一つにまとまっていく。
その軌跡は街の至る所から現れその形がゆっくりと一つの存在を映し上げた。
「シャルロットさん!」
アンリエッタはそう問いかけるものの、一切取り合うことなく、出口へと駆け抜ける。
ペトラ達も脱出に成功すると息を整える間もなく上を見上げる。
岩が浮き、骸が浮き、鮮血が集合する。
手足がちぎれ、粉々になり一つの塊として再集合する姿は見るもの全てに地獄のような気持ち悪さを想起させた。
「ハルピュイア...」
「え?え?え?どどど、どうして魔族が?ありえないですよ、シャルロット様!!」
人間の体が歪に結合し合い、重なり合い、少し大きな人型を形成しだすと、やがてそれはゆっくりと鳥のような見た目を生み出していく。
足は鉤状に歪み、体表には次第に鱗のような鈍い色を放つ羽毛が生えだす。
「伏せて!!」
シャルロットはそう咆哮すると同時にヒューノやアンリエッタを覆い隠すように力を惜しむことなく障壁を展開する。
その瞬間、全身を駆け抜ける空気の振動とともに耳の鼓膜を引っ掻いたような高音が轟くとあちこちの建物が音を立てて震え、ガラスの割れる音が僅かに聞こえる。
しかしそれよりも凄まじい音圧はシャルロットの障壁をしても圧倒されるほどの圧力に押しのけられる。
地面が杭のように立つ足を沈み込ませ、次第に踏み込めないほどに滑り出す。
するとその途端、突然に足元が軽く、全身の力が抜けたように錯覚する。
「しっかりしろ。」
自分が障壁を展開した薄い壁にもう一つの手が充てられるとさらにシャルロットの体勢が回復する。
「死んでいて欲しかったです。」
「黙れ。あれについて説明しろ。」
ゲンジはシャルロット共に障壁を張ると次第にその音圧は落ち着きを取り戻し、風もまた止んだ。
しかし、空は雲が晴れるどころか昼間だったはずの昼空は紅く腫れ上がり、その中央にはまだわずかに形を帯びていない不恰好な人面鳥の顔と鳩胸だけが浮かび上がっていた。
「ハーピー。その最上位種ハルピュイア、大戦時代にいた魔族の一つよ。」
「あのデカブツがか?」
ゲンジはかすかに後ろに目をやるとそこにはエラを寝かせ、安静にしている途中の芽亜利、ペトラの介抱をするエレーナが飛び込んでくる。
芽亜利はゲンジの視線に気づき柔かに微笑み返す中、エレーナはやはり少し焦りが隠せないのか、絶えずペトラの手当てを行なっていた。
正直に言って、状況は芳しくない。
ゲンジはペトラ達を逃げる途中、かなり無理に体を動かしたためペトラの傷口が開いてしまったのかもしれない。
そうでなくとも、ペトラがいないのに加え、おそらく街の方はもっと混乱に陥っているはずだ。
あれが魔族かどうかはさておき、未完成のあの状態であれほどの攻撃を繰り出すのであれば、ゲンジにこれ以上考える余地などなかった。
ゲンジはそう決心すると、反対の方向に振り返る。
「アンリエッタ。」
アンリエッタはゲンジの呼びかけに、辛そうにしていた顔をあげる。
穢れを知らない純情無垢な少女の表情を見ると、ゲンジの喉元が自然に締まったようなそんな感覚を覚える。
「お兄ちゃん....」
「もうその呼び方はやめろ。」
ゲンジは空に堕ちる人面鳥を見上げると、少しずつそれに向かって歩き始める。
手にはゆっくりと黒い霧がかかり一刺しの槍がその禍々しい形を帯び始める。
自分は最低なことをした。
背負えるはずのない少女の運命を背負い冒した。
今が、その罪の贖罪をするときなのだと、誰もがそう感じ取った。
「クロセス・フロスト、クロセス・アンを殺したのは俺だ。」
アンリエッタはそう語る背中をただただみることしかできなかった。
酷かったけど、怖かったけど、いつも自分のことを気にしてくれていた人。戦う時はかっこよくて、普通にしてる時はいつも甘えさせてくれた。
そんな光景が目紛しく回る中、そんな男の放った一言が全てをかき消していく。
泡のように溶けていく。
「やだ....やだ....お兄ちゃん、やだよぉ...」
「闇の魔法使い、ゲンジ。それが俺の名だ。」
ゲンジは槍の切先を怪鳥に向ける。
奥歯を噛み締め、顔を歪ませる。
真実を伝えた心の軽さが、偽っていた重さが鳩尾を内側から締め付ける。
それを振り払うかのように大きく息を吸い、魔力を一気に槍と共に放出すると、瞬時に魔法陣が浮かび上がる。
体が宙に浮き、槍が手を離れ浮遊し始める。
魔法陣が新たな魔法陣を生み出し、重なり合う。
ゲンジがさらに魔力を込めようとした刹那、その視界の端にこちらに向かって飛び込んでくる赤い男の姿を捉えていた。
ゲンジは瞬く間に槍を虚空へ手放すと凄まじい破壊音が轟く。
「やっと見つけたぜ、ゲンジ!!!」
その刹那の光景に誰もが目を見開き唖然とする。
血を滲ませたように真っ赤な刀身と闇を体現したような黒の剣が空の上で交差する。
魔法陣は消え去り、放たれ損ねた魔力の残影が凄まじい風となってシャルロット達を襲う中、その2人の影は横から飛び込んだ赫によって消え去った。
剣と剣が重なり、弾かれ、交わし合う。
「オラオラオラオラ!!」
剣身を振るたびに烈火が放出されるその赫の剣はゲンジの持つ漆黒の剣と交わるたびに発火し、激しい火が散っていく。
空中に、しかも落下している途中にもかかわらず、その男は火を巧みに操り間合いを詰めては絶えず攻撃を繰り返してくる。
「随分探すのに苦労したぜ!」
咆哮すると共に体を拗らせ、一際大きく剣を振り向く。
剣先から止めどない業火が溢れ出た瞬間、ゲンジの姿が消滅する。
ゲンジは虚空に溶け、すかさず男の後ろに回ると目のも止まらぬ速さで剣を振り下ろそうとした次の瞬間、すぐさまその動きを止め、霧と化すと建物の屋根へと発現した。
「へぇ、流石はあの男がお前に固執する理由もわかるってもんだ。
てめぇも、もう人間じゃねぇな。」
「黙れ。」
「おいおい、わざわざ迎えに来てやったんだぜ。ゲンジさんよぉ!!」
再び剣が交わり、火が空に向かって弾かれる。
「貴様、何者だ!」
「てめぇには名乗ってやるよ、ライオネル・ヴィルヘルム、テメェを殺しに来た剣聖は俺だ!」
「貴様が、連合小王国軍を誑かしたのか!」
「んな雑魚しらねぇ!俺様との戦いに集中しやがれ!!
ヘルフレアブラスト!」
2人は戦いながらもそう語り合うと、ヴィルヘルムは地面に辿り着いた途端、凄まじい業火が2人を円状に囲うようにして大炎上する。
ゲンジは思わず顔を顰めると、一瞬視界が眩む。
呼吸困難状態、大きな炎によって酸素が消費されるあまり活動に必要な酸素が足りなくなってしまっていることをゲンジは本能的に感じ取った。
おまけにこの業火に巻かれては、敵を目の前にしてわざわざ不利になる場所に飛び込んでくるという選択肢もまた出てこない。
息を吸うたびに肺が荒らされ、干上がるような痛みが胸を討つ。
「久々に昂ってきたぜ、ゲンジ!!!」
目の前に立つヴィルヘルムが一気に加速すると、今度は空中に上がることなく幾度となく剣が交わり合う。
かわし、弾く中にもゲンジの手には少しずつ力が入らなくなっていく。
剣が触れ合うたびにわずかに後ろに交代する中、背後が猛烈に熱く感じられた次の瞬間、ゲンジもまた覚悟を決める。
「オラァ!」
赤の剣が振り下ろされた次の瞬間、再びゲンジの姿は消失する。
「見飽きてんだよ!!」
ヴィルヘルムは背後を見ることもなく剣をそのままに自身の背後が凄まじい業火に炎上する。
その光景にヴィルヘルムは怪しい笑みを浮かべると、次の瞬間二つの剣が男めがけて振り抜かれようと軌道を描き出す。
前と後ろ。
確実に燃やしたはずのその存在は二つもの幻影。否、実体となって襲いかかる。
ヴィルヘルムは瞬時に後ろを燃やしたからには前が本命だと判断すると、前方に構えていた剣を再び振り抜く。
剣がゲンジの体に差し掛かる。ヴィルヘルムは肉を切る快感に思わず笑みが溢れ、口元が緩もうとしたその時、ゲンジの姿は剣に裂かれ消失した。
ヴィルヘルムは自身の想定を上回るゲンジの動きに思わず口元が緩むと、その剣の軌道が描かれる最中、体勢を崩しながらも後ろを振り返り始める。
「終わりだ。」
ゲンジは黒く焼け焦げる腕や額をそのままに剣を振り抜こうとするも、その剣がヴィルヘルムの体を捉えることはなかった。
明らかにヴィルヘルムが使えるはずのない魔法。
硬く、重い透明を切ったその感覚に思わずゲンジは立ち尽くすと、どこからともなくゲンジの行動を称えるためか、一つの拍手が耳に届く。
気がつくとそこはアヴィルトツカの街の中、城から少し離れた街中の一角に堕ちていた。
ゲンジはその手の鳴る方へと視線を向ける。
紳士的なきっちりとしたスーツのような服を着て、髪を綺麗に整えたその男がゲンジに向かい合う。
「お前は。」
「水の剣聖、バンマーク・オキアスです。
お初にお目にかかります、ゲンジさん。」
「お前も、俺を殺しにきたのか。」
「ええ、そのつもりでしたが、如何でしたか。」
ゲンジは困ることなくその男の姿をただ見つめる。
ゲンジは決して気を抜くこともなかったものの、既にヴィルヘルムは立ち上がり、体についた埃を払い始め、先程までの狂気に満ちた気配は無くなっていた。
「ここにくるまで多少の挨拶をと思いまして幾つか余興をご用意させてもらったのですが。」
「くだらない茶番のことか。」
そう答えるとオキアスは礼儀正しく口元を軽く隠しながら肩を揺らす
「いやいや、覚えていてくれて何より。わざわざ私兵を使わせただけあります。」
「今すぐあれを止めろ。」
「あれ?ああ、ハルピュイアのことですか。それについては残念ですが私には出来かねます。」
「ならば、」
「まぁ待てよ、ゲンジ。」
突然、ゲンジの左肩に手が置かれる。
ゲンジは視線を送るまでもなく、その肩の手を振り払うとヴィルヘルムは不敵な笑みを浮かべたままオキアスの横に立つ。
「ほらよ。」
いつの間に手にしていたのか、ヴィルヘルムは鎖で拘束された人間をゲンジに向かって放り出すと、それはゲンジとの間合いを詰める前に無様に地面へと倒れ込んでしまった。
ゲンジは僅かにその存在へ視線を移すと、それは無様ながらも見知った顔がゲンジの顔を覗き込んだ。
「源二....君。」
「どうしてここがわかった。」
オキアスは不敵な笑みを浮かべる
「天からのお告げ。と、言いたいところでしたが、あいにく私には神なんていう存在に想いを馳せるほど愚かではありません。
貴方は戦士としてはこの上なく優秀ですが、策士としてはまだまだのようですね。
シザーベントが陥落して以降、これまで復興の兆しを見せなかった女王が2カ国の助力だけで、みすみす敵の侵攻を許してまで、いきなり国土回復に積極的になる筈がない。
ましてその功績の名義がアンリエッタなんていう少女のものだなんて、おかしいと思わない筈がいない。でなければ余程の無能です。」
「話も長いようだ。」
「おや、ジョークのスキルは有りそうですね。」
「これはなんだ。」
「土産ですよ。どうやらこの女は君に心底執着しているようですから、この際合わせてやろうと思いまして。」
「こいつは召喚者だ。」
「ええ。」
「これを俺に渡しては、お前らもタダでは済まない。違うか。」
そう問いかけるとオキアスは今度大きく笑い出す。
「素晴らしい。これは評価を改めないといけませんね。
すでに、私たちの動向を掴んでいたのですか。だからわざわざこんなところに...
繋がりますね。」
「御託はいい。とっとと話せよ。」
隣に立つヴィルヘルムがそう言い放つとオキアスは気を取り直すといった感じで咳払いをすると、その相貌に怪しい光が灯る
「ええ、手っ取り早くて助かります。
単刀直入に言います、私たちと共にエイレーネ帝国を落とし、王座に着く気はありませんか?」
「なんだと?」
「彼らは今や貴方だけに夢中です。
私個人の意見ですが、葬られるべきは闇の魔法ではなく、悪です。いくら貴方が狂戦士を宿しているとはいえ、貴方そのものは悪ではありません。
私たちは闇の魔法使いも共に共存できる世界を望んでいる。
それは、貴方にとっても理想的な世界の形なのではありませんか?」
「見えないな。それをお前達が実現する理由が見当たらない。」
「私たちも貴方と同じく、縛られているのですよ。この忌々しい大戦の記憶に。
剣聖、人々がそう呼ぶ我々の冠位はその昔、龍という危険な魔族を殺したものに与えられる称号でした。
我々の祖先は人類の希望そのものとして扱われ、人類が我々を祝福していました。
しかし、闇の魔法使い狩りが始まってから、貴方の中にいるそれは次々と同胞である人類を手にかけ、その強大な力を我が物とした。
数々の犠牲、努力と引き換えに一騎当千の力を得た我々剣聖の名は地に落ちました。
そして、人類の革新を掲げるエイレーネ帝国、亜人種との共存を願うウェインフリートとその後ろに立つ小国達が生まれるなか、剣聖が持つ一騎当千の力を封じるべきと決め、我々はどこの国にも属し得ない流浪の民となった。
こんなものが、当然だとでも言うか?」
「俺は召喚者だ。知る由もない。」
「だが、互いにエイレーネを憎むと言う思いでは僕らの利害は一致している。」
「利害?俺は闇の魔法使いであって単なる殺し屋ではない。
俺は俺の信じる道を選ぶ。」
「どうやら、言葉の意味がわかっていないようだね。
僕は君の無事を保障しているんだ。それとも、君はこの先一生、命を狙われ続けるつもりなのか?」
「そんなつもりはない。だが、俺の命を狙えとやってきた剣聖にのこのこついて行くような義理もない。」
ゲンジは確固たる意思を見せ、オキアスの提案を一蹴する。
確かに、オキアスの提案はゲンジにとっても好条件と言える。
隣国が失脚すれば、今自分を狙う存在そのものがいなくなる。
だがそれと同時にこれから起こるであろう戦果の数々が、緋の走馬灯がゲンジの脳裏を駆け抜ける。
それを払い除けるかのように高らかに笑う声が響くと、ゲンジはその声の主ヴィルヘルムに目を向ける。
「おもしれぇ、本当におもしれぇ奴だゲンジ。益々気に入ったぜ。」
「源二!ダメ!!貴方は私たちが護るわ!」
篠原の耳にも当然届いているその言葉に我慢できず女は思わずそう叫ぶと、ゲンジの手からその顔の目前に切先が地面に突き刺されると、篠原はあまりの恐怖に続きの言葉は出てこなかった。
「非力なお前に何が護れる。
今もこうして無様にも土産物にされてるお前如きが、俺の何を守れる。」
「下の世話ぐらいじゃねぇかぁ?」
ヴィルヘルムは我慢できないように不敵な笑みを浮かべながらそう茶々を入れるものの、その空間の中にいるものの目だけは誰一人として笑っていなかった。
ゲンジは下に転がる篠原を一瞥すると、再びオキアスを視界に捉えた。
「その目、揺らいでるとみた。」
ゲンジの口角がわずかに上がった。




