第2節 8章再会編Ⅱ-Ⅰ
さて、今回から再会編Ⅱをお送りします。前回の7章でなんと50万字を突破しているとのことで、ここまで読んでくださる方々に感謝です。
薄く灯りが差し込むテントの中、複数人達のメイドが忙しなく動く一際大きな室内の中央にはその身に合わない雅なドレスの紐を結ぶ少女がいた。
クロセス・アンリエッタ、シザーベント共有自治国家を収める小さな女王はいま出撃の準備に取り掛かっていた。
目標は最終拠点、アヴィルトツカというシザーベントきっての防衛都市
先代に当たる父と母、アヴィズダー・オクレイマンが作り出した一軍に耐えうる防衛力をもっと言われている街を落とすのは到底簡単ではない。
まして相手は、父と母と肩を並べていた人物でもあり、この国を失脚に導いた存在だとアンリエッタは密かにそう思っていた。
「アンリエッタ様、こちらを。」
メイド達が自分用の鎧を差し出すと、少女はそれを一瞥して呟く。
「だから、いい!自分で着れるもの。」
メイド達は困惑した表情を見せながらも、謝罪を述べ、鎧を元の場所へと戻す。
というのも、これまでアンリエッタはメイド達にされるがままにまるで人形のように召し物を着させられ、玉座に座り、父や母の真似事をしてきた。
その自覚が今であればある。
昨日のことのように今でも思い出す、母親の匂いが、眠れない日の童話の内容が、歌声が。
父の民を思う気持ちが、統治者としての風格が幼い自分にとっては恐く見えていたのだと。今の自分ならそう納得できる。
それもこれも気づかせてくれたのは一人の存在だった。
「お兄ちゃん...」
アンリエッタは小さな握り拳を胸のあたりに抱える。
ある日突然、母と父の残した領地を自分が立て直せなかったがために許した敵だと、自分はそう思っていた。
しかし、それが今の自分の実力なのだと、所詮自分は母の元を離れさせられただけの立場上の女王に過ぎないのだと、そう理解することだけが、唯一自分を許せる免罪符になっていた。
それを、アンリエッタ本人は知らずとも、そう感知していた。
それが、ある日突然現れた男は事もあろうに自分の中にある何かを壊した。
父と母の残した匂い、形、思い出に、ソレは土足で入り込んだ。
それがメイドであれば、自分は容赦なく処刑を言い渡したかもしれないタブーを、その男はあえて犯したように感じた。
注がれたワインを投げ捨て、その紅に染まった盃に注がれた栄光など、微塵も気にもしていないような無骨さ。
「私は、その盃に似合う女性になれるでしょうか...ゲンジ様...」
まるで、本物の兄ように自分のことを思い、叱咤してくれた存在。
自分を女王としてではなく、一人のアンリエッタとして接してくれた。
強引でも、冷酷でも、残酷でも。自分を辛い現実も引き合わせてくれた人に、今でならありがたいとさえ思えた。
「アンリエッタ様、そろそろ。」
「わかってるもん。」
アンリエッタは最後の紐を結び終えると、裾を掴み、外へと走り出す。
暗い夜空に輝く星を描いたような深く青黒いドレスが揺れ動き、人混みをかき分け進んでいった。
「お兄ちゃん!」
テントの扉を勢いよく開け、中を覗き込む。
その視線の先には昨日に眠気目の中で起きた惨劇が再び飛び込んできた。
白い包帯に各所を巻かれ、痛々しい姿になったペトラに付き添うようにしてゲンジは同じベットに腰掛け眠るペトラの額を撫でていた。
「お兄ちゃん...」
ゲンジはエレーナに目配せをすると、自分の方へと近づいてくる。
小さな自分の背中に大きな手が当てられ、ゆっくりと外へと誘導される。
「どうした。」
「ペトラお姉さん、大丈夫?」
「ああ。」
「お兄ちゃん、もうすぐ帰っちゃうの?」
ゲンジはその言葉に眉を顰める。
真意はともかくとして、誰がこんな入れ知恵をしたのか聞きたかったが、もしかしたら何か普通ではない雰囲気を感じ取ったのかもしれないと思い、ゲンジはゆっくりと片膝をつき、アンリエッタと向かい合う
「俺はこの国を建て直すためにきた。アンリエッタが王女として就くその日まで、一緒にいるよ。」
「ずっとじゃないの?」
ゲンジはわずかに微笑み、頭を撫でると女王としての尊厳はそこにはなく、だらしない小動物のような和んだ顔を浮かべていた。
「アンリエッタ...」
ゲンジがそう呼びかけるとアンリエッタは疑うということを知らないような眼差しで見つめる。
「なんでもない。もうすぐ出発だ。」
本当は、全てを話してしまいたかった。楽になりたかったのだ。
アンリエッタの両親を手にかけ、余計な苦労を強いているのは自分だと。そんな自分にこれほどに心を開き、まるで失った両親を見るような眼差しで覗き込んでくるその可憐な顔が幾度となくゲンジの心を抉り取っていた。
少し暗さが残るテントの中、ゲンジの顔はそのテントよりも深く濃い影が差し込む
「これが、贖罪だとでもいうのか...」
「どうしたの?」
エレーナに声をかけられ、思わずゲンジは深く息を吸う中、話すわけにも行くまいとその気持ちは肺の中へ押し込んだ。
「ペトラは?」
「起きてるわよ。ずっと触られてて寝られたもんじゃないわ。」
ペトラは視線こそ合わせはしないものの、声だけはいつも通りで、ゲンジもベットに座ると顔を覗き込む。
「まだ酔ってる?」
「は?」
「顔赤いよ。」
ペトラは咄嗟に枕を抱え込もうとするも、体の至る所に傷があるせいで動いた途端にウッと唸り声をあげて体を縮め込ませてしまった。
「本当お馬鹿さんね。ほら、これ飲んで。とりあえずアヴィルトツカまでいければ、まともな物資もあるはずよ。」
エレーナもペトラを元気付ける様に体に触れると背中を支えながらペトラを起き上がらせる。
手には粉状の薬のようなものが盛られ、ペトラはそれを半ば強引に飲み込まされると、ゲンジ達と共に準備を整え、テントを出た。
「遅い。これじゃあ示しがつかないじゃない。」
シャルロットはすでに馬に跨り、ゲンジたちのことを待っていたようで、叱咤してくるもののそれほど怒っているわけでも機嫌が悪い訳でもないようだった。
彼女は何かにつけてゲンジのことをいつも叱咤してくるため、ゲンジ自身それほど親身に聞いてもいなかったし、聞く理由もないと割り切っていた。
「ペトラは、大丈夫なの?」
「ああ。今は鎮痛の効果が出てる。問題ない。」
ゲンジはエレーナの前に座るペトラを見ると再びシャルロットに視線を戻す。
本来であれば怪我人は戦線に参加させるべきでないが、思った以上にペトラの状態は良くなかった。
戦場で、それも遠征の途中ではいくらエレーナや魔法の力を借りようとも、十分な手当は受けられない。
ペトラの怪我は一つの傷だけで見ればほんのちょっとした切り傷程度だが、全体として見れば体の至る所にこの傷があるせいで動かすだけで体に痛みが走ることはおろか、破傷風の可能性すらあり得る以上、ゲンジとしては一刻も早くまともな手当を受けられる街に到達したかった。
それともう一つ、ゲンジが街から戻るとき、否、街に入ってからずっと誰かに見られていたような感覚を覚えていた。
その証拠に、フォールンもまた、ゲンジに意味深なことを伝えていた。
「僕も何人か殺そうと思ったんだけどね。そりゃあ、重役はアヴィズダー・オクレイマンだけじゃないからね。」
昨晩、ゲンジたちがテントへと帰る暗い草原の道中、フォールンのあまり見せることのない飄々としていない沈んだ声が今にも脳裏にこびりついている。
「ゲンジ君。早くここを離れたほうがいい。
この地の陥落を企んでいるのは僕達だけではなかった。
いや、むしろ君たちがここを落とすのを手助けしていたようにさえ思えた。」
「ゲンジ、ゲンジ!」
そう呼びかけられる声に意識が覚醒し、視線を声の主へ向けると、未だ同じ白馬に跨るシャルロットが不服そうな顔でこちらを見ていた。
「もうすぐアヴィルトツカよ。編成はどうするの?」
「構わない。俺が行く。」
ゲンジはそう言ってシャルロットの乗る馬より少し早く歩み始めた。
すでに前方には明らかに他の街とは一線を博す気高い城壁と、厚い城門が遠く離れた場所からもわかるほどに映っていた。
シャルロットは、ゲンジの自信満々、否。無謀とも取れる行動にため息を吐きながらも歩き去るその背中を見送る。
微かに後ろに目をやると、エレーナに抱かれるペトラはやはりどこか辛そうで目もあまり焦点を結んでいないようにさえ感じられた。
編成自体は大して大きな時間をかけることなく手早く済ませると、先陣を切るゲンジ達が城壁の下へと歩みを進める。
肺を空気で満たし、虚構に満ちた恐れを吐き出す。
白い冷気が体を覆うように、全身に熱さがみなぎる。
「我々は、シザーベント共同自治区、エイレーネ帝国、ウェインフリート帝国なり。
これ以上同胞を傷つけたくなくば、門を開けよ!!」
ゲンジの側に付く貴族がそう声をあげる。
堂々とそう叫ぶ中、誰もがその問いかけに応じるわけも無いとおろしていると見せかけた武器の柄を握り込む。
呼吸が荒くなり全身の筋肉が怒号をあげるように硬く締まる
しかし、彼らの緊張とは裏腹に男のあげた声に呼応するように大きな門が地面を揺らしながら開いた。
その光景に誰もが唖然と、呆然とそれを見るほかなかった。
昨夜に至るまで、ウェインフリート、エイレーネ連合軍はこの街から出兵した兵と戦ってきた。
それも、昨日はどちらかと言うとシャルロット達が一杯食わされたと言った戦果、むしろアヴィルトツカの兵は勢い付いてもおかしくない。それどころか、昨夜の剣聖の一件を夜襲と勘違いした兵もちらほらいたほどにこちらの勢いは衰えた。
「一体、何をしたの...ゲンジ...」
シャルロットは遠く望む門が開け放たれる最中、言葉を溢すもののその微かな言葉は門の鳴らす揺れに溶けていってしまった。
一行は何事もなく、街へと入城し難なく中核の城までも陥落させた。
街の兵は意気消沈し、元は同じシザーベントの民ということもあり彼ら独自の言語でコミュニケーションを交わし、果ては拘束されない一般兵までもがいた。
同胞の死体を埋葬する者、敵軍でありながら敵兵の手当てに勤しむ者。シャルロットは城に吊るされた二人の亡骸を見ながらその光景を思考の中へと投影していた。
「酷い...」
シャルロットが上へと視線を向けるとそこには切り裂かれた体をそのままに城の壁にの晒しに吊るされたアヴィズダー・オクレイマンと恐らく昨夜の連合小王国軍を指揮していたであろう等級の高そうな鎧を見に纏った男が晒されていた。
「ヒューノさん...」
アンリエッタは流石に目に毒が過ぎるのか、最高峰でヒューノと共にいた少女は少し手が震え、声も震えながらも、その屍を目に捉えていた。
「まさか、かの水の剣聖様があんな面白い隠し球を持ってるとはな。」
「私も私であなたに協力すると言いましたからね。」
「その、ところで、私たちはこれからどこへ。」
二人はそう聞く篠原を高笑いで躱した。
「ここにいい土産があんだ。もうちょっとあそばねぇとな。」
「ええ、私は悲しいです、かの剣聖ともあろう姫が真っ先に協調を乱すとは。」
篠原は怪訝な顔つきを見せる。と、ヴィルヘルムはおもしろそうな表情を浮かべる。
「あんだ?気になんのか?おめぇも中々見所あんじゃねえか。」
ヴィルヘルムは手を虚空へと開け放つと、手のひらを上へと向け、何かのジェスチャーをする。
「俺も乗ったんだよ。こいつの作戦に。
向こうが禁忌なら、こっちも禁忌ってな。」
「禁忌...」
「まぁ、あと女だけは死なねぇからな。そのうちわかるさ。」
「あの女って、シャルロットさんのことですか?」
「それ以外に誰がいんだよ。」
「じゃあ他のみんなは...」
「民間人もいない防衛都市だぜ?あんなに気持ちよく戦えるとこそうそうねぇからな。最ッ高にヤベェ奴を喰らわしてやる。」
篠原へと向けられたその相貌は名状し難い狂気を孕んでいた。
「それでその、土産っていうのは...」
「あ?おめえしかいねぇだろ。」
「容体は。」
城の中にあるとある一室。
ベットと一通りの医療器具を揃えたその部屋の中にはペトラが眠りについていた。
エレーナはゲンジに柔かに指を口に当てて静かにするように促すと、少年は胸を撫で下ろす。
「もう寝たわ。」
「ゲンジ様も健気ですわね。この女に御情けを掛けるなんて。」
「ペトラは俺の大事な....仲間だ。情けなんて思ってない。
芽亜利、お前もそうだ。俺はお前が同じことになっても見捨てたりしない。」
「ゲンジ様ぁ!」
芽亜利は妖艶な笑みを浮かべると、ゲンジに飛びついてくる。
避ける暇も、気力もなく好きなように抱かれるとゲンジは顔色ひとつ変えずにエレーナにペトラのことを任せると、芽亜利と共にシャルロットたちの待つ王座の間へと向かった。
「ゲンジ!貴方、何をしたの!」
煌びやかな城に広がる王座のある部屋に入った途端。
その新手を待っていたかのような怒号が城内に広がる。
シャルロットとは、街に入って以降、ペトラの手当を優先したせいで軍の管理を殆ど任せてしまった。
てっきりそのことに腹を立てているかとも思ったが、その予想は外れていたようだった。
「何がだ。」
「何がですって?あなた、すでにこの街を落としていたのね。」
「それを聞きたいのは俺の方だ、シャルロット。
貴様、まさか剣聖にこの地のこと、教えてはないだろうな。」
「なんですって?」
「言った通りだ。お前が裏切ったのではないかと聞いている。」
ゲンジの考えていた一つの懸念、今まで建前上の信頼を置いていたシャルロットが実は剣聖に情報を流していたのではないかということ。
この街に自分が入城することを喜ぶ人物は自分たちの陣営のほかいるまい。
シャルロットにしてみれば、これは自身に課せられた建国の任と、長年の悲願だったゲンジの殺害との二つを同時に片付けられる願ってもないチャンスと言えた。
シャルロットは俯き、握り込んだ手が怒りに震える。
自分は、目の前に立つ少年を初めて心の底から殺してやりたい。そう思ったかもしれない。
闇の魔法使いとして自分たちの立場を危ぶみ、一度街を。民を救われた恩返しとして、剣聖から身を遠ざける為に自身の皇女としての立場を。メンツを壊してまで協力したにも関わらず、果てにその誠意を疑われたシャルロットの心中に怒りが込み上げてくるのはむしろ当然と言えた。
「黙ってればいい気になって...
私が一体どんな思いであんたを庇ってやってるか、忘れたのかしら!
貴方なんて、今すぐにここで殺してやってもいいわ!でもね、ワタシにも皇女としてのプライドがあるわ!貴方みたいなロクでなしなんかに、なんでこんなこと!」
「お兄ちゃんはろくでなしなんかじゃない!!」
シャルロットの口から溢れ出た激情はさらなる小人の怒号に静まり返る。
欺瞞と怒りの目の交差が解け、その少女へと視線が注がれる。
アンリエッタは王座の前、光が差し込む赤を基調としたその大きな椅子を前にその容姿に似合わない大粒の涙を流していた。
「なんで...なんでお兄ちゃんとシャルロットお姉ちゃんはいつも喧嘩してばかりなの!
アンリは、そんなとこ見たくないよ!!
どうして、どうして!」
「アンリエッタ、私たちは一国の責任者なのです。」
「そんなの関係ないもん!
2人ともみんなと同じ友達だもん!
国なんて、関係ないよ!!」
シャルロットは厳しい視線をアンリエッタに降り注ぐ。
しかし、少女は涙をこぼしながらもその強い光だけは閉ざされることがなかった。
しかし、それとは裏腹にゲンジは後ろを振り向き、その場を後にしようとする。
「どこに行くのですか。」
シャルロットの静止を一歳に気止めることもなくゲンジは扉に手をかける。
「ちょっと待ちなさい!話はまだ!」
だが扉はその声を皮切りに厚い木の音だけが空間を支配していた。
長い廊下を歩くゲンジ。
その脳裏にはなんとも言えない黒があった。
国同士、友達、戦友、敵。そんな生ぬるい言葉じゃない。シャルロットという女はゲンジにとって天敵に等しい。過去の自分を幾度となく殺し、犯してきた敵の中核。
それが今になって自分の近くまでやってきているのだ。安易に巣を晒せてしまう方が恐ろしい。
だが、それとは裏腹にゲンジがアンリエッタに気付かせてあげたかったこともまたこうした身長にあったことだということに。皇女として、平和へ導くものとしての振る舞いに気づいてほしかったということにやるせ無い矛盾を感じていた。
ゲンジは顔を顰め、壁に思いっきり拳を当てると、石造の壁は容赦なくへし折れ、ヒビが炎上に広がる。
「クソ。」
次の瞬間、全身を、血液の一滴に至るまでを冷たく凍りつく悪寒が駆け抜ける。
全身が逆撫でられ、心の底から反吐が出るような感覚を覚えると、一目散にペトラ達のいる医療棟へと走り出した。




