第2節 7章 再会編Ⅵ
二人がすれ違う瞬間、シャルロットは鼻腔を擽る異臭に思わず振り返り、少年を見つめる。
明らかに他の者たちとは違う匂いが鼻をつく。
「何をしていたの...」
テントの中、肩に乗せた少女をベットに寝かせると、エレーナが覗き込む。
「気絶してるわね...」
「当然です。私がそうしたんですもの。」
芽亜利がペトラをベットに座らせながらそう答えると、彼女も翠髪の少女を覗く。
「いい度胸ですね、単身で私達のところに来るとは。」
「おかしいと思わないか、芽亜利。」
「ええ。」
「なんでこいつは他の剣聖を連れずにここに来た。それに、ペトラにトドメを刺さなかったこともおかしい。」
「普通にゲンジ君を探しに来たんじゃないの?」
「俺を?」
「ええ。だってゲンジ君、奴隷都市の時にこの子に教えたでしょ?ここのこと。」
「なるほど。」
「何をしに来たかわからないけどペトラがその...殺されなかったのも、ゲンジ君に会いに来ただけなら説明がつくでしょ?」
ゲンジは少し考えは様子を見せるものの、会いに来たという腑抜けた答えには行きつかなかった。
「いやー、驚いた驚いた。
まさか妖精帝自ら出向くとはね。」
「フォールンさん。」
ゲンジが背後に視線を移すと、そこには先ほどまで共に行動していたフォールンが飄々とした雰囲気で立っていた。
「あと少しでイロージョンクラフトを使うところだったよ。」
「そんな物騒なもの使わないでください。こんなところでわざわざ自分から姿を晒すような真似はしませんよ。」
「なら安心だね。じゃあ、そちらの姫君は今にも手当てが必要みたいだからぼくは行くね。
君も帰国の準備を進めておいてくれ。」
フォールンはそう簡単に言葉を交わすと、それ以上は何も言わずに出ていってしまった。
「それじゃあ、命拾いさんの手当を...」
エレーナはペトラの元に歩み寄ると服の上から血が滲み出た箇所を確認し始める。
ゆうに10を超える傷口は死ぬことはなかったとは言え、なんとも言えない痛々しさを感じさせる。
ゲンジは軽く顔を顰める中、エレーナと視線が交わる。
何かを訴えかけるような目をしているものの、少年にとってはそれがなんの意味なのかすぐにはわからなかった。
「出ていってくれないかしら、ゲンジ君。服脱がせたいから。」
ペトラはかすかに赤面した表情を浮かべる中、ゲンジと芽亜利だけはぽかんとした表情を浮かべていた。
ゲンジはあまり腑に落ちなかったものの少年もまたテントの外へと出たのだった。
剣聖、そう呼ばれる彼らは自分に何を求めているのだろう。
単なる復讐に似た何かなのだろうか、闇の魔法使いを狩らなければならない使命感か...
自分がその当事者で、闇の魔法使いである限りこの疑問に答えなんて出ないだろうが、一体自分の体の中にいるこの女は昔、何をしでかしたのだろうか。
そう気になるものの、今自分ができることはほとんどなかった。
強いて言えば、ガーデンという自分の魔法を操る領域に踏み込むこと。
ゲンジの脳裏にはある日、夢の中で出会ったあの龍に似た狂戦士の姿が走っていた。
今にでも、ある日突然にふと使えないはずの魔法が使えるようになることがある。
その度に自分の中にある何かが泡のように溶け、それは二度と戻ることのないものであると悟る。
その原因も、意味も理解しているものの、なぜこんなにも簡単に自分という存在が壊れていってしまうのか、不可思議だった。
「これが、代償とでもいうのか、サフィールペーネロペー。」
答えてくれるはずもない。
代償という簡単な次元であればこんなに困りもしない。
ある日突然、自分の意思に構わず自分が消失する。
それは魔法というあらがことのできない絶対的真理によって起こされるからこそ、考えても仕方のないことで、考えなければならないことだった。
いっそ、死んでしまったほうがいい。
ある日芽亜利にだけ打ち明けたあの言葉は間違いなく自分の本心で、嘘偽りのない事実だった。
自分が死にさえすれば、隣国のもの達は自分と睨み合う必要もない。
自分の友人を、匿ってくれるもの達を危険に晒す必要もない。
ゲンジは深いため息が漏れ出ると、ゆっくりと腰を下ろし星を見つめる。
鼻にこびりついた血の匂いが、脳裏に焼きついた激情に滲んだ鮮血が、それを容赦なく淘汰する自分がその透かした間に流れる星に照らされた掌に浮かび上がる。
「シノハラ...シノハラ...無駄か。」
ゲンジはゆっくりと目を閉じると、吹き抜ける風の奥行きが耳を撫でる。
「終わったわよ。」
背後から声をかけられると、その声の主は座り込むゲンジの隣に並ぶようにして座り込む。
「どーしちゃったの?彼女が殺されそうになって悲しくなっちゃった?」
「残念だけど、違うな。」
「はぁ、いい加減強がるのやめたら?ほら、こう見えても私元医者よ?心の病気ももちろん、お姉さんがちょちょいのちょい!なんて、行かないけど、話くらいは聞くわよ。」
「エレーナさんは、俺のことどう思ってますか?」
「え?
うーん、最初は変な子だなぁって思ったけど、貴方が抱え込むいろんな問題を知って、変なんじゃなくて、大変すぎるだけなんだなって思った。」
「大変、ですか?」
「だって自分が当然のように持ってる力に難癖つけられて殺されそうになるなんて可笑しいじゃない。」
「エレーナさんも、そう思いましたか?」
エレーナは突然に投げかけられた自分への問いかけに思わず不意をつかれたような表情を見つめる。
「ねぇ、またそういうこと言うとペトラに怒られるわよ?
でもそうね、私もいきなりなんちゃらの巫女だーって言われてもうどうでも良くなっちゃった。」
エレーナは少し戯けるようにゲンジに微笑みかける。
ゲンジは立ち上がると、テントの方へと振り返る。
「もし、エレーナさんが嫌だったら...俺と縁を切っても俺は何も咎めません。ペトラを連れていっても。
それが、みんなの為なら。
でも、みんなが俺と一緒に居たいと言う限り、俺は世界を敵にしてもみんなを守る。自分を守るために。」
ゲンジはテントの中へと戻っていく姿を後目に見ながらエレーナはクスッと笑う
「かっこい。でも、馬鹿ね。あんなに甘えん坊だったくせに。」
テントの中、そこら中を包帯でぐるぐる巻きにされたペトラがベットに座っており、いつもであれば少し露出度の高い寝間着も包帯で多い腐れては色気のかけらもなかった。
「無様よね。こんなボロボロにされて。」
ゲンジはペトラの横に座ると、そのフォルムがゆっくりと虚空に溶け出し、プレートもローブもない普段着が現れるとペトラの背中を軽く摩った。
「気にすることない。ペトラが俺のことを守ってくれようとして、嬉しかったよ。」
ペトラはゆっくりとゲンジにしだれかかる。
「おい、包帯ずれるぞ。」
ペトラはどんどんとゲンジに体重をかけると、ゲンジはベットへと倒れ込まされる。
ふわりと香るペトラの甘い匂いの端に鼻をつくようなアルコールの匂いを感じると、机の上を見る。
「酔ってるのか...」
それもそのはず、消毒のため、痛み止めのために強烈なアルコールを患部に散布しなおかつそれを飲んだペトラは当然、高度のアルコールを摂取した状態になるのは当然だった。
テントの端では芽亜利がクスクスと笑みを溢しながら獣のようになったペトラを見ていた。
「いつもいつもいつもいつも!他の子ばっかで!私の赤ちゃんを産めー!」
ペトラはゲンジの足を組み敷き、右手を押さえると、そう叫びながらゆっくりと顔を近づかせてくる。
容姿端麗なペトラのような女性に言い寄られるのはこの上ない幸福であったものの、こうあってはかえって恐怖すら感じる。
ゆっくりと唇がタコの口のように伸び、せっかくの美人も可憐さのかけらもない。
ゲンジは心の中で大きなため息を吐くと、二人の唇が空気に触れた熱を感じるほどにまで近づいてくる。
「んーー!」
二人の体温が重なる瞬間、ゲンジは軽くペトラの口元に息を吹き込む。
扇情的で、プラトニックな雰囲気から一変、その雰囲気をぶち壊したゲンジの吐息はペトラも予想だにしなかったのか少し動きが止まる。
ゲンジの体にそれまで支えていた体重が一気にかかると、柔肌がゲンジの体を覆う。
「ゲンジ様、ひど〜い。」
芽亜利はなんとも悪戯な笑みを浮かべながら規則正しい寝息を上げる女にのし掛かられたゲンジに歩み寄る。
「身体中傷だらけなんだ。そんなことさせてたまるか馬鹿が。」
芽亜利はクスクスと堪えきれないように笑うようすを見せているものの、ゲンジにとってはなんとも複雑な心情を抱いていた。
今ゲンジの首筋のあたり顔を埋め、規則正しい寝息を立てるペトラは、さすが元貴族なだけあって容姿端麗で、普段は凛としたクールさを持つものの、身内、自分が相手となるとだらしないと言いたくなるほど解けた姿を見せる。そこが誰よりも愛おしい。そんな存在に、否そんな存在だからこそ、肉体関係を持つことも不自然ではないもののこんなボロボロな状態で出来るわけがない。
ただでさえ、性欲は残された大事な人間たらしめる部分でもあるが、こんな見境なく赴くままにしてしまってはそれこそ人間になった気もしないと思うのだった。
ゲンジは何回か、ペトラの頭を撫でながら、そう虚空を見つめ思考の世界へとさらに没入する。
「それで、首尾は如何だったのですか?」
「アヴィルトツカの方は上手くいったよ。無血開城...とまでは行かないような気もするけど」
「それでは、何をそんなに物思いに耽っておられるのですか?」
「すごいね、全部お見通し。」
「もちろん、芽亜利にかかれば容易いことですわ。」
「俺達はもうすぐ帰ることになるだろうけど、もしかしたら他の剣聖も居るんじゃないかってね。」
「それはごもっともですわ。今はあくまでエイレーネと和平的な立場で接しなければなりませんでしょうが、彼らはゲンジ様の敵でございます故、シャルロット公とて皇帝の名には逆らえないと言うこともありますわ。」
「何もシャルロットさんを疑っているわけじゃないよ。
他にも貴族はいるからね。必ずしもシャルロットさんとは限られない。」
「なるほど...それが、そんな格好でなければ、もっと格好も宜しいですのにね。」
芽亜利は再び笑うと、ゲンジは寝転ぶペトラの頭を撫でるのをやめると、ゆっくりと体を横にずらし、仰向けに寝かせた。
ゲンジはホッと一息吐くと、目の前に立つ少女の純白の服の端に血が滲んでいるのが目に止まる。
「芽亜利、それ。」
「え?あぁ、精霊を八つ裂きにするときに血が足りなかったものですから。」
芽亜利は裾の端を捲ると、自分で切ったであろう浅い切り傷からはまだ微かに血が滲み出ていた。
「座って。」
「なぜです?」
「いいから。」
ゲンジは芽亜利を座らせると包帯と小瓶をその横に置く。
瓶を持ち、口でコルクを開けるとその傷口に見合わない量の透明な液体が芽亜利の腕を湿らせる。
「ごめん。」
空になった小瓶を捨て、白い布を解くとその端を宙に浮かせ、芽亜利の腕の上で固定した。
端は魔法で固定し、その続きを残された右手でなんとか巻いていくものの、キツくなったり緩くなったりと上手く行かない。
それでもなんとか巻終わると、最後の端を留めた。
「やっぱり上手くできなかったかも。」
「いいえ、この上ない幸福にございますわ。しかし、私にこのようなことは必要ないように思うのですが...」
「芽亜利も女の子なんだし、そう言う感覚が薄れてるからこそ、俺たちは人より自分自身を大事にしてほしいんだ。」
「女の子...」
芽亜利はぽかんとした表情で座り込むと、何かが切れたように笑い出した。
ある日、エイレーネ王都では美しい灰色の髪を下ろした女性がベットの淵で大きな伸びをして、欠伸をこぼす。
「よし!ゲンジとやらを探しにいくか!!
メイドの者!」
部屋の中でそう叫ぶと、待っていたかのようにメイドが入室し、恭しく一礼する。
「ゲンジとやらを探しにいく!剣聖達に取り次げ!」
「えっと...」
「なんだ、お主も剣聖が嫌いなタチか?まぁ分からんでもないが。」
「他の剣聖様はすでにご出立なされました...」
「へ?」
地の剣聖、アメイリア・ぜミーナは呆気に肩を落とすとタンクトップのような下着はだらしなく下方を向いた。
再会編ありがとうございました。再会編はすこし味方内でこじれましたが、時として立場が人間性を飛び越して拗れる悲しい感じでした。




