第2節 7章 再会編Ⅳ
森を駆け抜け、小高い丘へと続く丘隆が始まる頃になると、日は登り始めていた。
「まぁ、そのうち気付くさ。どちらにしたって君はもうあの子と会うことはないんだ。
せめて挨拶くらいはしておいてくれよ?
今後の取引に波風を立てられてはツバキ君だけじゃなくて国全体の問題になってくるから...」
そういう最中、フォールンはおもむろに霧から抜け出すと、だだっ広い平原の中に立ち尽くす。
それを変に思ったゲンジはそれに釣られ馬の歩みを止める。
「どうやら、そんな悠長なことも言ってられなさそうだね。」
日が登る丘から離れ、まだ月が輝く夜。
宿舎のバルコニーには一人の少年の姿があった。
「あんた泣いてんの?ダッサ。」
「ないてねぇし。」
正吾は街の微かに光る灯りをその目の端に灯らせているのを拭くと、隣に立つ少女を視界に写す。
「信じらんない。ミーシャさんの前であんなこと言うなんて。」
「しょうがないだろ。」
「は?意味わかんないんですけど。あんなことをミーシャさんに言っても何も変わんないってわかんないの?」
「じゃあお前はどうなんだよ。ゲンジがどんな目にあったかって考えたことあんのかよ。」
「どんな目にあったの?」
「それは...酷い目だよ!」
「何それ。」
佐伯は目の前にいる正吾を鼻であしらう。
「だって俺らのダチが、人を殺したんだぞ!何かあったに決まってる!」
「そんなことくらい、私にだって想像できるわ。
でもね、ミーシャさんにそれを押し付けるのはサイテーよ!
ガキじゃないんだから、ちょっとは考えなさいよ。」
正吾は返す言葉を探すものの、口の端を噛み潰していた。
しかし、それでも佐伯は笑う。
「でもさ、あんたは正しいよ。」
「は?」
「わたしは、そうやって暴れんの恥ずいし。」
「何だよそれ!」
「他人に当たるのはサイテーだけど、そうやって誰かを助けようとするのだけはあんたのいいところだと思うわ。」
正吾は突然の出来事に血が沸騰しそうになるのを堪え、月夜に照らされる少女は見つめた。
色の抜けた薄金の髪が風に流れ、柔らかそうな寝着に身を包んだその少女は普段放っている近寄りがたさとはかけ離れた何かを孕んでいた。
「そんなとこにいると風邪ひくわよ。ガキはさっさと寝なー。」
そう言って佐伯はバルコニーを後にした。
「ガキじゃねぇよ!」
正吾は大声で闇夜に咆哮するその声はどこか、高らかで、太陽のようだった。
「長かった....」
暗い夜の中、一人の少女はその翠色の長髪を夜風に流しながら、下に広がる雄大な街を見下ろしていた。
と言うのも、彼女はエイレーネ王都を出発してから、入れ違いにシザーベントの首都を訪れていた。
目的はもちろん、ゲンジという少年の捜索。
つい数週間前になるだろうか、奴隷都市で初めて出会った魔法使いは、ゲンジ。そう呼ばれていた。
丁寧に整えられた黒髪に、体を覆い尽くす厚いプレートはどんな攻撃を受けようともビクともしないのではないかという錯覚に駆られる。
しかし本人はそれほど肉付きも筋骨隆々というわけではなく、むしろあどけなさの残る少年のようにさえ思えた。
ただ一つを除いては。
その一つ、あの圧倒的に感じれ、肌全体が産毛の一本に至るまでが立ち上がり、逆撫でられるようなあの雰囲気。一度敵意を向けられたからこそわかるあのただならぬ感触を、妖精帝エラは今でも忘れることができずにいた。
そしてもう一つ、あの一つの街をたった一撃で破壊したいわば個人が軍に対して一つの戦略として相当する魔法、呼称するならば戦略級魔法ともいうべき高位の魔法を使う少年はただでさえ希少で、自分が知っておくべき人間だった。
それが、大戦における厄災ともいわれる闇の魔法使いの末裔、狂戦士ともなると話はさらに変わってくる。
そう考える最中、脳裏には先代たちの姿が思い浮かんでいた。
妖精族、裏切りの亜人種におけるその一端を担った妖精はもとより人間によって知覚されにくかったことにより、稚拙な魔法しか使えないものの隠密性が高い幻惑の魔法を得意とするエラたちだったが、妖精族のその能力は逆に人間にとっても貴重な戦力となったため魔族側からも一目置かれていた。
そうして生まれたのが、偽りの王。
元より個にして全である妖精だったが、自分たちを知覚でき、かつ自在に魔法を操ることのできるものを王に立てることによって全にして個の存在を生み出すことに成功した妖精族は、卓越した能力を手に入れた。
そしてついに、妖精帝、魔族によって建てられた偽りの王によって晴れて人間の天敵、青龍を撃ち破り、妖精族は人類にとって友好を証明し、妖精族もまた新たな道を歩み始めた。
だが、それもまた長くは続かない。我々が信頼し、頼った人類は魔族同様、愚かだった。
人が人を殺し合い、最後には闇の魔法を寄ってたかって殺した。
その中には妖精族も同様に含まれる。
最初は妖精族であれば独立して防衛できると考えていたが、そうすることができなかった。
狂戦士、あの女が先代の風の剣聖に近づき、その力の一端を得ることで妖精を強制的に見得るようになった。
そうして、妖精族もまた闇の魔法を宿した同胞を失ったのである。
そして最期、先代は同胞たちの恨みを果たすため、狂戦士に立ち向かった。
その時から、すでに闇の魔法使いは少なかったが故にその力もまた強大で、到底一人では立ち向かうなんてできなかった。
しかし、先代はそれでも立ち向かった。結果は自分がここにいることが証明だが、そうすることで初めてそれまで散らばっていた剣聖たちは初めて共闘ということを知った。
それだけ、風というものが持つ意味は重いのだ。
「だから、これで見極める。ゲンジ、闇の魔法使い。」
少女はうっすら上り始める太陽に向かうようにして街の中へと足を向けていた。
ここら一帯は厳しい高山が連なる地帯なだけあって、街は近くに見えていたとしても降りるのが相当厳しいこともあり、街へ入る頃にはゆっくり移動して昼時になってしまった。
エラは活気あふれる街を縫うようにして進んでいく。
そのあまり便利そうにも思えない目隠しのようなものをしても少女は人に当たることもなくすり抜けていった。
その方向に迷いはなく、高山の傾斜の頂上に位置する城に向かっていた。
流石にお腹が空いたのか、エラは酒場に立ち寄ることにした。
外もここ数ヶ月まで瓦礫の山のようになっていた景色が嘘のように変わっていたが、室内もまた圧巻だった。
仮説のような形になってはいるものの、すでに立派な酒場の深みを持っていた。
「おい、嬢ちゃん。悪りぃがここは酒場なんだ、お前さんにやれるもんはねぇよ。」
カウンターの奥から、店のものらしい筋骨隆々とした漢がエラに視線を向け、そう告げるものの、慣れているのか、その静止も受けずにエラはカウンターの前まで歩いてくる。
何も言わず、高い椅子を引き摺り出し勢いをつけて登ると、初めてテーブルにひょこっと顔だけが飛び出る。
「随分強引な嬢ちゃんだな...」
「私は子供じゃない。帝。はいこれ。」
そう言ってテーブルの上に置かれたのは雅な木の葉型のバッヂのようなものだった。」
店主はうすら笑いを浮かべながらその差し出されたものを見るや否や血色を変えて畏まる。
「エイレーネ皇帝、ラインハルト公の印....確かに。」
その木の葉型のバッチの後ろ側にはラインハルト公、エイレーネの後ろ盾を意味するライオンの印が金属を溶かして埋め込まれていた。
「騒がないで。うるさいの、嫌い。」
「は、はい。
では、何に致しましょうか...」
「お子様セット。」
「へ?」
「ないの?」
淡々と問いかけるエラはいつもの様子で店主に問いかけるものの、店主はやはり他国の皇帝に一目置かれるその少女らしき見た目の存在に恐れ慄いているのか、うまく呂律がまわない様子でいた。
「いけねぇなぁ、嬢ちゃん。」
突然に後ろからこれをかける影がエラに問いかける。
「誰。」
「ここは酒場なんだよ。皇帝のお墨付きか何かしらねぇが、郷にいれば郷に従えってもんだ。」
一触即発とも言える挑戦的な発言をしたのは、いかにも酒が回ってそうな威勢のいい男だった。
「そもそもエイレーネのやつは礼儀がなってねぇ。ウェインフリートじゃまず酒場に来たら俺に挨拶するってもんだ。」
「確かに、じゃあ何かあるものでいい。これから宮殿にいく。
酒類は控えたい。」
「へい、わかりました。お心遣い、痛み入ります。」
「そうだ、わかってんじゃねえか、ガキンチョ。
ところでお前、何でわざわざこんな時にシザーベント城になんか用があるんだ?」
「ウェインフリートの人?」
「俺か?いかにも、俺はウェインフリートの建造魔法部門の」
「ゲンジという男を探しに来た。」
「人の話ぐらい聞けぃ...まぁいいか、そんで、ゲンジさんに何のようだ?」
「ゲンジが、いるの?」
「いるも何も、俺らの大将だ。
おりゃああんなカッケェ奴いねぇと思ってなぁ。俺ら下っ端を導く立場だけどよ、俺らが寝てる時一人で作業してたりするいい人なんだこれが。
俺にはわかる。あのおっかねぇ顔の下にはとんでもねぇ優男がいるってな。
どうりであんな別嬪さん何人も釣れてるわけだ。
俺に言わせりゃ、そこらでのさばってるだけの貴族より、ああいう上も下も分け隔てない人が人の上に立つべきなんだよ。」
「ゲンジは今どこ。」
「あ?ゲンジさんなら今アヴィルトツカに進行中だぜ。
俺らはここで、ゲンジさん達が帰ってきた時に驚かせられるように今日も仕事ってわけよ!」
奥からウェイトレスらしき可愛らしい制服を着た女性が出てくると苦笑い気味にエラの方へと食料を運んでくる。
「何が仕事よ。朝からここで飲んでるくせに。」
「うっせぇ、俺は今日は休みなんだよ。」
「休みが、ある?」
「おうよ、そうなるだろ?休みがあんだよ。驚きだよなぁ。
エイレーネの奴らも対抗して休みを作ったらしいけど、もともと用意してた人員が少なくてかなり大変らしいぜ。」
「それはすごい...」
男は自分のことでもないのにも関わらず誇らしげな様子を見せると、エラは食べ物を口に運んだ。
食事を終え、城へ向かうとそこには教えてもらった通り誰一人としていなかった。
「いかが致しましたでしょうか?」
奥からメイドらしき人物が小走りに走ってくると、恭しく一礼し、エラの元へと歩み寄る。
「私は、エイレーネから来た。ウェインフリートのゲンジに会いたい。」
「大変申し訳ございません。そのような方は...」
「知らない?」
「ええ...」
「わかった。じゃあ、ウェインフリートの人は?」
「それも大変恐れながら、アンリエッタ王女と共に、アヴィルトツカへ戦に...」
「そう。わかった。」
「あの!」
振り返り、城を後にしようとする少女の背を引き留めるようにしてメイドが声を張り上げる。
「その容姿、風の剣聖様とお見受けしました。
何故あなた様がこちらにいらしたのかは、私の未熟な頭ではお察しすることができなく、大変申し訳ないのですが、どうか、あなた様の力を、我が姫のためにお使いになっていただけませんか?」
メイドが顔を上げ、再びその少女の姿を視界に収めようとした時には、その少女はすでにその場にいることはなかった。
風を切り、飛び上がり、目にも止まらぬ速さで宙を舞っていく。
「妖精さん、私を連れて行って。」
飛び上がり、浮遊し、次々の岩を蹴ってこえていった。
こうして、エラは月が傾き、夜になる頃になる頃にはカルマッタの丘、テント付近の森へと足を進めたのだった。
「うぅ、大変だった。」
高山が連なるシザーベントはやはり移動が大変なのか、地図上ではある程度距離のない移動でもかなりの時間と労力を費やしてしまったのだった。
しかし、これでやっとゲンジという少年のいどころが掴める。
決して殺したい訳ではない。だが、彼もまた、闇の魔法使いかもしれない、ただでさえ強大な魔法の持ち主で、今の自分は下の者達に人格者と言われるものにとんでもない無礼を働こうとしている。
帝を名乗っている自分として、自分の立場、自分の納めるもの達に不利にならぬ様立ち回るのは当然で、ましてや、もし自分の陣に彼を引き入れることができたならば、あの忌まわしき存在さえ...、
と心を燻るが、それ以上に彼女は剣聖という立場に縛られる様に、その心を静かに灯した。




