第2節 7章 再会編Ⅱ
ゲンジは懐に仕舞い込んでいたただのナイフを立て、背後に回り込んでは背中からのしかかり、首元をその腕一本で器用に描き切っていた。
褒められたものではないが、所作に美しさを覚えるほど、その動きに無駄なところはなく、次々と敵を斬っていった。
しかしそのどれもが地面に墜落することはなく、自分の血に溺れもがき苦しみ、体から力が抜けると、それを支え音を立てないように静かに床に寝かせていく。
額にかかる鮮血をそのままに、黒い鋼鉄にどんどんと血肉が覆い被さっていく。
二人は城壁の上面、階段を降って廊下を歩く者たちを完全に無力化すると、兵士たちが詰める部屋の前に二人横並びになる。
中では灯りが付いており、まるで外で起きている地獄の景色など想像もしていないかのように笑い声が漏れていた。
二人は目配せをすることなく、ゲンジはかすかに戸に隙間をもたらす。
光を避けるかの如く、隣に立つフォールンの姿が霧の姿へと地面に落ちていくとその隙間からゆっくりと侵入していった。
兵士たちはボードゲームをしながら賭けをしているのか、机の上には札束が並べられながら、木製でできた駒を動かすゲームを進めていた。
「よっし!これで俺は安泰だぜ!!」
嬉しそうに駒を動かす兵士。
賭けに有利に働いたのか、楽しそうなその表情はただ動かす駒の先だけを見据えていた。
そして顔を見上げながら言い放つ
「おい、見たか!これで俺も....」
刹那、目の前に座っていたはずの兵の一人が血を溢れさせながら床に落ちていく。
その名状し難い出来事にまるで時が進むのをやめてしまったかのような衝撃的な静寂が襲う。
突然の出来事に、思わず肺に空気を取り込もうと、胸が隆起する。
スッと音が耳を抜け、肺の圧迫を感じると一気にその咆哮で喉を震わせようとした時、とてつもない痛みとともに声にならない水に溺れたように熱い熱を流し込まれては押し返し、赤い泡を吐き出す。
振われることのない喉にこれ以上ない苦しみを覚えると初めて自分の体が動かないことに気づく。
いくら空気を吐き出しても、泡が弾ける僅かな音しか生まれない。
それどころか喉はどんどんと熱を持ち、凄まじい痛みが襲う。
おかしい。
兵士はそう思うと、喉のあたりに手を置く。
水が地面に落ちる音を聞き、肌の上を水が滴る感覚を覚えながらも、苦しすぎるその水疱を掻き出そうと手を当てて、初めて気付く。
溢れ出る怒り、焦燥、悲しみさえ生まれない激情の応酬に包まれながら、兵士の司会は地面に倒れる触覚のない視線と、目を這う鮮血に立つ一人の黒の姿。
そしてその黒が自分を覆い尽くすかの如く自分の視線さえ閉ざされてしまったのであった。
「霧散化も随分と使いこなせるようだね。」
「俺がじゃありません。狂戦士が使いこなしてるだけです。」
「まぁ、どちらでも構わない。とにかくこれで城壁は無力化できた。次は内地に入ろう。
きっと夜襲を警戒して街の中にも多くの兵がいるだろうね。」
ゲンジは頷く。
「おいお前ら、交代だぞー。」
また違う扉、下の階段へと続くであろうその扉を開け、一人の兵士が襲来する。
その視界が開け、足元が鮮血に塗れ同僚達の無残な姿を目に捉えた次の瞬間
ゲンジは切り落とされた左腕を兵士に向け一瞬で半身の体制になる。
その刹那、腕の端端から蔦のようなものが生まれ、一気に兵士の体を引き込むと、ナイフの持ち手を変え、胸ぐらを掴み間髪入れず机の上に叩き伏せる
込めた空気が凄まじい衝撃と鈍痛で大気の中に溶け出す。
だが次の瞬間には兵士の鮮血もまた、床に流れる同胞達とともに混ざっていくだけであった。
体を動かすたびに突くような鈍痛が腹部を襲う。
これで何回目だろうか、篠原は顔を顰めながら起き上がると、ショーツをめくり腹部を触る。
その返答はじんわりと広がる鈍痛によって返されると、おもむろに立ち上がる。
氷が足りなかったのか、どうしても痛みが引かない。
仕方なくはあるものの、宿主に相談すれば多少は力になってくれるかもしれないと、申し訳なさを感じながらも篠原はしっかりとした衣服をき着始めた。
この世界に来てからというものの、就寝の格好でさえ、ネグリジェのような無防備な姿にはなったことがない。
あの日自分が襲われてからというものの、支給された厚手の皮でできたライトアーマーまでを着なければ落ち着かないのだった。
階段を下り、玄関口のあたりまで来て初めて、その夜がかなりふけ、月が頂点を回っていることに気づく。
深い闇だけが篠原の周りを包み込む中、やはり辞めようと決心すると、せめて気分を変えたいと外に出る。
夜風に当たるのはやはり元の世界よりもきもちい。
シザーベントという冷気に満ちた噴き下ろしが夏の火照った体を冷たく撫でる。
だが次の瞬間、その女は一気に城壁の方へと視線を向ける。
かすかに音がしたのか、集中もしていないその穏やかな時間、風に乗って本能的に反応してしまった最も嫌悪する何かを感じ取ったのだった。
篠原にとっては決定的な変化の日となったあの日、関わったこともないものに身を預け、赤の世界、肉に血、白い骨、咆哮、嘆き、苦痛。
その全ての憎悪が織り混ざった臓物の世界が広がる光景は今でも思い出したくない焼け跡だった。
そんな衝撃的な体験が脳裏にこびりついた結果、篠原はわずかに風に乗って流れてきた匂いと、集中していなかった間に起こったかも知れなかった音に懐疑的になれた。
その静寂は時間を追うごとに段々とその赤のにおいが鼻腔を抜け、僅かなものが僅かなものへと変わる中にもそれが血なのだと確信を持ち始める頃に、視線の端で何かが駆け抜ける。
月夜に照らされ、風だけの波が耳を抜ける。
残ったその黒い煙の切れ端だけが照らされる光の下で風と共に踊っていた。
気付く頃には、篠原は腹を抱えながら街の中央、城の待つ方面へと走っていく。
それは、違うかもしれない。
ただ少しでも可能性があったのかもしれない。
そんなことなど気にも留めていない篠原だったが、ただただ鈍痛に耐えながら走っていく。
道を横に変え、何かが通った通りへと並ぶと、再び中央に向かって走り始める。
その設計し尽くされ、中心から放射状に伸びた街並みを駆け抜けていくうちに、衝動が少しずつ革新を帯びて、理由へと昇華していく。
鋼鉄に覆われた肉を超え、紅を超えていくうちにも、ての下で広がる鈍痛は絶えず止まることを訴えかけてくる。
息が上がり、心臓の鼓動とともに痛みが拍動に圧迫されるように強くなってくる。
それを庇えば庇うほどに拍動は暴走し、腹が暴れる。
だがそれでも彼女は走り続けた。
それが報われたのか、あるいは報われなかったのか、たどり着いた城門の下に倒れる兵士たちを見ると、やはり自分の感は正しかったのだと証明できた。
暗い街中を抜け、門を超え、入り口を潜るとその玄関口は白を基調としているのか、月が傾く夜空でも僅かな光を感じるほどだった。
「さて、ここからが問題だ。何も情報はないからね。しらみ潰しに探すほかない。
ここからは二手に別れよう。」
フォールンはそう言うと、下を指さすと虚空に消えていってしまった。
ならば自分はと柔らかい絨毯の上を歩いていく。
煙の姿になっても機動性というものはあるため、厚い甲冑は着込んではいない。
代わりに黒く、ふくらはぎあたりで切り離された動きやすいローブを纏っていた。
その気になれば甲冑やローブ、ありとあらゆる格好になることはできるものの、隠密に長け、動きやすい服装はこのほかにない。
固有武器も出さず、ほぼ丸腰ではあるものの、以前のように怯えた様子はなく、ただ気配を闇に溶け込ませ、ゆっくりと浮遊する大気をすり抜けていく。
一部屋一部屋のドアに手を当て、その真を確かめる。
鍵穴から影のような糸がスッと中へと入る。
使用している魔法は闇の魔法と植物魔法を掛け合わせたもので、自分の領域を伸縮させることで部屋の中にある気配を感じ取る魔法だった。
ゲンジは暇さえあれば近くにいる人たちの魔法を教えてもらったり、試したりしていた甲斐があったのか、すでにそのどれもが実戦レベルだった。
だがそれはまた、狂戦士のおかげでもあったことを本人が1番理解していた。
廊下を進む中で、なかなか目当てのものが見つからない中で心の端に獲物をフォールンにとられたのではないかという疑いが見えてきた頃。
1番奥にある部屋の前に立つ。
そのドアに手を触れようとした時、手に握られたナイフは持ち方を変えることがなかった。
中から僅かに光が漏れ、かすな喋り声が聞こえてくる。
ゲンジはその声と気配に集中していくと、やはりその先には人がいて、二人が一つの瓶、2つのコップを前に向かい合い、笑い合っていた。
だがそれだけではその相手が本当にオクレイマンという人物かどうかはわからない。
だからといってこの人物を逃すわけにもいかなければ、悪戯に人を殺すことだけは避けたかった。
雅な身なりの二人が何やら壇上に花を咲かせ、酒を飲み、笑い合っている気配がひしひしと伝わってくる。それはこちらが火傷してしまうほどに悠久の時の時間を持っていた。
ゲンジは戸から少し離れ、とある一室に迷いなく忍び込む。
とある一室は長椅子と長椅子が向かい合いに配置され、何やら話し合いの場を設けるような部屋といえた。
その橋にある腰の高い卓の上にあるガラス作りのボトルを手にする。
そして再び戸の前にそれを置くと、トントントン。3回程ノックをすると、その姿は闇の中へと消失していった。
「ん?誰か来たようですな?」
「どうせメイドか何かでしょう。あぁ良いですよ、ルーディア殿は今日の主賓、我らをお守りくださったのですから。」
若干呂律が回っていないものの、陽気な雰囲気のままドアの近くまで歩み寄ってくる音は千鳥足なのか、少しおぼつかない。
ドアが開き、外の光が暗く閉ざされた闇に線を描く。
「なんだ?いないではないか。」
オクレイマンはだいぶ酒気を帯びているのか、鼻の先から頬までが赤く血が通っていた。
すると、不審に思ったのか少し周りを見渡すと、足元に置かれた瓶が視界に入る。
「おぉ、気が効くではないか。」
それを拾い上げ、ラベルを覗く。
丸く太った中年の贅肉が喉を押し上げ、屈む声が漏れる。
そのラベルを部屋の光に透かす。
中にはブラウンの艶やかな液体が揺れていた。
「なんだこの安酒は!こんなものをよこすとは。」
気に入らなかったのか、いつもの声量なのか、静まり返る廊下に咆哮する
「いやいや、良いではないか。オクレイマン殿。
我々もこの国の事情は重々承知していますよ。
また、奴隷たちを作る手筈が整ったときに、もっと良いものを飲みましょうぞ。」
とのあたりまでやってくるその男はふくよかではないものの年相応の厚みが備わっていた。
戸を閉め、再び二人の席に戻るも、その安酒をお互いのグラスに注いでいく。
「また奴隷を、ですか。」
「どうかしましたか?」
オクレイマンは注いだ茶色の輝きを透かしながら言葉を零す
「あの女王さえいなければ!私は今でも!」
「だから良いではありませんか。我々連合小王国が、あなたをまたあの場所へと導いてみせますとも。
それに、女王はすでに死に、今は幼い少女が指揮を取っている始末。
いくらエイレーネとウェインフリートが束になろうと、我々が蓄えたピラーの数の前にはこの国のことを捨てざるを得ませんとも。」
ルーディアという男はそう言って一気にグラスの中身を傾ける
「ハハハ!まだまだ現役ですな!ルーディア殿!」
陽気な雰囲気が流れ始め、それに流されるように、オクレイマンもグッとグラスを一気に傾ける。
喉が焼けるような熱い液体が喉を震わせ、体が高揚する。
血が沸騰するように、引っ叩かれたかのように目が冷めていく中、視線を天井から対面に座る男に向けると、上がりきた自分とは裏腹に、ルーディアという男の頭は地面を剥いていた。
「おや、寝てしまいましたかな?」
流石に飲みすぎた自覚があったのか、オクレイマンは確認しようと男の前まで根を伸ばす。
次の瞬間、心地よく和らいでいた酒気が一気に引き戻される。
鎧を脱いだブラウンの服の上には黒い鮮血が滴り、水に濡れたような衣服が黒い光を反射しながら重力に従い広がっていた。
「これは!」
その刹那、胸のあたりを強い衝撃が襲い、気付く頃には自分の視線は真っ直ぐ天井を見つめ、その視界の中心には覗き込む一人の少年の姿があった。
「貴様ァ!!」
「お前が、アヴィズダー・オクレイマンか。」
「この野郎!こんなことして、許されると思っておるのか!!」
「許される?誰に?
お前の方こそ、数えきれぬ多くを手にかけ、生きながらにしての死を与えていただろうに。」
「貴様、誰だ!」
「ゲンジ。1年前、ピラーになった男だ。」
オクレイマンは苦悶の表情を浮かべながら不敵な笑みを浮かべる
「ああ、知っているぞ。闇の魔法使い、ゲンジ。
我らが王を斬り、世界に混沌をもたらす者。
今度は我を殺すというか。」
「そうだ。」
「あの少女ではこの国は救えない。
冷気に愛され、我らを育む地さえその冷気のごとく冷たくあしらう。」
「民のことなど関係ない。我々は正統な血統のもと、再びこの国が立ち上がればいい。
むしろ、なにもできない方が都合がいいと思わないか?」
「悪魔め...」
ゲンジは不敵に口角を上げる
「仮に私が死んだとて、第二第三の私が出てくることもわからんのか。」
「お前を殺せば終わるだなんて思っていない。そいつらも、全員殺してやる。」
「クソ野郎!!」
次の時が流れる頃には視界はすでに閉ざされていた。




