第2節 6章 争乱編Ⅳ
ある夜空の下、一人の姿が風を切り裂いて颯爽と走っていた。
「急げ、急げ。」
呑気な口調ながらも、足並みだけは尋常ならざるスピードでかけて行く姿は、目元や手元などを美しい布で覆った翠髪の少女だった。
少女は今、シザーベントへと足を向けていた。
理由はもちろん、ゲンジに会うため。
と言うのも、彼女には理由があった。
ヴィルヘルムが血眼になってゲンジを捜索し始めたこと。それだけでも、十分エラが少年を気にかける理由にはなったが、それだけではない。
それは、彼女が纏わせている妖精をヴィルヘルムに付けた時、少しでもゲンジに関する情報を詮索した時、信じられない情報が飛び込んできた。
水の剣聖と火の剣聖が手を組み、シザーベントへ向かおうとしている。
なぜ水の剣聖がゲンジを探し当てたのかはわからない。だが、彼は紛れもない彼の居場所を掴み、先制攻撃を仕掛けようとしているのだ。
決して、少年を庇いたい訳ではなかったが、エラの中で少しでも彼に恩返ししなければならないと思っていた。
それは、代わりに死者を弔ったからでも、獣人の少女を殺したからでもない。
だが、このやり場のない心の疼きを、彼という一人の人間に少しでも何かしてあげたいと、純粋な気持ちだけが、彼女を駆り立てたのだった。
「妖精さん、ごめんね...」
少女の足は月の光のせいかわずかに色を帯び、その回転は目にも止まらぬ速さで景色を線の世界へと誘っていた。
微睡のなか、ゆっくりと意識が浮かび上がると、体が拘束されたように固定され仕切っている感覚が全身を襲う。
その感覚に強ばり、意識が一気に覚醒すると、目を見開く。
しかし、その飛び起きた心拍音はみるみるうちに再び規則正しい音へと戻って行く。
「こいつ、何してんだ。」
目の前にはだらしなく惰眠を貪る少女がゲンジの腕を体に抱え込んでいた。
少し力を入れて引き抜こうとしても、寄せられた柔肌の拘束に阻まれ、出ることができない。
唯一動くことができた指先と、手首を動かした次の瞬間
扇情的な声が耳元で囁かれる。
ゲンジは深いため息をつくと、手を動かすのをやめ、天井を見つめる。
今度は左に視線を送ると、またも安らかに眠る芽亜利が規則正しい寝息を立てていた。
「芽亜利、起きてるんだろ。」
「寝てますわ。」
「おい。」
「乙女を起こすときは目覚めのキスが相場と決まっております。」
小声で首元に巻き付けられた腕に力が入ると、二人の距離はさらに近づく。
「いい加減にしてくれ。暑苦しいだろ。
「もう、どうしてこう可愛らしくないのですか?昨日はあんなに甘えていらしたのに。」
その言葉に、ゲンジは硬直で答えるしかできなかった。
ゲンジは芽亜利の首筋に潜り込むと、芽亜利は満面の笑みのまま拘束を解いたのだった。
「じゃあ、今横で寝たふりをしてる小娘にその手を離してもらいましょ?」
芽亜利が起き上がり、源二が反対を見るとそこには目を開けたペトラが寝たままゲンジの手にしがみついていた。
「ねぇ、ぎゅーして。」
目を瞑りながら、そう話しかけるペトラはゆっくりとその手を離し、拘束を解いた。
ゲンジはその姿に、不可解さを覚えたものの、同時に納得もできた。
今からするのは、単なる殺し合いだ。
いつ自分が死ぬかもわからない戦場の前に好きな人に想いを伝えたいのは当然のことだったのだと、すぐに悟った
「おいで。」
二人の体の距離がゼロに近くなると、自分の暖かさとは違うものが肌をこして染み渡っていく。
「どうしちゃったの、急に。」
「喋るな。くすぐったい。」
ペトラはゲンジにのしかかるようにして、まだ眠そうな様子だった。
それでも二人はゆっくりと流れる時間を過ごしていたが、その悠久のときは長くは続かなかった。
「ペトラ?時間よ?」
垂れ幕が持ち上げられ、その向こうからまだ登りかけの日の光が差し込む
「ほら早く起きて。って、何してるの...」
エレーナがテントの中に入ってくると、恥ずかしかったのかペトラはゲンジを跳ね除けると、さっさと嘲笑うような表情を浮かべるエレーナを押して出て行ってしまった。
ゲンジはベットから起き上がると、それに続くように芽亜利と共に外へと向かった。
一行はシャルロットの主導のもと、カルマッタの丘へとたどり着くころには、狼煙のようなものが、丘下に聳えていた。
ゲンジはその最高峰、丘の天からその様子を見下ろす。
自陣の兵は戦いの準備を忙しなくおこなく中、シャルロット一行とゲンジ一行は敵の拠点を見つめていた。
「本当に、カルマッタの丘に...」
シャルロットの予定していた順路のまま進めば、遭遇戦のような形になっていたであろうことが、わざわざ日の登る前に出立し、有利な位置に陣取ることができた反面、彼女はまたウェインフリートの諜報能力の高さに肝を冷やしていた。
そして再び、その知らせをしたものは昨夜のうちに再び姿を消して行った。
「これが、第三権の力...
じゃない、今は目の前のことに集中よ。
向こうは幸いまだこちらには気付いていない。
恐らくだけど今は撤収の準備の最中のはずよ。
仕掛けるなら今ね。」
ゲンジは咄嗟になのか、瞬発的に前へと一歩歩みを進めると、その手を掴まれる。
その手を掴んだ主に目をやると、シャルロットが怪訝な表情を浮かべていた。
「ちょっと、何するつもり!?」
その言葉と共に芽亜利やペトラはクスクス笑みを浮かべていることに、ゲンジはやっと気付く。
反射的に、自分が先陣を切ろうとしていたことに今になって気付いたのである。
「いい加減なことしないで頂戴。いい?離した通り、采配は私が行うわ。
エレーナさんはゲンジ様を見ていて。
ペトラとブラッディーメアリー、貴方達は戦況が厳しくなり次第、出てもらうわ。」
「ええ!」
ゲンジの話す言葉もないままみるみるうちに手筈通りに話が進んでいく。
「ヒューノ、みんなを用意させて!いくわよ!」
すると、近くでその会話を聞いていた貴族が驚きの表情で問いかけてくる。
「ちょっと待ってください!作戦の方は!無策で飛び込むのはあまりに!」
「無策じゃないわ。
突っ込んで、踏み潰す。これが、作戦よ。」
シャルロットはその相貌に強い閃光のようなものが宿ったかのように敵の本拠地を強く見据えていた。
「シャルロット様!全軍、配員整いましたですぅ!」
ヒューノはこの数分のうちに走り回ってきたのか、シャルロットの前にたどり着く前に転んでしまっていたがゲンジの目にはその姿がなんだかかっこよく写っていた。
整列する兵達の最高峰、1番高い位置にシャルロットが立ち上がる。
「こんな、他の人たちにいいとこばっか見させられて、私たちのメンツ丸潰れじゃない...」
小さな声の怒りは他の者達に伝わることなく、シャルロットの降り出した剣先によって静寂が切り崩される。
「見てなさいよ、ゲンジ!これを!天におわします我らが父、かの者に燃え尽きることなき炎の鉄槌をお与えください!アストラル・フレア!!」
シャルロットから伸びた細く、光り輝く白銀のつるぎの先から、段々と紅の魔法陣が生み出されていく。
詠唱が続いていくごとにその姿がくっきりと見えるようになった次の瞬間。
目に追えてしまうほど、あまりに低速すぎる小さい火の玉が大気の中に打ち出される。
誰もが心の端に思っていた火球の姿、ヒョロイその火の玉が敵の陣地向けて弧を描くようにして飛んでいく。
ある意味度肝を抜かれるその魔法に自陣の兵さえ、呼吸を忘れていた。
その刹那、敵の陣の上空に着弾したかどうか、肉眼で見えなくなるほど遠くなった次の瞬間
ゴオオオオォォォ!
激しい炸裂の地響きと赤く燃え盛る大地、熱風がゲンジ達の肌を撫でると、兵士たちは一気に両手を上空へと突き上げる。
「ッシャアアアアアア!!!」
様々な声を挙げ、自身の気を鼓舞する。
「皆のもの!好機は今!我らに讐なす愚かなものに、蹂躙とは何かを教えてやれ!!」
オオオオオオオ!!!
その雄叫びと共に土埃を挙げ、敵陣へと突入していく。
その姿たるや、地鳴りたるや、いかなる魔法よりも恐ろしく、絶望そのものだった。




