機械仕掛けの神(9)
〈裁きの門〉が呼んだ豪雨は深夜まで降り注ぎ、明日も一日雨が降り続くだろうと天気予報でいっている。
「雨の中、わざわざ集まってくれてありがとう」
千歳はそう言いながら楕円形のテーブルに座る者を見渡して言葉を続けた。
「とは言っても、集まってくれたのはわたしを含めて三人。集まったとは言っても、ルシエルは相変わらず中継で参加、三人が欠席、欠員がひとつ。まったく、ドゥ・ラエルが聞いて呆れるわね」
実際にこの会議室にいるのは千歳とハイデガーだけであった。
「ガハハハ、俺がいれば他の奴らなどいらんだろう」
ハイデガーは上機嫌であった。
堕天者の中にも地位というものがあり、その地位は楽園にいた頃の地位が繁栄されることが多いのだが、地上では楽園とは違い、その地位の変動が激しい。堕天者の中でも地位が高い者たちはドゥ・ラエルと呼ばれるが、その中にも上下関係がある。
七人の堕天者が同盟を組んだアンチ・クロス。その中でのハイデガーの地位は下であったが、今回の働きを考えると地位が上がる可能性は高い。しかし、千歳はそれが気に食わない。
「あの鴉を捕まえたことは認めるけど、スラム三番街を消失させた責任はとってもらうわよ」
「責任だと? どうせあそこは更地にする予定だったのだろう。手間が省けていいではなか」
「ふざけないでよ、あんな大事件起こしておいて、後の処理がどれだけ大変か考えてみなさいよ。あの事件のせいで当分の間ヴァーツに目を付けられてしまったじゃない!」
「ヴァーツに目を付けられているのはいつものことだろう!」
互いを睨みつける千歳とハイデガーの間にスピーカーからの声が割って入った。
《二人とも止めろ。スラム三番街で事件を起こしたことは問題だが、鴉を捕らえたことは功績が大きい》
千歳とハイデガーはモニターに映る顔を見て、すぐに興奮を抑えて沈黙した。
モニター越しに会議に出席しているのはツェーン――ここではルシエルと呼ばれていた。
ハイデガーが鴉を捕らえた功績は大きい。しかし、千歳には反論があった。
「そもそも、ルシエルがゾルテを止めていれば鴉を代用にする必要はなかったのではないの? あなたが自分で行くと言ったのをお忘れかしら?」
《他のヴァーツが先にゾルテを見つけたうえに、〈裁きの門〉を開けられてしまっては余にできることはない》
千歳は『そんなのは言い訳にしか聞こえないわ』と言ってやりたかったが、そこまで口にする力はなかった。アンチ・クロスで最も地位が高い者――それがルシエルであった。
ルシエルはアンチ・クロスの創設者メンバーであり、当初のメンバーで今も残っているのはルシエルと千歳だけである。そのため自然とルシエルと千歳の地位は高くなるのだが、千歳の前に聳え立つルシエルという壁は異常なまでに高い壁であった。
唇を少し噛み締めた千歳はハイデガーに顔を向けた。
「三番街のことは忘れてあげるわ。それよりも鴉はどうなったの?」
ハイデガーの代わりに答えたのはルシエルであった。
《鴉は余の研究所で核のまま捕らえてある。〈Mの巫女〉が見つかるまでは核のままでいてもらうことにする。リリス、〈Mの巫女〉の選定は終わったのか?》
「〈Mの巫女〉は見つかったわ、けれど、所在が掴めないのよね。その〈Mの巫女〉がスラム三番街にいたらしいから困っているのよ。もしかしたら、死んでるかもね」
そう言って千歳はハイデガーを睨みつけた。だが、ハイデガーも負けじと睨み返す。
「おまえが俺に仕事を委託したのだろう!」
「更地にしろって誰が頼んだのよ!」
千歳とハイデガーは自分の席を立ち上がって、互いを殴りかかりそうな勢いであったが、スピーカーから聴こえた咳払いによって二人は拳を握り締めながら席に座った。
《〈Mの巫女〉が死んだと決まったわけではない。それで、〈Mの巫女〉はどのような人物だった?》
ルシエルに問われた千歳はすぐさまコンピューターを操作して、3Dホログラム映像でひとりの少女を映し出した。
会議テーブルの上に投影された少女の映像を見たハイデガーが思わず声を張り上げた。
「この娘、この娘、見たことがあるぞ! 俺が鴉を捕らえた時に一緒にいた娘だ!」
「なんですって!?」
偶然にも〈Mの巫女〉が見つかった驚きもあるが、それよりもハイデガーに手柄を取られたという落胆の方が大きく、千歳は肩を落して椅子に深くもたれかかった。そこに追い討ちをかけるルシエルの言葉が続く。
《ならば、〈Mの巫女〉の件はハイデガーに任せるとしよう》
「ちょっと待ってよ、それはわたしの仕事――」
再び席を立った千歳の言葉をルシエルは遮る。
《リリスには〈アルファ〉の調整を行ってもらう。異存はないな?》
「あるわよ、〈アルファ〉の調整はとっくに終わってるじゃない!?」
声を荒げる千歳を見てハイデガーが声を押し殺してクツクツと笑っている。
画面に映し出される映像とともにルシエルの声には表情がなかった。
《〈Mの巫女〉の剣であり盾である〈Mの騎士〉がゾルテから鴉へと代わったのだ。〈アルファ〉を起動させるにはそれなりの整備が必要だろう》
巨大都市エデンの地下に眠る巨大コンピューター〈アルファ〉。巨大コンピューターと言っても、実際は巨大なヒト型をした兵器――いや、神を模った兵器である。〈アルファ〉とはアンチ・クロスは長い年月をかけて創り上げた人工の神なのだ。
〈アルファ〉を完全体にするためには〈Mの巫女〉と〈Mの騎士〉と呼ばれる存在が必要であった。しかし、そのことについてハイデガーには気がかりなことがあった。
「ゾルテから鴉に〈Mの騎士〉が代わっても不具合はないのか? 今の鴉が以前の力を持っていないことは戦った俺が知っている。あれは違う、違う存在であったぞ。まさに輝きを失った鴉であった」
《問題ない。鴉は余に匹敵するやもしれん存在。〈Mの巫女〉は〈アルファ〉の生贄である制御装置、〈Mの騎士〉は〈アルファ〉の動力源となる――鴉にはその器がある。〈Mの巫女〉には特殊な遺伝子構造を持つ者が求められるが、〈Mの騎士〉は〈アルファ〉を動かせるだけの強大な力を持つ者ならば誰でもよい。何も問題なく事は進んでいる、二人は自分に与えられている使命を果たせばいい》
いつからこのようになったのかと千歳は思う。いつから自分はルシエルに命じられてしまう立場になったのか。楽園での地位は確かにルシエルの方が上であったが……、これでは対等の同盟関係とは言えないではないか。
千歳は深く息を吐いて、『……まだだ』と心の中で呟いた。
「堕天者が会議をしても碌な会議にならないことはわかっていたわ――いつものことだもの。今日はお開きにしましょう、お疲れ様」
会議テーブルに片手をついて、千歳は俯いたままもう片方の手で出口を指し示した。
ルシエルの通信は切られ、ハイデガーも会議室を後にして行った。
残された千歳は俯いたまま唇を噛み締めている。身体が振るえ、怒りが込み上げて来る。自分はまだルシエルの掌の上で踊らされている。そのことが彼女のプライドを酷く傷つけていた。
身体が火照るように熱い。聖水を欲している。怒りが渇欲に変わり、欲情に変わる。
千歳は舌なめずりをして急いで部屋を出た。
深夜のスコーピオン社には人は居らず、深々としている廊下はほとんど暗闇に近いほどの明かりしか点っていない。
近くに人でも歩いていればすぐにでも吸血行為を行いたい。そう思うと千歳の身体は発作によって震えた。
廊下の奥からライトの光が千歳を照らした。
千歳にライトを照らしたまま近づいて来る人影は警備員のものだった。
「社長? こんな夜遅くにどうしたのですか?」
「これで我慢してあげるわ」
千歳は女性の聖水を好んで呑む。だが、目の前に立っているのは男。それでも千歳の手は動いていた。
長く伸びた爪が太い首を締め上げ、男は声をあげる間もなく首をへし折られた。
千歳は無我夢中で男の首に噛み付き、肉を喰い千切りながら大量の血を喉に流し込んだ。
口から零れる紅い雫を舌で舐めた千歳は徐々に精神を落ち着かせていった。
床に転がる男はエスに変異して怪物になることはない。もう、すでに息を引き取っているからだ。
甘い吐息を漏らした千歳は再び歩き出し、隠しエレベーターのある場所まで向かった。
エレベーターは社長室の中にあり、デスクに隠されたボタンを押すことによって壁の中から現れる。
隠しエレベーターは地下に降り、一瞬止まったかと思うと横に移動する。この時のエレベーターの速度は時速一〇〇キロメートルを超えて移動している。
キャンサー社ビルが建つ敷地内からはすでに出ていると思われる。いったいどこに向かっているのだろうか?
エレベーターは緩やかに速度を下げて、やがて止まるとドアを左右に開いた。
巨大な格納庫のような場所。
千歳の足音が反響する金属やコンクリートでできた床。
どこからか微かにモーターが回転するような音が聴こえて来る。
千歳の足が止まった。
ゆっくりと首を上げる千歳の視線の先にはライトアップされた巨大な何かがあった。それは巨大なヒト型をしたロボットであった。
ヒト型と言っても、顔や手足や胴といった部位があり、二本足で立っているだけで、その姿は人間には似ても似つかなかった。これがスーパーコンピューター〈アルファ〉だ。
〈アルファ〉のボディには曲線が少なく、塗装も施されておらず灰色をしている。ただ、所々に向けられる血管が浮き出たような模様からは蒼白い光が淡く輝いている。
〈アルファ〉を見上げる千歳の口が綻ぶ。
「これはわたしの物……。そして、これを使ってわたしが王になるのよ」
千歳の静かな笑いが格納庫の中に響き渡った。




