機械仕掛けの神(7)
炎を纏う巨大猫との戦闘は遠距離線を強いられていた。自らの肉体を武器にする戦闘を得意とする夏凛には不利な戦闘である。
背後からの援護射撃は巨大猫に命中するものの、その行為は巨大猫の神経を逆撫でする行為でしかなかった。
怒り狂う巨大猫は鋭い爪を夏凛に向ける。
炎を纏った猫の手は大きく振りかぶられるが、夏凛は軽やかなステップでそれを躱す。先ほどからこの繰り返しだ。新たな援護が来ない限り、状況は打開しそうもなかった。
夏凛は大鎌を構えるが、柄の長さよりも巨大猫を包む炎の方が大きい。これでは手の出しようがない。
その時だった、どこからかサイレンの音が聞こえる。ふと、その方向を見た夏凛は静かに笑う。
サイレンが止まると同時に赤い車体は止まり、中からすぐに消防士が降りてくるや長いホースを構えた。
巨大猫とじゃれ合いをしていた夏凛が素早くその場から離れると同時に、巨大な炎の塊に向けて放水が行われた。
危機感を覚えた巨大猫は逃げようとするが、その身体を包み込んでいた炎は弱まり、風前の灯となっていた。
逃がすまいと素早く動いた夏凛は大鎌を天高く振り上げて巨大猫に突き刺した。だが、巨大猫が激しく暴れ、夏凛は思わず大鎌から手を放してしまった。
鎌が突き刺さったまま逃げる巨大猫からは血が滴り、それを人間とは思えないほど瞬発力で夏凛が追い、巨大猫の鼻先に立つ。
「逃がさないよ」
夏凛の口から発せられた声は空気を凍らせ、その顔には慈悲の欠片もない。
大きく振れた夏凛の脚が巨大猫の顔面に炸裂し、巨大な身体を持っているはずの猫が大きく吹き飛ばされ、その衝撃でアスファルトの上を大きく滑った。
アスファルトに皮膚を削られた巨大猫は覚束ない足取りで立ち上がり、怒りの鳴き声を甲高くあげた。
「実力の差がわかってないのかね、この仔猫ちゃんは」
巨大猫は避ける間も与えられなかった。
舞い上がった夏凛は華麗に踵落とし巨大猫脳天に炸裂させた。
鈍い音と共に巨大猫は顎を地面に打ち付けられ、白目を剥いて地面に倒れた。
地面に倒れた『仔猫ちゃん』を見つめながら、夏凛ははっとした。
「きゃ〜っ、こんな可愛い仔猫ちゃんに手をあげるなんてアタシとしたことが……エヘヘ」
照れ笑いを浮かべた夏凛はスカートの裾をふわりと巻き上げながら反転すると、地面に横たわる巨大猫に背を向けて歩き出そうとした。
軽やかなステップで歩いていた夏凛の足が止まる。
夏凛の背後から殺気が立ち昇る。
「まだなのぉ〜!?」
驚いた顔をした夏凛が後ろを振り向いた時にはすでに、地獄の業火を纏う巨大猫が大口を開けて迫っていた。
天から飛来する白い影が槍を巨大猫の身体に突き立て、そのまま槍を巨大猫に突き刺したまま白い影は宙を舞いながら地面に降り立った。
「エスは驚異的な再生力を持っておりますゆえ、こうして核を破壊してあげなければなりませんよ」
柔らかな女性の声を発した白い影の背後で、巨大猫は灰に変わり、塵と化して風に運ばれて逝った。
呆然と立ち尽くす夏凛に白い影は恭しくお辞儀をした。
「政府組織ヴァーツに所属するフィンフと申します」
金色の流れる髪を靡かせながら、純白の衣を纏ったフィンフは地面に刺さった槍を軽々と抜いた。
細身の身体で槍を華麗に扱うフィンフを見て夏凛は顔を紅く染めた。
「アタシ夏凛っていいます、友達になってください。ケータイの番号は――」
腕に巻いた腕時計型モバイルの液晶画面に映し出された電話番号を読み上げようとする夏凛をファンフは慌てて止めた。
「あ、あの夏凛様のことは存じております。ですが、今は世間話をしている暇もありませんので、次の機会に。では――」
身体を地面から少し浮遊させたフィンフは、そのまま地面すれすれの距離を飛んだ。夏凛は誘われるままにフィンフを追った。
地面に立ったフィンフはすぐさま槍を回転させることにより、魔導で壁を作りあげて巨大な光を待ち構えた。
ゾルテの放った輝く魔導波はフィンフの構築した魔導壁によって防御された。
「危ないところでしたね」
呟くフィンフの目はすでにゾルテを見据えている。
ヴァーツたちの普段の仕事はエスと化した怪物を相手にすることなどだが、本来の仕事は地上で問題を起こした堕天者たちと戦うことだった。
フィンフ、ゾルテ、鴉ともに互いを見据え動こうとしなかった。
ゾルテはゆっくりとフィンフに向かって歩き出した。
「ようやくヴァーツのご登場か。しかし、ひとりだけとは余も舐められたものよ」
ゾルテに姿はまだ遠くだが、フィンフの構える槍の切っ先はゾルテの心臓を狙っていた。
「堕天者などわたくしひとりで十分。鴉、貴方は動かないように。騒ぎを起こしたら貴方も処罰の対象となりますよ」
槍のグリップを強く握り直したフィンフはゾルテを睨付けながら言葉を付け加えた。
「夏凛様も手出しは無用です。戦いの邪魔となります」
ドキっとした夏凛は大鎌を背中の後ろに回して後退した。
フィンフの身体が霞む。影をその場に残してフィンフの身体は地面を滑るように移動し、対天人用の槍が雷のごとく走る。
常人では槍を躱すことはできない。それは並みの天人であっても同じことだ。しかし、彼は違う。
ゾルテを纏う覇気が物語るものが大地を震え上がらせる。
「さすがはヴァーツ、と言いたいところだが、余に速さという概念は通用せぬ」
「しまった!?」
手に相手の身体を突き刺した感触が伝わって来ない。フィンフはすぐさま槍を引き戻そうとしたが、それすら叶わなかった。
冷笑を浮かべるゾルテ。彼の手にはフィンフの槍がしっかりと握られていた。
槍を持つフィンフの身体がそのまま持ち上げられて、滑らかな曲線を描きながら地面に叩きつけられる。
凄まじいスピードであったために、フィンフは何もできずにアスファルトに身体を埋めた。
――それは幻だった。
ヴァーツは大地に堕ちた天人を管理する立場にある。ゾルテも今や堕天者に過ぎない。
地面に埋もれたフィンフが霞み、地面には『痕跡』すら残っていなかった。
槍は風の唸りをあげ、ソルテの核を狙う。
鬼の形相を浮かべるゾルテは〈ソード〉化した腕を振るう。しかし、それも幻。
〈ソード〉よって斬られたフィンフの影は霞み消え、ゾルテは遥か上空から飛来する白い影を見た。
音速を超える白い影はジェット機のような音を鳴らす。
地面が弾け飛び、破片が宙を飛び交い、砂が視界を遮る。
熱を帯びた槍先はゾルテの心臓の手前で止まり、槍を掴んだゾルテの手は焼け焦げて、彼の立つ地面はクレーターのように大きく抉られた。ゾルテはフィンフの槍を受け止めた。
――だが、ゾルテの顔を歪んでいた。
感触は確かにある。ゾルテの掴む槍の先にはフィンフが宙に浮いた格好のまま動きを止めている。しかし、フィンフは別の場所にいるのだ。
二つの槍がゾルテの身体を左右から貫く。その槍を突き刺した人物は確かにフィンフであった。フィンフが三人いる。
身体を貫かれたゾルテであったが、最初に掴んだ槍を放すわけにはいかない。その槍は今も自分の心臓を貫こうとしている。
フィンフは静かに微笑んだ。
「あと一本です」
次の瞬間、ゾルテは背後から刺された。
腹から突き出る槍を見ながらゾルテは口から血を吐いた。
槍を握っていたゾルテの力が弱まったのをフィンフは見逃さなかった。
最後の槍がゾルテの身体を貫き、四人のフィンフは串刺しにしたゾルテを天に掲げた。
天に捧げられたゾルテの身体からは槍を伝って血が滴り落ち、地面を紅く彩っていく。
四人のフィンフは神々しいまでの笑みを浮かべた。しかし、その内面には何か恐ろしいモノが潜んでいた。
「『わたくしたち』は慈悲深い、殺生は好みません」
轟々と雲海が唸り声をあげた。
ゾルテは逃げることすらできなかった。普段ならば自らの身体を引き裂いてでも槍から逃れただろう。しかし、今はできなかった。
灰色に染まった天は時折雷を走らせ、誰もが息を呑んで空を見上げてしまっていた。
一際大きな雷光が幾つも天を泳いだ時、神々しい輝きとともに天に何かが現れた。それは巨大な門であった。
天に浮かぶ巨大な門を強烈な威圧感で場を萎縮させ、門の奥からはもがき苦しむ叫びが聞こえるような気がする。
無表情でゾルテとファンフの戦いを傍観していた鴉であったが、この時ばかりは目を細めて天を仰いでいた。
「〈裁きの門〉か……ルシエほどの堕天者ならば、相応と言える」
いつの間にか鴉の黒衣をぎゅっと握り締めていた夏凛は、天を仰ぐ鴉に息を詰まらせながら尋ねた。
「あ、あれってなに? 〈裁きの門〉って、太古の魔導書に載ってるやつ?」
「この地上が牢獄であるのならば、〈裁きの門〉の先にある世界は地獄だ」
側面的には脅えを見えていないものの、鴉の精神は〈裁きの門〉に明らかな畏怖を感じていた。そして、夏凛に内いる『モノ』も〈裁きの門〉に酷く脅えている。
鴉たちが見る中で、ゾルテの身体から槍が抜かれたが、ゾルテの身体は地面に落ちることなく緩やかなに天へと上がっていく。
「嫌だ、余はあそこだけにはいきたくない! 止めろ、止めてくれ!」
必死に叫び、ゾルテは身体を動かそうとするが、彼の身体は見えない鎖によって拘束され、逃れることは許されなかった。
ゾルテからはかつての覇気は消えうせていた。
重々しい音を立てながら〈裁きの門〉が口を開く。
鼻を突く死臭が冷たい風に乗って恐怖を運び、開かれた門の先には闇しかなかった。しかし、確かにその先で何かが蠢いている。
フィンフは恐怖に顔を引き攣らせたゾルテに最期の言葉を捧げた。
「いつの日か救世主が解き放ってくれましょう」
天に昇る黒い影。
夏凛は酷い吐き気に見舞われ、足が大きく震えて地面にしゃがみ込んだ。
鴉の表情も険しかったが、彼は夏凛の身体を抱えて足早にこの場から立ち去ろうとした。
この場にいた人々が天から目を放すことも許されなくなっているなか、鴉と夏凛はゾルテが裁かれる前に逃げるように歩き出した。
天は怒り、雷光を地面に落し、人々は脅え、天に畏怖する。
一部始終を遠くから眺めていた天人は微笑んでいた。怒り狂う天を見ながら笑っていた。
「ゾルテが囚われるとは誤算だ。代わりを探さねばならん、やはり彼が適任か……」
この者から発せられた声は若々しく、まるで春の小川がせせらいでいるようである。それは『リリス』と通信をしていた時よりも柔らかな口調だった。
純白に輝く翼を持つ堕天者は天を仰ぎ、そして、口元を歪ませた。
彼が天を仰いでいると、白い影が近づいて来た。
「来ていたのですね、ツェーン」
「お久しぶりだねフィンフ。せっかく加勢に来たのに、貴女には必要のないことだった」
それがツェーンにとっての誤算であった。政府組織ヴァーツの中で自分が一番初めにゾルテの前に現れなければならなかった。
例え強固な城壁を築こうと、城の中に反逆者がいたのでは意味のないことだった。




