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機械仕掛けの神(6)

 ビルの屋上からゾルテは下界を見下ろしていた。

「いい余興が見つかった」

 その言葉はビルから凄い勢いで落ち、地面に当たる寸前に跳ね上がり、その場で起きた爆発に呑まれて消えた。

 車の屋根から屋根へと我が物顔でしなやかにジャンプする巨大生物。その姿は毛の長い白猫に似ているが、大きさは馬よりも大きく、猫とは言いがたい。

 車の屋根が急にへこみ、中に乗っていた男が慌てて外に飛び出すが、屋根に乗っている巨大猫に驚き身動きひとつできなくなる。次の瞬間、男は叫び声をあげるが、その声は大きな口の中で鳴き止んだ。

 大きな首を巨大猫が振り上げると、辺りに血飛沫が舞い、アスファルトの地面を華やかに彩った。

 逃げ惑う人々を都市警察に誘導され、ほとんどいない。だが、残念なことに巨大猫の近くにいる車に乗った人々は車の中で震えることしかできなかった。今、外に出れば巻き添えを喰うだけだ。

 対戦車用バズーカ砲が巨大猫に発射される。常識のない人間は街中でバズーカ砲を撃つなどとんでもないというが、大物のキメラ生物に拳銃で立ち向かうよりは常識のある行動だ。

 空気を轟と鳴らすバズーカ砲を巨大猫は優雅なまでのジャンプで躱した。

 跳躍する巨大猫は数多の銃弾を受けるが、その程度は傷にもならず、なったとしても驚異的な再生力で回復してしまう。

 巨大猫は大きく鳴いた。それもただ鳴いただけではなかった。大きく開けられた口の中から渦巻く光が発射されたのだ。それはまるでレーザービームのように辺りを焼いた。

 再び巨大猫にバズーカ砲が撃ち込まれるが、巨大猫はしなやかにジャンプして軽がると躱す。それによって後方の建物に大きな穴が空き、都民の税金がまた使われることになった。

 これほどの大物のキメラとの戦闘は久しぶりで都市警察が手を焼いていると、空から誰かが舞い降りてきた。政府からの応援かと人々は思ったが、雰囲気が可笑しい。

 漆黒の翼をはためかせ、風を纏い地上に降り立った美しき魔人――まさしく、それは魔王の貫禄を十分に兼ね備えている闇の王。

 地上に降り立ったゾルテは自分を唖然と見ているノエルを見渡して嘲笑った。

「か弱いなノエルは、だからこそとても愛おしくも思える」

 妖艶とした美しさを持つ男ゾルテが優雅な足取りで巨大猫に近づく。すると、巨大猫が腹を上に向けて喉を鳴らしはじめたではないか。

 都市警察は巨大猫に銃口を向けながら息を呑んだ。威風堂々と悠然とした態度で美しきゾルテはなおも巨大猫に近づいていく。

 誰もが目を見張った。ゾルテは膝を地面につき、巨大猫の首筋に噛み付いたのだ。

 誰もがゾルテの行動が理解できずに頭を悩ました。だが、立ち上がったゾルテの口から血が地面に吐き出されたのを見て、ぞっとした。

 口元を腕で拭ったゾルテは笑みを浮かべる。

「臭味があるな」

 次の瞬間、巨大猫に異変が起こる。背中が開け黒い翼が生え、犬歯が伸び爪も伸び、巨大猫の身体は紅蓮の炎を纏い揺らめいた。

 炎を纏う巨大猫――炎猫が身体を震わせると、辺り一面に炎の雨が降り注いだ。

 一般人の退避は済んでいるものの、炎は街路樹を燃え上がらせ、アスファルトを焦がし、置き捨てられた車が炎上爆発する。

 この場に駆けつけた鴉は小さく呟く。

「人間外のエスか、少々厄介だな」

「エスって何? ウィルスか何かの名前?」

 小柄な夏凛が鴉を見上げて問うと、鴉は巨大猫の横で嗤うゾルテを指差した。

「あそこにいる翼を生やした男はソエル、人間ではない。そして、そのソエルがホストとなり、血を吸った相手を怪物にする。その怪物のことをエスという」

 夏凛は少し考えた後、思いついたように手を叩いた。

「ヴァンパイアと血を吸われた人みたいなもん?」

「そういう伝説にもなっていたな」

 鴉は苦笑しながら説明を続けた。

「ソエルもエスもヴァンパイアのように驚異的な再生力を持ち、弱点は身体のどこかにある核を壊すことのみ」

「十字架とか日の光とかは弱点じゃないの?」

「ソエルは日の光に弱いが、長時間日に晒されていなければ問題ないだろう」

 夏凛は全身を黒衣に包まれた鴉を一瞬見てなにかを思ったが、あえてそれに関しては問うことを止めた。

 腕を上げた夏凛の手にはいつの間にか現れた大鎌が握られていた。この大鎌は夏凛が別の場所に保管しておいたものをこの場に召喚コールしたものだ。

 大鎌を別空間から取り出した夏凛を見て鴉は感嘆した。

「数少ない魔導士のひとりであったのか。ならば、あの化け猫を君に任せよう」

「可愛い猫を傷める趣味はないんだけどぉ」

「私はあのソエルと話をしてくる」

 黒衣を翼のようにはためかせた鴉は疾風のごとく駆けていった。

 道路に置き捨てられた車の上を翔け、鴉は黒衣をはためかせた。

 覇気を纏うゾルテは自然な体勢で鴉を出迎え、微笑った。

「余の敵となるか鴉?」

「どうやらそのようだ」

 鴉に表情はない。かつては友であったとしても、鴉は過去を捨てられた者だ。

「余に勝てるか?」

「勝たねばならん」

「そうか……」

 一瞬うつむいたゾルテはすぐに顔を上げ、戦闘の構えを取ると邪悪な笑みを浮かべた。

 次の瞬間、ゾルテは地面を蹴り上げて鴉に襲いかかった。

 ゾルテの右腕は〈ソード〉と化し、鴉の右手も鋭い爪と化していた。

 振り下ろされた〈ソード〉は鴉の鋭い爪によって振り払われ、空かさず鴉のハイキックが繰り出される。

 鴉の蹴りがゾルテに命中する瞬間、ゾルテの身体が黒い霧と化して消えた。

 空気に溶けた黒い霧から声がする。

「嘆かわしい、余と肩を並べるほどの貴公が、ここまで堕ちていようとは!」

 愁いを帯びた声が当たり木霊した。その声は空気を大きく振動させ、ビルの窓を割り、比較的近くにいた人々の鼓膜を破った。

 黒い霧はやがてソルテをつくった。

「鴉、もしや貴公はエイースを十分に摂っていないのではないか?」

「理性を保てるだけ摂っていれば十分だ」

 鴉の言葉を聞いて頷いたゾルテは武器を構え何もせずにいる人間たちを指差した。

「なるほど、それが原因であるか。エイースを飲むのだ、そうでなければ余の相手は務まらんぞ」

「断る」

「強情な奴だ。貴公に何があったというのだ? なぜエイースを拒む?」

「私に与えられし罰だ」

「無実の罪であろう」

「それでも罰は受けねばならん、それが天の意思だ」

 頑なな姿勢の鴉にゾルテは憤怒した。

「それが間違っているというのだ。だからこそ、余は楽園アクエを真の楽園アクエとするために立ち上がったのだ」

「私は堕ちようとも神に使えるものだ」

「神などいない! そのような存在がいるのであれば、今ここで余の身体を雷で射抜いて見せよ!」

 ――何も起きなかった。

 ゾルテは高らかに笑い、鴉は無表情なままだった。

「はははっ、何も起きないではないか! やはり、神などいないのだ」

「神の意思は必ず遂行される、それが理だ」

「ならば、反逆者である余は必ず討ち取られるというのか?」

「そうだ」

 鴉の黒衣が風もないのに、漆黒の翼のように大きく広がった

 波打つ黒衣はまるで生きているようであり、その動きは呻きもがいているようにも見えた。

 ゾルテの耳には叫び声が届いていた。その声は確かに鴉の黒衣から発せられている。

 鴉の無表情な蒼白い顔は宇宙そらを仰いだ。

 天に広がる灰色の雲。曇天が蠢き、太陽を隠してしまっている。あの厚い雲の先に楽園アクエは存在する。

 顔を下げた鴉の口元は笑っていた。

「還ることは許されん。これが罪と罰だ」

 鴉が顔を上げたと同時に辺りに風が舞う。それが黒衣の成した業だとゾルテが知った時にすでに、彼の身体は触手のように身体に絡みつく黒衣によって捕らえられていた。

 黒衣の闇に包まれ自由を奪われようともゾルテは臆することなく、笑みすら浮かべている。

「余は知っている。余を捕らえたこの『闇』が、嘗ては煌く『光』であったことを――」

「私の罪が衣を闇に変えたのだ」

 ゾルテの身体を黒衣が締め上げる。だが、ゾルテの余裕に笑みは崩れることなく、鴉を見据えている。

「だから貴公は鴉と呼ばれるようになった。しかし、腑に落ちないこ――愚かなノエルどもだ」

 言おうとしていた言葉を遮らせたのは帝都警察だった。黒衣に包まれたゾルテを見た帝都警察は今がチャンスと攻撃を開始したのだ。

 すでに敵と認識されたゾルテに容赦ない銃弾の雨が浴びせられ、バズーカも撃ち込まれた。

 煙に包まれた中から鴉の黒衣が引き戻される。煙の中にはゾルテがまだ居り、攻撃は続いていた。

 黒い翼が大きく広げられると同時に煙が掻き消される。ゾルテは生きていた。傷を負ってはいるが、その傷は瞬く間に消えてしまった。あの程度の攻撃ではゾルテを倒すことは不可能なのだ。

「力の差というものを知らんのか。ノエルとはそこまで愚かな生物であるのか。嗚呼、嘆かわしいぞ、それを糧として生きていたことが嘆かわしい」

 ゾルテは掌にエネルギーを集めはじめた。それは地上にも存在する魔導の一種。身体の一部に魔導力を集め銃のように解き放つ魔導だ。

 人間たちにゾルテが魔導を放とうした瞬間、鴉はすぐさまゾルテを止めに地面を駆けた。しかし、間に合わない。

「止めろルシエ!」

 友の名を呼ぶが、ゾルテは聞く耳を持ち合わせていなかった。

「ノエルなどいらぬ。この大地ノースから一掃してくれようぞ」

 人間に向けられたゾルテの手が激しい光を放った。

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