第94話 迫る竜王――対抗手段の模索
無人のラフルで、夜が明けた。
焚き火の残り火をサークが踏んで消した。遠くで鳥が鳴いた。それ以外には何の音もなかった。人の声も、荷車の音も、子供が走る足音も、何もない。
俺たちは高台から町を見下ろしながら、朝の時間を使うことにした。
ウインザーがいつ来るかは分からない。だが、何もしないで待つのは俺の性に合わない。今この時間に、できることをやる。それは昨夜決めたことだった。
ラフルの冒険者ギルドの書庫は、小さいながらも整理されていた。魔法の解説書が棚に並んでいた。高レベルのものは少ないが、調べるには10分だった。
サークと並んで書物を開いた。
「炎の8レベル帯で使えるものを探す」
「すでに候補は絞ってあります」
サークは俺より先に書庫を調べていた。几帳面な狼だ。
「サモンエレメンタルⅦは?」
「規模は上がります。ただ、ウインザー相手に精霊を前に出しても、削れる量が知れている。手下の数が多い局面では手が足りなくなる。今は後回しにすべきでしょう」
「ディスインテグレイトは?」
「大型対象への効果が薄い。書物によれば、対象の体積が一定以上になると分解しきれないとある。ウインザーに使っても、表面を削る程度に終わる可能性が高い」
却下だ。俺も同じ結論に至っていた。
「ターゲッティングは」
サークが少し間を置いた。
「……それです」
次の魔法攻撃を必中にする。それだけの魔法だ。単体で見れば地味に見えるかもしれない。だがウインザーに対する効果を考えれば、話が変わる。
「フレイムジャベリンを目に当てるために必要だな」
「ええ。どれだけ威力があっても、当たらなければ意味がない。ウインザーの機動力を考えれば、急所への確実な着弾が必要です。ターゲッティングはそのための魔法です」
結論は出ていた。習得する。
サークが書物を閉じた。
「それと――将来の話ですが」
「9レベルか」
「リバイバル。あらかじめかけておけば、死亡時に体力が全快した状態で即座に復活する」
俺は少し考えた。
「ニアやエレーナが前線を維持できる」
「前衛が死を恐れずに動ける。一度死んでも戦線に戻れる。それがあれば、戦い方が根本から変わります」
「今は届かないが」
「ええ。ただ、最重要目標として認識しておく価値はある」
俺は頷いた。届かない目標を視野に入れておくことは、無駄じゃない。そこへ向かって逆算できる。
グレイシャの検討は、エレーナが横で見守る形で進んだ。
「サモンエレメンタルⅦは私も要らないわ」
グレイシャが書物を一瞥して言った。
「同じ理由よ。精霊の物量でドラゴンは崩れない」
「アシッドスプラッシュは?」
エレーナが訊いた。
「防御を貫通するのは面白いけど、火力が足りない。焼け石に水ね」
「リクエファクション」
「液状化して無敵になれる。でも攻撃ができなくなる。それじゃ意味がない」
グレイシャの判断は速かった。迷いがない。おそらく書庫に入る前から、ある程度絞っていたのだろう。
「クリアランスにする」
状態異常の完全回復。俺の加護魔法7レベルで俺が持っているものと同等の効果だ。
「理由は?」
「ウインザーの攻撃は規模が大きい。一発食らえば複合的な状態異常が来る可能性がある。回復手段が1人に集中するのは危険よ」
合理的な判断だった。俺が倒れたとき、グレイシャが回復を補える。それは確かに戦力の厚みになる。
エレーナが静かに頷いた。
「水の9レベルには、タイムストップがあるわ」
グレイシャが一瞬、表情を変えた。
「知ってる」
「時間を止められれば、立て直しも撤退も再配置も自由になる。これが使えれば、戦術の幅が一気に広がるわね」
「今は届かない」
「ええ。でも目指す価値はある」
グレイシャはそれ以上は言わなかった。ただ書物を閉じるとき、その手が少し丁寧だったように見えた。
ニアが横から顔を出した。
「ニアも習得したいで」
「何を?」
「風の5レベル。サモンエレメンタルⅣ」
俺はリストを確認した。ニアの風レベルは25を超えている。レベル帯的には届く。
「戦闘の幅が広がるか」
「前線で精霊を使えると、選択肢が増えると思うで」
ニアは以前より自分で考えて話すようになった。相棒契約を結んだ頃は、もっと受け身だった。今は自分の戦い方について、俺より先に結論を出していることも多い。
「分かった。習得しろ」
ニアが少し嬉しそうに尻尾を揺らした。
習得が終わった後、俺は一度整理した。
ターゲッティングで急所への確実な攻撃が可能になった。クリアランスで状態異常への対処が二重になった。ニアの選択肢も増えた。
それでも、俺の頭の中では冷たい計算が動いていた。
まだ、ウインザー単体にも届かない。
ウィンディー戦の手応えは悪くなかった。バフをかけたニアなら、眷属クラスとなら渡り合える。だがウインザー本体は別だ。前回戦った時、ニア.バルド.サークの3人がかりの攻撃が完全に無効だった。あの壁を越える手段が、まだない。
俺は書物を棚に戻しながら、その事実を静かに胃の底に沈めた。
午後になった頃、ニアが空から降りてきた。
見張りに上がっていたのは知っていた。その顔を見て、俺は立ち上がった。
「来たか」
「……きたで」
ニアは短く答えた。それだけで状況が分かった。
高台から南西の空を見た。遠く、しかし確実に、巨大な影が複数、ラフルの方向へ向かっていた。ウインザーと、手下のドラゴンたち。
俺たちは動かなかった。動く必要がなかった。ラフルはすでに無人だ。
影はラフルの上で一度、旋回した。探索しているのだろう。しばらくして、ウインザーが動いた。
東だ。
「まずいわ」
エレーナの声が低くなった。
「東にはグリムントの主要都市がある」
俺は地図を頭に広げた。ラフルはグリムントの国境の町だ。東へ進めば、グリムント内陸部の都市に直接届く。住民がいる。逃げる時間がない。
「手下込みで当たれるか?」
サークが首を横に振った。
「無理です。ウインザーを抑えながら手下を処理する手が足りない」
俺も分かっていた。聞いたのは確認のためだ。
グレイシャが立った。
「私が先行する。アクアロードで高速移動すれば、ウインザーより先に都市へ着ける」
アクアロード。水の6レベル魔法で、水を媒介に1気に移動する。距離を稼ぐには最適だ。
「警告を出せば、避難の時間が作れる」
「1人で行くのか」
「私も行くわ」
エレーナが立ち上がった。
「グレイシャだけじゃ、都市の人間が動くかどうか分からない。転生者が一緒なら話が早い」
合理的だった。グレイシャとエレーナが都市へ向かい、住民を動かす。それが今できる最善だ。
「分かった。頼む」
エレーナが頷いた。グレイシャが水の気配を纏い始めた。
「合流場所は?」
「警告だけしたら一旦戻るわ。」
それだけ言って、2人は離脱した。水の流れに乗るように、グレイシャが速度を上げ、あっという間に見えなくなった。
残ったのは、俺とサークとニアの3人だった。
静かになった。
ウインザーの影は東へ消えていた。追いかけるべきか。それとも待つべきか。
俺は考えた。
手下を1体でも倒すことに意味はあるか。ウインザーが手下を失えば、また担当地域を見に来る。その間に何かができるか。
だが今は、ウインザーが手下を連れて移動している。戦力が集中している状態で割り込むのは悪手だ。各個撃破できない状況で動けば、こちらが潰される。
ウインザー単体なら勝機はあるか。
俺の中で、またあの壁が現れた。
ある。かもしれない。傷口を作れれば。バフが完全に入れば。ターゲッティングで急所に当てられれば。
だが確率が低い。一発でも向こうの反撃を食らえば、今度は起き上がれないかもしれない。
「動かない」
俺は声に出した。
サークが俺を見た。
「今は動くべきじゃない。ウインザーの行動パターンをもっと見る。どう動くか、どこを優先するか、何を嫌がるか。それが分かってから考える」
「同意します」
「ニアも?」
「うん」
ニアが頷いた。
3人で東の空を見た。ウインザーの影はもう見えなかった。
俺は草の上に腰を下ろした。
削れば勝てるかもしれない。ウィンディー戦がそれを証明した。眷属クラスなら、蓄積ダメージで落とせる。ウインザーも同じ原理が通じるはずだ。
だが。
今はまだ、その段階じゃない。
急所に当てるための魔法は手に入れた。状態異常への対処も増えた。だが決定打が足りない。リバイバルもタイムストップも、まだ遠い。
俺は空を見た。
雲が東へ流れていった。ウインザーが向かった方向と、同じ方向に。
準備は整いつつある。でも、まだ足りない。
その事実を抱えながら、俺たちは次の機を待った。




