第93話 撤退戦略――来るべき災厄の前に
ドラゴンの死骸が地面に沈んだ。
煙が薄れ、草が焦げた匂いが鼻をついた。エレーナが肩の力を抜いて、グレイシャの首元に手を置いた。グレイシャは短く鼻を鳴らし、それ以上は何も言わなかった。
俺は剣を収めながら、ラフルの町を振り返った。
遠くに家々の屋根が見えた。炊事の煙が1本だけ、夕暮れの空に上がっていた。まだ人がいる。まだ、日常がある。
でも、次に来るのは手下じゃない。
「戦う選択肢はない」
声に出したのは、自分に言い聞かせるためでもあった。
サークが俺の隣に並んだ。金色の目が静かにラフルを見ていた。
「担当ドラゴンを倒せば、ウインザーが来る」
「分かっています」
簡潔な返答だった。サークはいつもそうだ。俺が結論を口にする前に、すでに同じ場所に着いている。
エレーナが俺の反対側から歩いてきた。髪が夕風に揺れた。
「逃げれば、町が壊されるわよ」
責めている口調じゃなかった。ただ事実として、置くように言った。
俺は一拍、間を置いた。
「……分かってる」
草の上に視線を落として、もう一度ラフルを見た。
「だから、町を空にする」
エレーナは少しの間、黙っていた。
グレイシャが低く唸った。威嚇ではなく、考えているときの癖だとこの数日で分かった。
やがてエレーナが口を開いた。
「……それしかないわね」
反論はなかった。全員が同じ結論に着いていた。守るための撤退。家を捨てて、命を残す。それ以外に道がなかった。
ラフルの冒険者ギルドに戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。
俺が話した内容はシンプルだった。ドラゴンがまた来る。今度は先ほどの個体よりはるかに大きい。だから今すぐ逃げろ、と。
ギルドの中が揺れた。声が重なり、椅子が倒れた。パニックの寸前まで空気が詰まった。
当然だと思った。住み慣れた町を捨てろと言われて、平静でいられる人間がどこにいる。
だがエレーナが1歩前に出た。
「私もここを離れる」
その一言で、空気が変わった。
エレーナとグレイシャがこれまでラフルの住民に積み上げてきた信頼は、俺の想像より深かった。さらにその直前に、俺たちは町の外でドラゴンを仕留めていた。100の言葉より、1つの事実のほうが人を動かす。
住民たちが動き始めた。
「まとまるな」
広場で人が集まりかけたとき、俺は声を上げた。
「小集団でバラバラに逃げろ。大人数が固まって移動すると、上から一目で見つかる」
一瞬、戸惑いが走った。
「家族単位か、せいぜい3、4家族でひとかたまりだ。方角も全員同じにするな。東.南東.南、それぞれ散らばれ」
冒険者の1人が手を挙げた。
「ドラゴンが来たら、まとまって戦ったほうが」
「勝てない」
俺は真っすぐ言った。
「今日仕留めたのは、手下の中でも小型の部類だ。次に来る相手はその比じゃない。まとまって戦う選択肢はない。生き残ることだけを考えろ」
沈黙があった。
エレーナが静かに頷いた。それだけで、場の空気が定まった。
人の流れが動き始めた。
それからの数時間は、静かな混乱だった。
混乱というより、整然とした悲嘆と言うべきかもしれない。人々は急いでいたが、叫んではいなかった。泣きながら荷物を縛る老人がいた。子供を背負って走る母親がいた。隣人に声をかけながら歩く冒険者がいた。
貴重品だけ持ち出せという指示は、おおむね守られた。人間は追い詰められると、不思議なほど冷静になることがある。
俺はニアの背から町の様子を見ていた。
陽が完全に落ちる頃、ラフルから人の気配が消えた。
開け放たれた扉。道に転がった籠。灯りのない窓。かまどの火が消えた家。誰かが急いで置いていった上着が、夜風に揺れていた。
「……これでいい」
声に出したのは、自分でも気づかないうちだった。
サークが横を見上げた。
「後悔していますか」
「してない」
即答した。
「……でも、きれいじゃないな」
守るために捨てた。正しい判断だと思っている。それでも、誰かの家が、誰かの日常が、明日には瓦礫になるかもしれないという事実は、きれいな言葉では包めない。
サークは何も言わなかった。それが俺には、1番ありがたかった。
「……問題はここからだ」
俺たちは町から離れた高台に拠点を移していた。ラフルの全景が見渡せる。いつでも動ける距離。逃げるにも、確認するにも、ちょうどいい場所だった。
「手下を倒したことで、ウインザーが来ると予測した。だがそれが本当かどうか、まだ確認できていない」
サークが静かに口を開いた。
「予想の検証が必要ですね。担当制という構造が正しければ、ウインザーはここへ向かうはずです。来なければ、前提が崩れる」
「ええ」
エレーナが膝の上で手を組んだ。
「遠くから確認しましょう。飛び込む前に見る。それだけのことよ」
待ちのフェーズだった。高台から目を離さず、来るかどうかを見極める。今は戦う局面ではない。
夜が更けた。
見張りを交代しながら、空き時間に俺は全員の状態を確認することにした。戦闘直後の能力確認は癖になっている。何が上がって何が足りないか、把握しておかないと次の一手が打てない。
「今のうちに確認しておく」
焚き火を囲んで、順番に数字を出していった。
俺の加護魔法は上限に達していた。レベルは57のまま変わらない。地味だが、スクロールの携行枚数が増えるのは悪くない。
サークの炎魔法がレベル64になっていた。
「……8レベル魔法に到達しました」
サークが静かに言った。感情を表に出す狼ではないが、それでもわずかに声の質が変わったのを俺は聞き逃さなかった。
ニアの近接戦闘レベルは55だった。ウィンディー戦からこっち、着実に伸びている。今や俺たちの前衛の主軸はニアだ。それは誰もが認める事実になっていた。
エレーナの近接はレベル56。ニアとほとんど変わらない数字だった。
「張り合ってるつもりはないけどね」
エレーナが苦笑した。
「ただ、生き残るために必要なことをやってきたら、こうなってたってだけよ」
言葉は、どこか飄々としていて、それでいて重い。
グレイシャの数字が出たとき、サークが無言になった。水魔法レベル65、闇魔法レベル40。高位の魔法使いとして、文句のない数字だった。
「ふん」
グレイシャは何も言わなかったが、サークをちらりと見た。サークも視線を返した。互いに何も言わないまま、焚き火の炎が揺れた。
翌朝、ランク強化を行った。
上限の壁は、何度経験しても厄介だ。レベルが頭打ちになる前に、器を広げておかなければならない。
俺はランクを57から58へ。サークは66から70へ。ニアは60から70へ。エレーナは60から65へ。グレイシャは70から73へ。
強化を終えてから、さらに時間が経った。
もう一度、ラフルの町を見た。
完全に無人だった。
風が通り抜け、看板が軋んだ。遠くで犬の声がした。飼い主が連れて行けなかったか、迷い込んだ野良か。どちらにしても、答える人間はいない。
「これで……巻き込まれる人はいない」
エレーナがぽつりと言った。
誰も返事をしなかった。でも全員が、同じことを感じていたと思う。
戦場の条件が整った。守るべき人間が、ここにはいない。だからここで戦える。それは、悲しい合理性だった。
「今のうちにやることがある」
俺は立ち上がった。
「ギルドの書庫を使わせてもらう」
「何を探すの」
エレーナが聞いた。
「次の戦いで使える魔法だ。今の戦力でウインザーに挑んでも、勝てる根拠がない。なら、今この時間に、使えるものを増やすしかない」
サークが静かに言った。
「時間との勝負ですね」
「ああ」
ウインザーがいつ来るかは分からない。来るとすれば、担当ドラゴンを失ったことに気づいてからだ。早ければ明日かもしれない。遅ければ、もう少し猶予があるかもしれない。
その隙間に、できることをやる。
それしかない。
無人のラフルに、焚き火の灯りだけが残った。
空になった町。誰かの家。誰かの店。誰かが生きていた場所が、今は静かに、次の嵐を待っていた。
守るために空にした町で、彼らは次に勝つための力を求め始めた――。
メモ
タカオ:回復・支援の中核
【加護魔法】 ランク58 レベル57
【ポケット】 58+1
【習得魔法】
レベル1:ヒーリング.ブレス.エイド.ディテクトマジック
レベル2:ヒーリングプラス.ストレングス.ウィーク.センスエネミー.マジカルガード
レベル3:リジェネレーション.キュアディジーズ.ディスペルマジック.キャンセレーション.ヘイスト.エレメンタルガード.ウォーターブリーズ
レベル4:キュアポイズン.フィッシュムーブ.センスライ.クリエイトスクロール
レベル5:レイズデッド.トリートメント.リムーブカース.リセット
レベル6:リフレッシュ.グレーターディスペルマジック.アナライズマジック
レベル7:レスキュー・リグロースパーツ・エンチャントウェポン・エンチャントアーマー・クリアランス
【スクロール】
レベル1 エイド×1
レベル2 センスエネミー×1
レベル3 キュアディジーズ×1
レベル4 キュアポイズン×1 センスライ×1
レベル5 リセット×5 レイズデッド×1 リムーブカース×1
レベル6 アナライズマジック×1
【知識系】
各種知識 ランク16
魔物知識 レベル7
植物知識 レベル8
地域知識 レベル12
【水泳】 レベル4
サーク:後衛火力・対ボス対応
【属性魔法(炎)】 ランク70 レベル64
【属性魔法(地)】 ランク25 レベル11
【属性魔法(光)】 ランク30 レベル21
【ポケット】 50+1
【習得魔法】
レベル1:スリープ.ファイアボルト.サンダー.ライト.ディテクトマジック.バークスキン
レベル2:サモンエレメンタルⅠ.ホーリーライト.ホーリーウェポン.フレイムボディー.ストーンサーバント
レベル3:サモンエレメンタルⅡ.ライトニング.マジックファング.シャインフラッシュ.ホーリースフィア.ファイアーボール.ミラージュフレイム.シャインヒール.アースシーイング
レベル4:サモンエレメンタルⅢ.セーブライフ.バーニングストライク.スタンスローター
レベル5:サモンエレメンタルⅣ.ファイアイミュニティー.サプレスエレメンタル.フレアボム.コータリゼイション
レベル6:サモンエレメンタルⅤ.バーンアウト.フェニックスライフ
レベル7:サモンエレメンタルⅥ・フレイムジャベリン・スペルエンハンス
【近接戦闘】 ランク9 レベル7
【鋭敏感覚】 レベル14
【気配感知】 レベル10
【水泳】 レベル4
ニア:遊撃・索敵
【属性魔法(風)】 ランク25 レベル25
【属性魔法(光)】 ランク63 レベル14
【ポケット】 20
【習得魔法】
レベル1:サンダー.ウィンドショット.スリープ.ライト.ディテクトマジック
レベル2:サモンエレメンタルⅠ.スピード.インパルス.ウィンドトーク
レベル3:サモンエレメンタルⅡ.スカイウィング.ガストウィンド.シャインフラッシュ.シャインヒール.マジックファング
レベル4:サモンエレメンタルⅢ.トルネード.ミサイルプロテクション
【近接戦闘】 ランク70 レベル55
【電撃ブレス】 レベル12
【危険感知】 レベル16
【気配感知】 レベル16
【視認】 レベル18
【水泳】 レベル1
エレーナ 近接ランク65 レベル56
グレイシャ 水ランク73 レベル65 闇レベル40




