第82話 竜の宣言――ウインザー来襲
あれからさらに1か月が過ぎた。
ウィンストン館を拠点にした日常は、相変わらず穏やかだった。遠方での素材採取、ギルドの依頼、たまに街道沿いの魔物討伐。大きな戦闘もなく、誰かが危険な目に遭うこともない。ユリコとの戦いが遠い記憶になりつつあるくらい、静かな日々だった。
バルドが「平和すぎて腕が鈍る」と言い、リアンが「それの何が問題なの」と返す。そんなやり取りが続いていた。
その静けさが、突然終わった。
異変に最初に気づいたのはニアだった。
「なんか、でかいのが来るで」
その言葉が終わる前に、空が陰った。
体長30メートル。俺が今まで見てきたどのドラゴンとも、規模が違った。体長がニアの5倍以上はある。羽ばたきだけで風圧が発生して、館の窓が震えた。
ウィンストン館の前の広場に、その巨大なドラゴンが降り立った。地面が揺れた。
しばらく沈黙があってから、そのドラゴンが口を開いた。声は低く、よく通った。
「父さん、ウィンディオなんてよこしてどういうつもり?」
ドラスが館の扉を開けて、外に出た。人間の姿のままだ。
「人間との関係構築をやり直そうと思ってな」
「そんなまどろっこしいことをする必要がどこに?」
ウインザーと呼ばれたドラゴンが、ドラスを見下ろした。
「私は力を得たわ。逆らう奴を全部叩き潰して従わせるの。それだけよ」
「ウインザー……」
「私はもう父さんの力は必要としてない。自分でやるから放っておいて」
それだけ言って、ウインザーは翼を広げた。再び地面が揺れる。巨大な体が空へ上がっていく。あっという間に、遠くへ消えた。
残ったのは、押しつぶされるような圧倒的な存在感の余韻だけだった。
俺はしばらく黙っていた。
館の外では、ハイルセンの町がすでに大騒ぎになっていた。あれだけの巨体が上空を飛べば、遠くからでも見える。目撃者は無数にいる。
「町中大騒ぎですよ」
俺はドラスに向かって言った。
「これ以上隠すのは難しいです。どこまで話しますか?」
ドラスは少し間を置いてから、静かに答えた。
「隠し通すのは難しいな。だが、すべてを話す必要もない」
ドラスが俺たちを見回した。
「私はドラゴンだ。そしてこの町を守る意思がある。それだけは公にしよう」
「先ほどの個体については?」
「"危険な存在が現れた"とだけ伝える。余計な情報は混乱を招くだけだ」
俺は少し考えてから頷いた。
「……わかりました。こちらも情報の扱いは揃えます」
その日の内に、ドラスの正体が公になった。
俺たちの証言と、長年仕えてきた使用人たちの言葉が重なって、町の受け取り方は思ったより落ち着いていた。
ドラスはこの町を守るドラゴンだ。20年前から、人間の姿で領主として町を支えてきた。
それが知れ渡ると、混乱よりも先に「だからあの時助かったのか」という声が出始めた。ウィンストン男爵が裏でドラゴンたちを守ってきたという事実が、じわじわと人々の認識を形成していった。
そして同時に、もう1つの理解も広まった。
ドラゴンは1枚岩ではない。守る側のドラゴンと、別の方向を向いた危険なドラゴンが存在する。
ニアとゾマがいることで、その構図は具体的に見えやすかった。俺たちと共に戦ってきたドラゴンが現実にいる。そのことが、町の人間にとっての「味方ドラゴン」という概念を自然に受け入れさせた。
翌日の朝、ウィンディオが戻ってきた。
様子がいつもと違った。顔が強張っている。
「ウインザー様は、自分に従うドラゴンを率いて、逆らう人間を皆殺しにするつもりです」
俺は黙って聞いた。
「妹のウィンディーも、従いました」
ニアが、少し動きを止めた。
「ウィンディーが……」
「ああ」
ニアは何も言わなかった。でもその顔には、俺が今まで見たことのない表情があった。
ウィンディオがドラスを見た。
「私はここに残ります」
ドラスが頷いた。それだけで、2人の間で何かが決まったようだった。
構図がはっきりした。
ドラスとウィンディオ。共存を選んだ側。
ウインザーと、それに従うドラゴンたち。支配を選んだ側。
2つの陣営が、はっきりと分かれた。
それから半月後だった。
衝撃の知らせが届いたのは。
王都が壊滅した。
ドラゴン達による攻撃だった。竜王バルモスが討伐された。実行したのは、ウインザーらしい。
俺は報告を聞きながら、頭の中が追いつかなかった。
王都が。
あの規模の都市が、10数頭のドラゴンに壊滅させられた。竜王と呼ばれていた存在が倒された。それがウインザーの「始まり」だとすれば、次は何が来るのか。
マーリンは。オーウェンは。王都で俺たちに協力してくれた人たちは。
考えれば考えるほど、重くなる。
サークが静かに俺の隣に来た。
「タカオ様」
「わかってる」
俺は少し間を置いてから、全員に向かって言った。
「もう局地的な話じゃない。世界規模の話になってきた」
誰も反論しなかった。
バルドが低い声で言った。
「守るか、従うか。そういうことだな」
「そうだ」
俺は窓の外を見た。ハイルセンの町が、普段通りに動いている。市場の声が聞こえる。子どもが走っている。今はまだ、ここは無事だ。
でも、それがいつまで続くかは、誰にもわからない。
守るか、支配されるか。
もう選ぶ段階に来ている。




