第75話 拡散する疑念と見えない敵
ハイルセンで待機している間、俺はスクロールを作り続けた。
クリエイトスクロールで魔法を紙に定着させる作業は、地味だが確実に戦力の底上げになる。特に今は、直接戦闘よりも「対策」に重きを置いた構成が必要だと感じていた。
今回作ったのは、アナライズマジック、リセット、リムーブカース、キュアポイズン、センスライ、キュアディジーズ、センスエネミー。レイズデッドは購入済みのものがある。エイドはすでに作成済みだ。
合計で430ゴールドの消費。所持金は2796ゴールドから2366ゴールドへと減った。
特に気になっているのはリセットだ。今は自分の分しか用意できていないが、できれば全員分揃えておきたい。ユリコが何を仕掛けてくるかわからない以上、状態異常の解除手段は多いほどいい。
スクロールは温存前提で使う。切り札を使い捨てにしない。それが今の方針だ。
サークが隣で静かに言った。
「丁寧な準備ですね」
「戦いたくないからな。でも、戦わなければならない時のために」
「……その判断は正しいと思います」
そんな静かな日々が数日続いた頃、冒険者ギルドが騒然としていた。
原因は商人の護衛中に起きた襲撃事件が、短期間に何件も続いていることだった。護衛依頼の単価は上がった。しかし商人たちが警戒して荷物の運搬自体を控え始めたため、依頼数は逆に減っている。仕事が減ったのに危険は増した。その矛盾が、冒険者同士の対立を生み始めていた。
「……ユリコの仕業か?」
俺は思わず口に出した。
バルドが腕を組んで言った。
「直接こっちを狙ってくるよりも、社会全体を揺らす方が厄介だな。誰が敵かわからなくなる」
「そういうことだ」
指名手配書や政治工作だけではない。経済と治安を同時に揺さぶって、社会の信頼を崩していく。ユリコのやり方は、1点突破ではなく面への攻撃だ。
翌日、ハミルトンから呼び出しがかかった。
「アールストンの領主が襲撃されました」
俺は眉をひそめた。
「それだけじゃない。アールストンの衛兵隊長が、ウィンストン男爵を疑う発言をしたという話が広まっています」
「ウィンストン男爵が?」
「あくまで『そういう話が広まっている』という状況です。確認は取れていません」
都市間の対立を煽る。ユリコの情報操作の典型的な手口だ。ただ、放置するわけにもいかない。
「男爵本人に話を聞いてきます」
ウィンストン館で男爵と向き合った。男爵は落ち着いた様子で、俺の話を最後まで聞いてから口を開いた。
「アールストンの件に関与していない」
センスライをかけた状態で聞いている。反応はない。本当のことを言っている。
「現在、政治的な工作活動はしていません」
これも本当だ。
「20年前に患われた病の後、政治工作をやめられたと聞きましたが、その理由は?」
一瞬、男爵の目が揺れた。
「高熱で倒れてから、考えが変わりました。それだけです」
センスライが反応した。
嘘だ。
「衛兵隊長が男爵を疑う理由に心当たりがありますか」
「あるとすれば、昔の行動が原因で疑われただけではないかと思う」
また反応した。
嘘だ。
俺は表情を変えずに礼を言って、館を出た。
ウィンストン館から少し離れた場所で、ゾマが静かに口を開いた。
「商人の襲撃については、討伐依頼として処理できると思う。冒険者ギルドに働きかけて、組織的に対応する枠組みを作れば、対立の激化も抑えられるんじゃないかな」
「それは動けるな」
「男爵については、今やっていないなら問題ないと思う。センスライで反応があったのは過去の話の部分なんだよね?」
「そうだ」
「じゃあ今の優先事項には関係ない。切り分けて考えよう」
ゾマの言葉は冷静だった。感情で判断せず、事実だけで整理する。こういう時のゾマは頼りになる。
翌日、俺たちはアールストンへ移動した。
出発前にゾマが「町の中に入りたい」と言った。
「クラウドが近くにいる気がする。うまく言えないけど、狙われている感覚がある」
「根拠はあるか」
「ない。でも、僕の感覚を信じてほしい」
俺はゾマとニアをアールストンの門付近で待機させて、残りで調査に向かった。
衛兵隊長を探し出して話を聞いた。
「ウィンストン男爵を疑う発言をしたか?」
衛兵隊長は目を丸くした。
「そんな発言はしていません。どこからそんな話が出てきたんですか」
センスライの反応はない。本当のことだ。
「吟遊詩人が関わっているかもしれない。最近、根拠のない噂を聞いたことは?」
「ある。シルバムが他の都市を利用して影響力を広げようとしているという話です。あちこちで聞かれるようになって……」
情報の発信源は、ユリコ側だ。衛兵隊長の発言は捏造で、都市間の不信を煽るために流された。
ハイルセンに戻ると、また新しい情報が待っていた。
「ウィンストン男爵が襲撃されました。ただ、巨大なドラゴンが現れて撃退したという目撃証言が出ています」
俺は一瞬、頭の中が止まった。
ニアもゾマもアールストン近くで待機していた。ハイルセンにはいなかったはずだ。
「……どういうことだ」
バルドが俺と同じことを考えていたらしく、低い声で言った。
「俺たちのドラゴンじゃない、ということだな」
男爵のもとへ再び向かった。
今回は最初からセンスライをかけた状態で話を聞く。
「ドラゴンを召喚したか?」
「していない」
反応なし。本当だ。
「自力で撃退した?」
「そうです」
反応なし。本当だ。
「襲撃者はどうなった?」
「逃走しました」
センスライが反応した。
嘘だ。
男爵は俺の顔を静かに見返していた。表情は変わらない。動揺している様子はない。ただ、確実に何かを隠している。
館を出てから、町の人間に聞き込みをした。
「昨夜、この近くで何か見たか?」
複数の証言が一致した。体長10メートル級の巨大なドラゴンが、人間を踏み潰すような動きをしていたという。
ドラゴンは確かに存在した。そしてそれはウィンストン男爵が「召喚していない」と言った。
俺の頭の中で、いくつかの点が繋がりかけた。しかしまだ線にはなっていない。
「センスライの結果と情報を整理します」
サークが全員に向かって言った。
「男爵は今回の件への関与を否定した。政治工作も否定した。これは本当だ。嘘が出たのは、20年前の改心の理由と、疑われ理由が自分の過去の行動にあるという発言と、今回の襲撃者の処理についてだ」
「現在の行動には嘘がない。隠しているのは過去のことと、今回起きたことの詳細だ」
「つまり男爵は敵ではないが、重大な秘密を持っている」
サークの整理は明確だった。
ゾマが続けた。
「使用人に少し話を聞いてみたんだけど、昨夜何があったか全員が口を揃えて『わからない』と言ってた。全員が同じように何も知らないというのは、逆に不自然だと思う」
「組織的に隠している、ということか」
「そう思う」
ゾマの言葉に、俺は少し黙った。
確かに、何かがある。それは確かだ。でも今、それを追うべきかどうか。
サークが静かに言った。
「タカオ様、今それを追うべきでしょうか」
全員の視線が俺に集まった。
「男爵は敵ではない。現在の行動には問題がない。今の俺たちの最優先はユリコへの対応だ」
俺は少し間を置いてから続けた。
「男爵の秘密は、保留にする。ただし忘れない。いつか確認しなければならない時が来る」
サークが小さく頷いた。ゾマも何も言わなかった。
窓の外では、ハイルセンの夜が静かに広がっていた。
ユリコは社会を、経済を、人の信頼を、じわじわと溶かしていく。目に見えない場所で、確実に手を打ち続けている。
俺たちの包囲網は形になってきた。でも相手も同じように、見えないところで網を張っている。
どちらが先に、相手の網を破るか。
まだ、見えていない。




