第72話 罠を見抜く者
翌朝、俺たちが図書館へ向けて出発しようとした時、ゾマが「待って」と声をかけてきた。
「なんだ?」
「1つ確認させてほしいんだけど」
ゾマはいつも落ち着いた話し方をする。感情が表に出にくい。だからこそ、今のように少し真剣な顔をしている時は、本当に大事なことを言おうとしている時だ。
「ユリコが、いきなり戦闘を仕掛けてくる可能性を考えた?」
「町中での強襲か。……可能性としてはあるが、考えにくいんじゃないか。ダリウスも宿の外で仕掛けてきたし」
「ダリウスはそうだった。でも、ユリコは違うタイプだと思う」
ゾマが続けた。
「ユリコは契約魔法を仕込んで、知らないうちに縛る。アルケミストは口封じに使う。ダリウスは政治工作に使う。いつも、こちらが想定していない方向から来る」
「……」
「仮に、ダリウスとシェイドの役割がユリコ本人に置き換わった場合、今の僕たちの勝率はどのくらいだと思う?」
俺は黙って計算した。ダリウスだけでも、最初の夜は一方的にやられた。シェイドはリアンを一撃で重傷にした。それが1人の人間に統合されているとしたら――。
「怪しいと思ったら、絶対に突っ込まないで」
「そんなに信用ないか?」
「契約魔法をかけられたのは誰?」
俺は反論できなかった。
サークが小さく咳払いをした。フォローする気はないらしい。
「……わかった。怪しいと思ったら戻る。約束する」
「ありがとう」
ゾマが小さく頷いた。それだけで、話は終わった。
図書館は、王都の中心部から少し外れた場所にある。石造りの落ち着いた建物で、朝の光が正面の柱に当たっている。前に来た時と外観は変わらない。
受付に近づくと、座っているのは前回とは別の人物だった。若い男性で、丁寧な仕草でこちらを見た。
「ご用件をどうぞ」
「少し確認させてほしいんだが、閲覧申請書を見せてもらえるか。記入方法を確認したくて」
「かしこまりました」
差し出された申請書を手に取った瞬間、俺はすぐに気づいた。
小さい。
前回記入したものより、明らかに紙のサイズが小さい。しかも受付の男性が「従魔がいる場合は主人のみ記入で構いません」と補足した。
前回、全員が記入させられた。サークは肉球で印まで押させられた。
あの書類は、明らかに異常だった。
「ありがとう。ところで、前回来た時の受付の方を探しているんだが、金髪で背の高い女性なんだが」
「ああ、それはエリザベート館長ですね」
エリザベート。
俺はその名前を頭の中で繰り返した。ユリコという名前ではない。でも、コードネームを本名で名乗るような人間ではないだろう。
「今日はいるか?」
「はい。一昨日から地下書庫で調査をされています。よろしければ、面会の確認を取りましょうか」
「頼む」
男性が少し奥に引っ込んだ。俺はサークと目を合わせた。サークは何も言わなかったが、俺の視線を受けてわずかに頷いた。匂いで確認しているのかもしれない。
男性が戻ってきた。
「館長から、地下書庫にいるので来てくださいとのことです。ご案内します」
俺は、その一言を聞いた瞬間に、ゾマの声を思い出した。
怪しいと思ったら、絶対に突っ込まないで。
地下。密室。普段は立ち入り禁止のはずの場所。相手のホームで、相手が指定した場所に、相手を追い詰めようとしている状況で、素直に入っていく。
罠の条件が、揃いすぎている。
「すまない、今日は時間がなかった。また出直す」
「え、でも館長が――」
「伝えておいてくれ。また来ると」
俺は踵を返した。サークとリアン、バルドがついてくる。建物を出た瞬間、バルドが低い声で「正解だろうな」とだけ言った。
ニアたちの待機場所に戻ると、ゾマがこちらの顔を見てすぐに状況を察したようだった。
「罠だった?」
「地下書庫に誘い込もうとした。俺たちが来るのを待ち構えていた可能性が高い」
「やっぱり」
ゾマは特に驚いた様子もなく言った。ニアが「そりゃあかんわ」と翼をたたんだ。
「これからどうします?」
サークが全員を見回した。俺は1人ずつ顔を見た。
「再調査だ。今日は4人で手分けして情報を集める。ユリコの素性について、何か痕跡がないか探したい」
「昼間で公の場なら、いきなり手を出してくることはないでしょうね」
リアンが言った。
「政治的な背景も洗う必要があるわ。図書館長という立場を利用しているなら、王都の権力構造と繋がっている可能性もある」
「暗殺には気をつけろよ」
バルドが腕を組んで言った。
「罠が失敗したとなれば、次は直接潰しに来るかもしれない。単独行動は避けた方がいい」
「同感だ。今日は複数で動く。1人で路地には入るな」
俺たちは手分けして動いた。冒険者ギルドで情報を集め、顔の広い商人に当たり、マーリンから繋いでもらった王都の知人筋にも確認を取った。
結果は、ほぼ空振りだった。
エリザベート館長という人物は確かに存在する。記録もある。評判も悪くない。でも、それ以前の経歴が薄い。どこから来たのか、どういう経緯で館長になったのか、そのあたりが妙にぼんやりしている。
表に痕跡を残していない。意図的に。
夕方、全員が揃ったところで俺は今日わかったことを共有した。そのあとゾマが口を開いた。
「1つ聞いてもいい? ユリコ自身は今まで何をしていたんだろう」
「どういう意味だ?」
「ダリウスが政治工作を担っていた。商人ギルドの監査役が資金を動かしていた。医者が研究を進めていた。吟遊詩人が情報を操作していた。シェイドが証拠を消していた」
ゾマが1人ずつ、指折り数えるように整理した。
「ユリコは何をしていた?」
「……指示役、ということか」
「そう思う。全部の駒を動かす人間が、自分では何もしない。それがユリコのポジションじゃないかな」
俺は少し考えた。確かに、今まで俺たちがユリコに直接触れた場面はない。全部、誰かを通してだった。図書館での申請書でさえ、受付として接触しているが、それは罠を仕込む作業の一環だ。
「駒が減った今、どう動く?」
「補充するか、直接排除するか」
サークが静かに言った。
「駒の補充には時間がかかる。その間、自分たちの存在が危険になる。俺たちはすでに複数の幹部を倒している。放置するリスクが高い」
「つまり」
「まず、自分たちを消しに来る」
部屋の中が、少し静かになった。
「自分がユリコだったら、どうする?」
ゾマが続けた。
「シェイドはまだ生きている。吟遊詩人も逃走中だ。そこに追加の戦力を合わせて、夜に来る」
「俺もそう思う」
バルドが腕を組んだ。
「罠が失敗した以上、正面から来るしかない。そして夜の方が有利だ。それしかないだろうな」
「夜襲の可能性が濃厚か」
「高いと思う」
「ところで、図書館長になるにはどんな能力が必要なんだろう」
ゾマがふと言った。
「知識と、相応の魔法の使い手でないと難しいわ」
リアンが答えた。
「どんな魔法?」
「図書館の規模や保有する魔法書を管理するには、魔力魔法の素養が必要ね。高位の魔力魔法使いじゃないと、あの量の書物の鑑定や保護魔法の管理は無理よ」
「つまり、ユリコは魔力魔法使いということになる」
「可能性は高いわね」
サークが少し身を乗り出した。
「では、バーニングストライクが有効だな。魔力魔法の使い手なら、魔法を封じることが出来るかもしれない」
「一般論ではそうなるわね。ただし、対策を持っていないとは言い切れないけど」
「対策の方向性は明確になった。それだけでも十分だ」
俺は頷いた。こうして話しているうちに、ぼんやりしていた相手の輪郭が、少しずつはっきりしてくる。
「1つ問題があるよ」
ゾマがまた口を開いた。
「今日の僕たちは、探索寄りの魔法構成だよね。戦闘の魔法は少ないと思う」
「……確かに」
「ユリコが今日来るとしたら、今の構成は狙い目になる」
「今日来るか?」
「僕なら、今日行く」
ゾマが真っ直ぐに言った。
「理由は?」
「罠が失敗した。俺たちが状況を整理していることも、おそらくわかっている。時間が経てばこちらの準備が整う。しかも、今日は町中の調査をしていた。なら戦闘魔法は少ないと判断できる。だから、戦闘準備が薄い今日を狙う」
部屋の中が、また静かになった。
俺は全員を見回した。サーク、リアン、バルド、ゾマ、ニア。それぞれの顔を見て、俺は口を開いた。
「どうする?」
選択肢は3つある。
迎撃準備を整えて待つか。一時的に宿を変えて撤退するか。あるいは逆に、罠を張るか。
全員の視線が、俺に集まった。




