第7話 交易都市ハイルセン
三日目は、拍子抜けするほど穏やかだった。
二日目の緊張が嘘みたいに、道に異常はなかった。サークも特に何も感知せず、グルックの馬車は静かに迂回路を進んだ。午後には木立が薄くなって、遠くに畑らしき土地が見えてきた。
村に着いたのは日暮れ前だった。
宿に落ち着いてから、グルックが同業者と少し話した。俺も隣で聞いていた。
山越えの行方不明者については、依然として何もわかっていなかった。
「無事だった人間は、たまたま遭遇しなかっただけだろう」と誰かが言った。
反論する声はなかった。
正体がわからない、というのが一番厄介だと思った。ゴブリンなら対処法がある。狼なら昨日みたいに干し肉が使えるかもしれない。でも何かわからないものに対しては、対処のしようがない。
ただ、今の俺にできることは一つだ。依頼を完遂してハイルセンに着く。それだけだった。
四日目の朝、馬車を出してすぐに景色が変わった。
木立がなくなった。
代わりに、なだらかな丘と畑が広がっていた。麦か何かの作物が風に揺れていて、遠くに煙突の煙が見えた。集落がある。
サークが言った。
「空気が変わりましたね」
「ああ」
匂いだけじゃなく、空気の持っている密度みたいなものが違った。人の気配がする。
「ハイルセン領に入りました」グルックが御者台から言った。「農民の集落が増えてきます。衛兵も常駐しているので、ここから先は随分と安全です」
集落を一つ過ぎた。道の端に簡素な詰所があって、槍を持った男が二人立っていた。馬車を見て、顔見知りらしいグルックに軽く手を上げた。
張り詰めていたものが、少しずつほぐれていく感じがした。
集落が増えてきたのに、宿がなかった。
夕方になって野営の準備を始めながら、俺はグルックに聞いた。
「集落があるなら、宿を作ればいいのに」
「作っても経営できないんですよ」グルックが火床を整えながら言った。
「なぜだ」
「ここまで来るとハイルセンの衛兵がいます。安全だとわかれば、多くの商人は野営を選ぶ。宿代を払う必要がないですから」グルックが肩をすくめた。「宿を作っても客が来なければ、維持できません」
「なるほど」
安全と不便がトレードオフになっている、ということか。危険な場所に宿が必要で、安全な場所には宿が成立しない。妙な逆転だが、考えてみれば筋は通っている。
サークが言った。
「アールストンの手前の村が宿場として機能していたのは、その先が危険だからなのですね」
「そういうことです」グルックが頷いた。「危険と安全の境目が、商売になる」
焚き火が安定してきた。今夜は衛兵の管轄内だ。昨日おとといより、ずっと気が楽だった。
五日目の昼を過ぎた頃、遠くに何かが見えた。
最初は地平線の一部が妙に厚いと思った。近づくにつれ、それが城壁だとわかった。
大きかった。
遠目でもわかる規模だった。城壁の上に塔が何本も立っていて、城壁の下に人と馬車が列をなしている。都市の輪郭が地平線に刻まれていて、煙突の煙が何十本も空に上がっていた。
「あれがハイルセンです」グルックが言った。声に少し誇らしげなものがあった。
「でかいな」
「バークホルム王国で二番目に大きな都市です。北のシルバムから鉱物が来て、西の王都バークホルムへ物が流れる。東のイーストフロントとも交易があって、南には港があって海の向こうとも繋がっている」グルックが一息で言った。「全方向の物が集まる場所ですから、人も多い」
サークが俺の隣で黙って城壁を見ていた。
城門の前に列があった。
荷物を持った商人、空荷の馬車、旅人の集団。俺たちも列の後ろについて、順番を待った。
順番が来ると、衛兵が二人近づいてきた。
「名前と用件を」
「タカオ、冒険者だ。護衛の依頼でグルック・マルセ商会の荷を届けに来た」
「従魔有りの届け出は?」
グルックが書類を出した。サークのことも事前に申請してあったらしい。衛兵が確認して、荷台も軽く覗いて、通してくれた。
城門をくぐると、音が変わった。
通りが広かった。アールストンの目抜き通りより広い道が、さらに続いている。その両側に建物が連なっていて、人が絶え間なく流れている。馬車の往来も多くて、御者同士が怒鳴り合っている声も聞こえた。
アールストンの十倍、どころじゃないかもしれない。そう思った。
グルックの商会は旧市街と新市街の境あたりにあった。
商会の建物に馬車をつけると、使用人らしき男が二人出てきて荷下ろしを始めた。グルックが帳場に入って、しばらくして戻ってきた。
「おかげさまで無事届けられました」グルックが言った。「本当にありがとうございました」
革袋を渡してくれた。中に金貨が入っていた。数えると十ゴールドと少しあった。
「少し上乗せしておきました。あの狼の件は、俺だけではどうにもならなかった」
「受け取っておく。ありがとう」
「宿はここから北に行った《金羊亭》がおすすめです。清潔で、飯もいい」グルックが続けた。「それから、南東の旧市街は近づかない方がいい。治安が悪いですので」
「わかった」
「またどこかでお会いできれば」
グルックが深く頭を下げた。俺も頭を下げた。
金羊亭に荷物を置いてから、冒険者ギルドを探した。
ハイルセンのギルドはアールストンの倍以上の規模だった。扉を開けると、受付カウンターが広く取られていて、職員が何人も動いていた。
順番を待って、達成報告のために書類を出した。グルックから受け取ってあった、護衛完了の証明書だ。
職員が書類を確認して、受付に判を押した。
「完了です。お疲れ様でした」
それだけだった。
アールストンより手続きが速い、と思った。人が多い分だけ、流れが洗練されているのかもしれない。
報告を終えて、カウンターの端で本を取り出した。
ページに手を当てて、ステータスを確認した。
数字が変わっていた。
加護魔法のレベルが2になっていた。それに伴って、ポケットが2から3に増えている。
「上がってる」
声に出ていた。
「俺も確認してみます」サークが本に触れた。少し間があって、サークが言った。「光魔法のレベルが4になりました。ポケットが4に増えています」
「それは大きい変化だな」
「はい。それと」サークが少し考えるように間を置いた。「レベル4になると、2レベル魔法が使えるようになるようです」
「2レベル魔法というのは」
「1レベルより強い魔法ですが、1つ使うとポケットを2つ消費します。その分、効果は大きいです」サークが続けた。「9レベルになると3レベル魔法が解禁されるらしいです。レベルが上がるほど、ポケットのコストも増える仕組みですね」
「消費が増えるほど強い、ということか」
「そう理解しています」
サークがふと言った。
「……加護の影響か、レベルアップが早い気がします。通常よりずっと速い」
「善行ポイントが関係しているのかもしれない」
「そうかもしれません」
職員に2レベル魔法の選択肢を聞いた。
光属性の2レベル魔法で習得率が高いものを教えてもらった。
ホーリーライト。アンデッドに直接ダメージを与える。
ホーリーウェポン。武器一つにアンデッド特攻を付与する。
サークが「武器は使わない」と言ったら、では、とホーリーファングを教えてくれた。肉体武器、つまり爪や牙にアンデッド特攻を付与する。
ライトシールド。光系の攻撃の効果を半減する防御魔法だ。
サモンエレメンタルⅠ。光の精霊を召喚して戦わせる。3レベルにⅡ、4レベルにⅢがあり、レベルが上がるほど強い精霊を呼べる。
俺は少し考えた。
アンデッド特攻の魔法は、アンデッドが出る場面でしか使えない。今のところそういう敵に会っていない。ライトシールドは防御魔法だが、今のところ光系の攻撃を受けたことがない。
問題は前衛だ。
今の俺たちは、俺が後衛でサークが前衛の二人編成だ。俺は剣が使えるが、昨日みたいに棍棒一発もらうような腕前だ。サークに何かあった時に、対処できない。
「サモンエレメンタルを詳しく聞いてみるか」
職員に追加で質問した。
精霊は近接戦闘の能力がサークより高い。さらに光の精霊はサンダーの魔法が1回使える。サークが意思疎通して命令を出せば動いてくれる。持続時間はレベル依存で、レベル4のサークなら四分だ。
「四分か」
「短いですね」サークが言った。「ただ、単発の戦闘なら十分かもしれません」
「スリープが効かない相手への対策にもなる」
「はい」
2レベル魔法の習得費用は一つ20ゴールドだった。3レベルになると40ゴールドと、レベルが上がるたびに倍になっていくらしい。
20ゴールドは、今の手持ちに対して軽くはない。でも前衛を一時的に増やせるというのは、現状では大きかった。
「サモンエレメンタルⅠを頼む」
今度は二時間かからなかった。
講師が手慣れた様子で教えてくれて、サークは途中で一度やり直したものの、習得できた。
ギルドの外の広場で一度試してみた。
サークが魔力を集めた。
空中に光が集まって、丸くなった。直径五十センチほどの光の球体が、サークの前に浮かんだ。
俺は思わず少し後ろに引いた。
「意思疎通できます」サークが言った。「命令に従って動きます」
「試してみるか」
サークが精霊に何かを伝えた。精霊が少し動いた。広場の端の柱に向かって移動して、体当たりをした。鈍い音がした。
「サンダーは一回だけ使えます」
「今は温存しておいてくれ」
「わかりました」
サークが命令すると、精霊が静止した。四分後、ふっと消えた。
残像みたいに光の粒が散って、それで終わりだった。
「使えるな」
「はい。スリープが効かない相手に使います」
近くの空いた席に戻って、本に手を当てた。
善行ポイントの数字を確認した。
タカオ:6.22。
前回が5.02だったから、1.2増えている。狼を干し肉でやり過ごしたことか、ゴブリンを逃がしたことか、護衛を達成したことか。おそらく複数が重なっているのだろう。
サークも確認していた。
「0.43になっています」
「前が0.03だったから、大分増えたな」
「タカオ様ほどではありませんが」
「お前も一緒に動いてるんだから、当然だろ」
ゴブリンを逃がした夜、グルックに「また誰かを襲う」と言われた。あの選択がポイントになっているのかどうかは、まだわからない。でも増えている事実がある。
善行とは何か、という問いはまだ答えが出ていない。でも今のところ、悪い方向には進んでいない気がした。
宿に戻る前に、ギルドの掲示板を見ておくことにした。
アールストンの掲示板とは規模が違った。
壁一面どころか、二面に渡って依頼が貼られていた。討伐、護衛、採集、調査、輸送、鑑定依頼。Fランクから上のランクまで色分けされていて、俺に受けられる白い紙だけでも、数えきれないほどある。
ざっと眺めた。報酬の金額もアールストンより全体的に高い。依頼の内容も多様だ。
サークが隣に立って、無言で見ていた。
「ここからが本番だな」
声に出てから、自分でも少し意外だった。
この五日で、死にかけてはいないが一発もらった。干し肉で狼をやり過ごして、ゴブリンを逃がして、眠れないまま夜明けを待った。それでようやくここまで来た。
掲示板に並んだ依頼の一枚一枚が、誰かの困りごとだ。
サークが言った。
「どこから手をつけますか」
「明日考える」
俺たちは宿に向かった。




