第4話 加護魔法レベル1
朝の空気は冷たかった。
昨日より雲が少なくて、町の石畳が朝日を受けて鈍く光っていた。市場の方からは早くも人の声と荷車の音が聞こえてきて、アールストンという町が朝から働いていることがわかった。
俺とサークは、グルックに教えてもらった冒険者ギルドへ向かった。
建物はすぐにわかった。他の店よりひと回り大きくて、扉の上に剣と盾を組み合わせた看板が出ている。扉を開けると、広い室内に人が散らばっていた。
テーブルで地図を広げている二人組。壁際で装備の手入れをしている男。隅で何かを食べながら話している四人のグループ。昼前だというのに、そこそこ人がいた。
数人が俺の方をちらりと見た。でも特に何もなかった。視線が来て、次の瞬間にはもう別の方向を向いていた。
それでいい、と思った。
室内の隅に、小型のドラゴンを連れた男がいた。翼を畳んで男の肩に乗っていて、男は特に気にする様子もなく書類を読んでいた。周囲の冒険者も、誰も振り返らない。
魔物連れは珍しくないのか。
サークが隣を歩いていても、誰も変な顔をしなかった。それがわかっただけで、少し肩の荷が下りた。
受付に向かった。
カウンターの向こうに、若い女性が座っていた。二十代くらいで、栗色の髪をきっちりとまとめている。仕事の書類を手に持っていたが、俺が近づくと顔を上げた。
少し首をかしげた。
「魔物使いの方ですか?」
「そういうことになるのかな」
「……にしては、あまり慣れていなさそうですね」
遠慮のない観察だったが、嫌みな感じはなかった。ただ事実として言っているような口調だ。
「昨日、この世界に来たばかりなんだ」
「昨日」女性が少し目を細めた。「それはまた……えっと、失礼ですが、どちらからいらしたんですか?」
「日本という国だ。この世界にはない」
少し間があった。
「……転生者、ですか?」
声のトーンが変わった。驚いていた。でもそれは一瞬だけで、すぐに元の業務的な表情に戻った。
「わかりました。ご登録の手続きをいたします。私はエミリーといいます。ご不明な点があればなんでも」
切り替えが早かった。
手続きを進めながら、俺は周囲をさりげなく見回した。特に変わったことはなかった。冒険者たちはそれぞれのことをやっていた。
手続きが一段落したタイミングで、サークが小声で言った。
「タカオ様、周りの人たち、結構驚いてましたよ」
「……そうか」
俺には全然わからなかった。でもサークの鋭敏感覚はそれを拾っていたらしい。視線とか、息の変化とか、そういうものを感じ取っていたのだろう。
騒ぎにはならなかった。ただ、空気が少しだけ変わっていた。エミリーの切り替えが早かったのも、それを周囲に悟らせないためだったのかもしれない。
仕事ができる人間だ、と思った。
登録の書類を書きながら、俺はエミリーに聞いた。
「転生者というのは、この世界に多いのか?」
「世界全体では何十人かいると聞いています」エミリーは答えた。「ただ、この地域ではほとんど見かけません。私もお会いするのは初めてです」
「そんなものか」
「それと」エミリーが少し声を落とした。「一応お伝えしておくと、転生者については予言があります」
「予言」
「転生者の誰かが、世界を救うと」
俺は手を止めた。
エミリーは特に深刻な顔でもなく、淡々と言った。「有名な予言なので、知っている方が多いです。ただ、誰なのかはわかっていません」
「俺じゃないかもしれない」
「はい、そうかもしれません」
正直な返答だった。俺は少し笑って、書類に視線を戻した。
善行ポイントを貯めて、世界を少しずつよくしていくというシステム。神様が「この世界が歪み始めている」と言っていたこと。つながっているのかどうか、まだわからない。でも無関係ではない気がした。
名前、年齢、出身、武器の種類、魔物の有無。
必要事項を書いて、エミリーに渡した。確認して、判を押して、小さな金属製の板を渡してくれた。
「登録完了です。こちらが冒険者証になります」
受け取った。表面に俺の名前と、何か記号が刻まれていた。
「ランクはFスタートです。依頼をこなすと上がっていきます」
「わかった」
あっさり終わった。それくらいでいい。
「もう一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「魔法について教えてもらえますか」
エミリーが少し表情を変えた。仕事の顔のまま、でも少し前のめりになった気がした。こちらの方が本職の話で、聞かれ慣れているのかもしれない。
「どの程度ご存知ですか?」
「全然知らない」
「では基本から」
エミリーの説明は簡潔だった。
魔法には大きく三つの種類がある。それ以外にもマイナーな系統はあるらしいが。
一つ目は加護魔法。回復や支援が中心で、使い手を選ぶ。神や加護の力に近いとされる。
二つ目は魔力魔法。体内の魔力を直接操作して使う、いわゆる攻撃魔法の主力だ。
三つ目は属性魔法。炎、水、風、土、光、闇の六つに分かれていて、それぞれに系統がある。
「大まかに言えばこの三つです」エミリーが言った。「それぞれに適性があって、全部使える人間は稀です」
「なるほど」
サークが使っているスリープは属性魔法の系統で、光に入るのだろう。本で確認した光のランクが高かった。
「俺のステータスを見てもらえるか」
ギルドには確認用の道具があるらしく、エミリーが小さな水晶みたいなものをカウンターに置いた。触れると、数字が浮かんだ。
エミリーが覗き込んで、少し止まった。
「加護魔法……ランク28?」
声のトーンが変わった。
「高いのか」
「かなり高いです」エミリーがはっきり言った。「上級魔法使いの水準には届きませんが、中級では上位に入ります」
上でも下でもなく、中くらいの上。俺の感覚では、それで十分すぎた。
「ただ」エミリーが続けた。「ランクは上限です。今の能力とは別の話になります」
「今はほとんど使えない」
「おっしゃる通りです。ただ、伸びしろは大きい、ということになります」
「加護魔法を習得するには、どうすればいい」
「通常は半年ほどの研修が必要です」エミリーが答えた。「費用もそれなりにかかります」
「それなりに、というと」
「基礎コースで数百ゴールドは見てください」
俺の所持金は昨日宿で二ゴールド使って、今は九十八ゴールドだ。数百は無理だ。
「ただ」エミリーが少し考えてから言った。「すでにレベル1をお持ちの場合、話が変わります」
「持ってる」
エミリーがまた少し驚いた顔をした。
「善行ポイントで取得しました」
「……なるほど、転生者の方はそれができるんですね」エミリーが頷いた。「レベル1があれば、簡易講習で実際の使い方まで習得できます。費用も大幅に下がります」
「どんな魔法が習得できる」
「加護魔法の中でレベル1から使える主なものだと」エミリーがリストを取り出した。「ヒーリング、ブレス、クリエイトウォーター、あたりが習得率が高いです」
俺は三つの名前を見た。
ヒーリングは回復だろう。ブレスは何だろうと思って聞くと、能力強化だと言った。クリエイトウォーターは水の生成だ。
どれも使えそうだが、全部は取れない。
サークが静かに言った。
「まずは、生き延びるためのものを」
俺はリストを見た。
「ヒーリングとブレスで」
回復と補助。地味だが、昨日の戦闘を思えば両方必要だとわかる。攻撃魔法が使えなくても、サークがいる。今の俺には、昨日みたいな状況を乗り切れる手札の方が先だ。
「費用は?」
「簡易講習でしたら、一つ10ゴールドになります」
「二つで20か」
「はい」
俺は少し黙った。
98ゴールド持っていて、20使えば78になる。今の手持ちのどのくらいが適正な金額なのかがまだわからないから、多いのか少ないのかも判断がつかない。でも確かに、軽くはない数字だ。
「……結構するな」
「最低限の装備と宿を含めると、冒険者の初期費用としては平均的かと思います」
エミリーが補足した。嫌みではなく、ただ事実として言っている。
「わかった。お願いする」
ギルドの奥に小部屋があった。
講師は別の職員で、ベテランらしい落ち着いた男だった。各一時間ずつ、簡易講習という形で教えてもらった。
ヒーリングの講習から始まった。
魔法の使い方を言葉で説明してもらいながら、実際に手を動かす。最初は何も起きなかった。でも三十分ほどやっていると、指先に何かが集まる感覚がわかってきた。
微妙な違和感だった。
自分の中の何かを引っ張り出しているような、あるいは外から何かを引き込んでいるような。気持ち悪いというほどじゃないが、慣れない感覚だ。
「今です」と講師が言ったタイミングで、その感覚を解放した。
淡い光が手のひらに浮かんで、消えた。
「出ました」
講師が頷いた。
「出たのか」
「出ています。感覚を覚えておいてください」
ブレスも同じ要領だった。ヒーリングより少し扱いやすい感じがした。体の中で何かが共鳴するような感触があって、それを相手に向けて流す。うまく言えないが、そういう感じだ。
二時間後、部屋を出た。頭が少し重かった。新しいことを詰め込んだ後の、あの感覚だ。
ギルドの外の広場で試してみることにした。
「サーク、少しいいか」
「はい」
「ブレスをかけてみる」
サークが頷いた。
俺は感覚を手繰り寄せた。講習で覚えた感触を思い出して、体の中で整えて、サークに向けて流す。
光が薄くサークの体を包んで、消えた。
サークが少し動いた。首を振って、前足を踏み直して。
「……体が軽いです」
「効いたか」
「はい。力が、湧く感じがします」
エミリーの説明では、ブレスは命中、回避、攻撃力、防御力すべてに補正がかかると言っていた。ただし一つ一つの効果は小さい。劇的に強くなるわけじゃないが、全体が少し底上げされる。
サークみたいに元々動ける相手にかければ、その分だけ底上げ幅も大きくなるだろう。
「悪くないな」
「ありがとうございます」
一点、講師から念を押されたことがあった。
全ての魔法には「ポケット」という概念がある。
レベル1の今は2つ分のポケットがある。つまり、魔法を2回分だけ事前にセットしておける。使う時は、あらかじめ自分で決めたパスワードを口に出せば発動する。
問題は、使い終わった後だ。再セットには十二時間ほどかかる。
魔法を習得したときに、ポケットにヒーリングとブレスをそれぞれ一回ずつ入れた。
そして、効果確認のためにブレスは使ってしまった。使ったポケットは、半日は補充できない。
「……使い切りだな」
確認のために独り言を言った。
有限だ。惜しんで使わなかったら意味がないが、雑に使い切っても困る。
バランスの問題だ、と思った。
ギルドに戻った。
財布の中身を確認した。98ゴールドから20使った。残り78ゴールド。宿は一泊1ゴールドだったから、単純計算で78日分。ただし食事代や装備の消耗は別だ。
「……これは、稼がないとまずいな」
声に出ていた。
サークが壁際を指した。
「依頼掲示板があります」
ギルドの壁一面に、紙が貼り出されていた。大きさも色もばらばらで、何十枚もある。
「行ってみるか」
近づいて見ると、内容は様々だった。
魔物の討伐。荷物の護衛。薬草の採取。建物の修繕の手伝い。
ランクごとに色分けされているらしく、俺のFランクで受けられる依頼は白い紙のものだった。報酬は1ゴールドに満たないものから十数ゴールドまで、まちまちだ。
サークが隣に立って、一枚一枚を見ていた。
どれを選ぶか。
俺は掲示板を眺めながら、少し考えた。




