第39話 和解と余波、そして次の選択
広間に沈黙が落ちていた。
吟遊詩人の体は、もうそこにはなかった。マーフォークたちが静かに運び出していた。残ったのは、水の揺れと、青白い光と、ユリコという名前だけだった。
族長が、俺を見ていた。
昨日の浜辺とは違う目だった。怒りは残っている。娘を失った痛みは、何があっても消えるものではない。ただ、その怒りが俺たちだけに向いているわけではなくなっていた。霧が晴れた分だけ、見えているものが増えたのだと思う。
俺は視線を外さなかった。
「……話は聞く」
族長が言った。
短い言葉だったが、俺にはその重さがわかった。昨日「殺せ」と言った口が、「話は聞く」と言っている。それがどれだけの変化か。
「それで十分だ」
俺は答えた。
ここで要求を重ねるつもりはなかった。完全な和解を求めるのは間違っている。娘を失った族長が、俺たちを許せるわけがない。許さなくていい。ただ、話せる状態になってくれればいい。それだけで十分だ。
族長の内側で、何かが整理されようとしているのが表情に出ていた。怒りがある。騙されていたという事実もある。その2つが、族長の中でぶつかり合っていた。簡単に解決するものではない。時間がかかる。
それでいい、と俺は思った。
長老が前に出た。
「戦は行わぬ」
静かな声だったが、広間の端まで届いた。
周囲のマーフォークたちが、それぞれに視線を交わした。長老派はすでに従う姿勢だった。族長側の者たちも、今の状況では反論できる空気ではなかった。
族長は長老を見た。何かを言いかけて、止まった。
「……今回は退く」
族長が言った。
それで決まった。
開戦寸前まで来ていた状況が、静かに収まった。劇的な場面ではなかった。怒りが消えたわけでも、全てが解決したわけでもない。ただ、最悪の結末だけが回避された。
俺は小さく息を吐いた。
タカオ達の安全は確保された。ただし、マーフォークとの関係は中立とも言えない緊張状態のままだ。完全に解決したと思ってはいけない。
「1つ、聞かせてください」
俺は族長と長老の両方に向かって言った。
「"ユリコ"という名前に、心当たりはありますか」
長老が首を振った。
「聞いたことがない」
族長は少し考えてから、同じように首を振った。
「知らない」
そうか。やはり、そう簡単ではない。
リアンが俺の隣で静かに言った。
「本名かどうかもわからない。組織の名前かもしれない。個人だとすら確定していない」
「意図的に隠されてるわね」
俺は頷いた。
吟遊詩人が最後に口にした名前だ。死の間際に出てきた言葉だから、本人にとって意味のある何かのはずだ。ただ、それ以上のことは何もわからない。手掛かりとしては細すぎる。
今はそれだけ持っておくしかなかった。
長老がタカオ達に向き直った。
「今回の件、礼を言う」
俺は軽く頭を下げた。
「礼を言われるようなことをしたかどうか」
「した」
長老が短く言った。
「戦を止めた。それで十分だ」
そして続けた。
「困ったことがあれば、我らに相談せよ」
俺は少し驚いた。条件付きでも打算でもなく、ただそれだけを言った。縁を結ぶ、という意味だと受け取った。
「ありがとうございます」
今度は素直に頭を下げた。
長老が頷いた。それだけだったが、俺にはその重みが伝わってきた。
ケルプビアードが無事であることを確認した。
長老の庇護に入ることが決まった。族長側からの処罰は回避される。ケルプビアードは俺たちを見て、短く頷いた。言葉はなかったが、それで十分だった。
俺たちは広間を出た。
海面に出た瞬間、空気が肺に入ってきた。
夜明けが近かった。空の端が、わずかに明るくなり始めていた。海の色が少しずつ変わっていく。
バルドが大きく息を吸った。
「生きて帰れたな」
感情のない言い方だったが、その言葉の中に全部が入っていた。
「ああ」
俺も同じように息を吸った。冷たい海の空気が、体の中に入ってくる。ウォーターブリーズが切れて、普通の呼吸に戻った感覚がある。
サークが水を切って浜に上がり、体を一度震わせた。リアンが髪から水を絞っていた。
全員が揃っていた。
島のギルドは小さかった。
カウンターが1つ、掲示板が1枚、受付の職員が2人。ハイルセンやアールストンと比べると、拠点としての機能が限られている。それでも今は十分だった。
荷物を乾かしながら、俺は1区切りとして自分の状態を確認した。
所持金は405ゴールドだ。船の往復と島での滞在費で少し減った。
加護魔法のレベルが上がっていた。レベル13から15になっていた。ポケットが14から16に増えている。水泳がレベル2からレベル4へ。
そして善行ポイントが、9.75から19.75になっていた。
「善行ポイントが一気に伸びたな」
俺は小さく呟いた。
戦争を止めた。それが評価されたのかもしれない。ポイントの基準が完全にわかるわけではないが、今回の件の規模を考えれば、こういうことも起きるのだと理解した。
サークの状態も確認した。
光魔法がレベル11からレベル13に上がっていた。ポケットが11から12に増えた。水泳もレベル2からレベル4へ。善行ポイントは6.46から16.46になっていた。
「陰謀を阻止したからでしょうか」
サークが静かに言った。
「そうかもしれないな」
俺は答えた。正直、善行ポイントの動きは毎回完全に予測できるわけではない。ただ今回は、規模の大きい事件に関わったのは確かだ。
バルドとリアンもギルドで各自の状態を確認していた。
「近接戦闘が上がった」
バルドが言った。特に感情のない言い方だったが、確認しながら少しだけ表情が変わった。レベル14から16へ。武器知識が5から6、地域知識が6から8、魔物知識が3から4になったらしい。
「こっちも色々上がってるわ」
リアンが言った。炎がレベル13から14、光がレベル13から15、魔法知識がレベル7から10へ。
「魔法知識が3つも上がるのは珍しいわね」
リアンが少し考えてから言った。
「王都での経験も効いてるわね。守護竜選定の時に色々な魔法を見てたから」
なるほど、と俺は思った。経験の積み重ねは、一度の出来事だけで評価されるわけではないのかもしれない。
「善行ポイントの使い道を考えないとな」
俺はサークに向かって言った。
19.75まで増えた。これだけあれば、選択肢が広がる。強化の方向、新しいスキルの取得、あるいは別の方向。
考えながら、1つのことが頭に浮かんだ。
「……ニアの返事を聞いてからだな」
以前、ニアに確認しようとしていたことがあった。あの時は流れてしまった。ウィンストン男爵の館に戻れば、ニアとまた話せる。それを聞いてから判断してもいい。
サークが頷いた。それで決まりだ、という静かな同意だった。
翌日、ギルドで依頼の状況を確認した。
掲示板の依頼が少ない。島の規模からして当然だが、今後ここを拠点にするのは効率が悪い。大規模な案件もなく、ユリコに関する情報も手に入りそうになかった。
「ハイルセンと比べると、依頼の数が全然違う」
俺は掲示板を見ながら言った。
「向こうはニアが使える前提の依頼が多い。あの飛行力がなければ受けられなかったものも多かった」
機動力に依存した仕事の進め方が定着していた。ニアがいない場所では、そのやり方が使えない。
「結論は出てるな」
バルドが言った。
「ハイルセンに戻る」
俺は頷いた。ニアの返答確認、依頼の効率、ユリコについての情報収集。どれを考えても、今いる場所よりハイルセンの方が動きやすい。
「また船か」
バルドが言った。特に嫌そうではなかったが、少しだけ疲れた顔をしていた。
「今度は平和に帰りたいわね」
リアンが言った。
「同感だ」
俺は素直に答えた。
出港の準備をしながら、俺は海を見ていた。
波は穏やかだった。昨日まで高波が起きていた海域が、今は静かに光を返している。吟遊詩人が道具を使って波を起こしていた。その道具はギルドに保管されている。族長の娘は死んだ。戦争は回避された。
全部が繋がっていて、全部の糸の端に、1つの名前があった。
ユリコ。
何者だ。
高波の仕掛け、人魚の噂の拡散、吟遊詩人の動き。これだけの規模で、これだけ周到に動いていた誰かだ。吟遊詩人は手駒の1つに過ぎなかった。他にも手駒がいる可能性が高い。
何を目指している。
俺にはまだ、その答えが見えなかった。
船が港に入ってくる音がした。俺は荷物を持ち上げて、仲間の方へ向かった。
メモ
タカオ
加護魔法 ランク28 レベル15
ポケット 16+1
習得魔法
レベル1:ヒーリング・ブレス・エイド・ディテクトマジック
レベル2:ストレングス・ウィーク
レベル3:リジェネレーション・ディスペルマジック・エレメンタルガード・ウォーターブリーズ
各種知識 ランク16
魔物知識 レベル5
植物知識 レベル3
地域知識 レベル2
水泳 レベル4
善行ポイント 19.75
サーク
属性魔法(炎) ランク19 レベル9
属性魔法(光) ランク25 レベル13
ポケット 12+1
習得魔法
レベル1:スリープ・ファイアボルト・サンダー・ライト・ディテクトマジック
レベル2:サモンエレメンタルⅠ・ホーリーウェポン・フレイムボディー
レベル3:サモンエレメンタルⅡ・ライトニング・マジックファング・シャインフラッシュ・ファイアーボール・ミラージュフレイム
近接戦闘 ランク9 レベル5
鋭敏感覚 レベル7
気配感知 レベル5
水泳 レベル4
善行ポイント 16.46




