第34話 真実の場と仕掛けられた罠
ケルプビアードに先導されながら、俺は砂を踏む感触を確かめるように歩いた。
浜辺は穏やかに見えた。波は静かで、海の色は透き通った青緑。だが空気は違う。水面から半身を乗り出したマーフォークたちが、左右に並んで俺たちを見ていた。数えただけで12、いや15体はいる。誰1人として声を出していない。その沈黙が、場の張り詰め方を物語っていた。
横を歩くサークが、低く短く息を吐いた。警戒のサインだ。バルドは無言で手を鞘のそばに置き、リアンは俺の斜め後ろで周囲の魔力の気配を拾おうとしているのか、静かに目を細めている。
浜の中央に、それはいた。
体の大きさがまず目に入った。上半身は人間の男性に近い形をしているが、肩幅が広く、筋肉の厚みが違う。鱗の色は深い紺青で、陽光を受けてにぶく光っている。年齢というものをどう測ればいいのかわからないが、この族長と呼ばれる存在には、重さがあった。長く生きた者だけが持つような、静かな圧力。
その隣に、俺がよく知っている人物が立っていた。
吟遊詩人だ。
島のギルドで「昨日から姿を消した」と聞いた男が、平然とそこにいる。旅人然とした格好はそのままで、腰に小さなリュートを提げ、どこか悠然とした表情を浮かべている。俺たちを見ると、わずかに口の端を上げた。
まずい。もうこいつは内側にいる。
「族長、連れてきました」
ケルプビアードが静かに告げると、族長は俺たちをゆっくりと見渡した。感情が読みにくい。怒っているのか、悲しんでいるのか、あるいはその両方なのか。
「来たか」
声は低く、波の音に溶けるようだった。
「娘のことを知っているという者が来ると聞いた。話してみよ」
俺が一歩前に出ようとしたとき、吟遊詩人が先に口を開いた。
「族長。よろしければ、1つご提案があります」
族長が視線を移す。
「誤解が生じないよう、センスライを使うべきかと。この場にいる全員に。嘘のつけない場で話せば、真実だけが残ります」
センスライ。嘘検知の魔法だ。
俺はサークと視線を交わした。サークの目が「気をつけろ」と言っていた。
詩人が自分でセンスライをかけるというなら、俺は断っていた。こいつが魔法の術者になれば、いくらでも細工ができる。嘘を見逃すことも、逆に嘘でないものに反応させることも。そんな場に乗れるわけがない。
だが族長は俺たちを一瞥してから、傍らに控えていた側近らしいマーフォークに短く言った。
「リュアナ、かけよ」
「はい、族長」
リュアナと呼ばれた側近は、族長の右後ろに位置していた。体格はやや小柄で、鱗の色は族長より明るい水色だ。静かに目を閉じ、短く、しかし澄んだ声で詠唱を始めた。
淡い光の膜が、その場にいる全員をふわりと包んだ。俺の肌に、ほんのりした違和感が走る。体に何かが貼りついたような、そんな感覚。
族長の側近がかけるなら、話は別だ。マーフォーク側にとっても公正でなければ意味がない。細工をする動機がない。
それでも俺は、吟遊詩人の顔を見た。
この男は、族長にセンスライを提案した。自分ではなく、族長側の誰かが使うことも、最初から織り込み済みだったんじゃないか。
詩人は穏やかな顔のまま、何も言わなかった。
「では話してもらおう」
族長の言葉に、俺は息を整えて口を開いた。
「まず前提として確認したいことがあります」
できるだけ落ち着いた声を心がけた。ここで焦ったら負けだ。
「人魚の肉を食べると不老不死になるという噂が、この周辺で広まっていました。その噂がマーフォークへの被害の原因になった可能性がある。俺たちはそう考えて、噂の出所を調べていました」
族長は黙って聞いている。
「族長の娘さんのことも、その流れで知ることになりました。俺たちは戦争を望んでいない。真実を明らかにしたうえで、この状況を止めたい」
言い終えると、吟遊詩人が穏やかな声で言った。
「族長。1点確認させてください」
詩人は族長に向かって、しかし声はその場全員に届くように言った。
「私はその不老不死の噂を広めたことも、マーフォークへの被害をそそのかしたことも、一切ありません」
光は揺れなかった。
嘘ではない、という判定だ。
俺の中で、組み立てていた前提がぐらついた。こいつは噂の拡散に直接関わっていない。だとすれば、さっきまで俺が想定していた「吟遊詩人が両側を焚き付けた」という図式は、少なくとも単純にはあてはまらない。
詩人が俺に向き直った。
「タカオさん、でしたか。この場を混乱させないために、質問はなるべく明確にしませんか。はい、いいえで答えられる形で」
笑顔だった。柔らかく、誰が見ても誠実そうな笑顔だった。
だからこそ俺は、その提案を警戒した。
はい、いいえで答えさせる。それはつまり、こちらが文脈を説明する余地を奪うということだ。事情を語れない問答の中で、事実だけを切り取られたら、どんな真実でも別の形に見える。
だが断れば、この場にいる全員に「やましいことがある」と思わせる。
「……わかりました」
俺は答えた。今は乗るしかない。その上でどう切り返すか考える。
「では最初の質問を」
詩人が族長と俺を交互に見ながら言った。
「族長の娘は、人間、あるいはその仲間によって殺されたのではないですか」
一瞬の沈黙。
族長の目が俺に向いた。答えを待っている。周囲のマーフォークたちが、わずかに体を動かした。
事実として、俺たちが倒した。それが族長の娘だった。人間である俺の仲間のサークが、ライトニングを当てた。倒したのは事実だ。
「はい」以外の答えが、ない。
「……はい」
族長の目が、すうっと細くなった。
詩人は何も言わなかった。ただ、少しだけうなずいた。まるでそれを予期していたかのように。
リアンが前に出た。
「私からも確認させてください」
詩人に向かって、静かだが明確な声で言った。
「あなた、または、あなたの仲間は、マーフォークと人間の間に戦争を起こそうとしているのではないですか」
詩人は少しも揺れなかった。
「いいえ」
光は揺れなかった。
嘘ではない。
リアンが小さく眉を寄せるのが見えた。俺も同じ気持ちだった。こいつは何かを企んでいる。でも、その企みが「戦争を起こすこと」ではないとしたら、何が目的なのか。
詩人がゆっくりと、俺の方へ向き直った。
「では、最後に確認させてください」
その声のトーンが、少しだけ変わった気がした。穏やかさの中に、何か固いものが混じった。
「族長の娘を殺したのは、あなた、あるいはあなたの仲間ですか」
頭の中で、一瞬で計算が走った。
はい、と言えば。
族長の娘を殺したと認めることになる。事情の説明が追いつく前に、戦闘が始まるかもしれない。周囲のマーフォークの体が、すでに動く準備をしている。
いいえ、と言えば。
嘘検知が反応する。この場にいる全員の前で、俺の言葉が嘘だと判定される。そうなれば信用はゼロになる。それどころか、嘘をついたという事実が族長の怒りに火を注ぐ。
どちらに答えても、詰んでいる。
そういう質問を、この男は作った。
族長が1歩、砂の上を踏んで前に出た。
周囲のマーフォークたちの気配が変わった。サークが俺のすぐ横に並んだのが気配でわかる。バルドが静かに腰を落として重心を下げた。リアンの指先で、小さく魔力の気配が動き始める。
全員の視線が、俺に向いている。
族長の目は、もう怒りを隠していなかった。
まずい。このまま正直に答えれば――




