第32話 残された違和感
翌朝、ウィンストンの館に向かった。
庭でニアがゾマと並んで日向ぼっこをしていた。俺たちが来ると、ニアがのそりと頭を上げた。
「タカオ様、今日も海か」
「ああ。その前に聞きたいことがある」
ニアが首を傾けた。
「ニア、乗騎じゃなくて……相棒として一緒に戦うつもりはあるか」
「今も戦っとるんやないんか?」
俺は少し間を置いた。ニアには質問の意図が伝わっていなかった。
「俺と、これからもずっと一緒に戦っていくつもりはあるか」
「急にどないしたんや?」
答えを急かすのは違う気がした。
「考えておいてくれ」
「わかった」
ニアが軽く頷いた。深く考えている様子はなかった。でもそれでいい。今日すぐに決める話ではない。
前日と同じ魔法構成で海へ向かった。
高波の海域に着いて、ニアがスカイウイングで低空を旋回し始めた。水面を広範囲で観察する形だ。
しばらくして、ニアが言った。
「おる。昨日と同じあたりや」
「今日はすぐに追わない」俺は言った。
「なんでや」
「逃げる方向を見ておく。どこへ向かうかがわかれば、拠点が特定できるかもしれない」
昨日は距離を詰めた瞬間に逃げられた。相手が水中に逃げ込んでからでは追えない。だから今日はあえて泳がせて、向かう先を観察する。
「ゆっくりついていく。距離を保て」
「わかった」
ニアがスカイウイングのままで、水面から少し高い位置を低速で移動し始めた。
20分ほど追跡を続けた。
黒ローブは徐々に北東へ向かっていた。速度は速くないが、一定の方向性があった。
やがて岩場が見えてきた。海岸線が入り組んだ入り江で、外海からは見えにくい地形だ。
「あそこに上がった」ニアが言った。
入り江の奥の岩の上に、黒ローブが姿を現していた。
距離があったが、右手に何かを持っているのが見えた。細長い、槍に似た形の道具だ。それを海に向けると、水面が揺れた。
「高波の原因はあれか」
「そう思います」サークが言った。
俺は全員にウォーターブリーズを付与した。水中に入る可能性がある。備えておく方がいい。
「近づく」
ニアが入り江に向かって降りていった。
岩の上の黒ローブが、こちらを向いた。
女の声だった。
「しつこいわね。死にたくなければ去りなさい」
「高波で人を困らせているのを見過ごすわけにはいかない」俺は言った。「話を聞かせてもらえないか」
短い沈黙があった。
黒ローブの右手が動いた。
ライトニングが走った。
ニアに直撃した。
ニアの巨体が大きく揺れた。体格があるから避けられない。電撃が翼を伝って広がった。ニアが短く叫んだ。
「ニア!」
「生きとる……痛い」
敵のライトニングはサークのものと同等かそれ以上の威力があった。光属性の使い手だ。レベルは少なくとも3レベル魔法が使える水準だ。
「サーク」
「はい」
サークがライトニングを撃った。
光が走った。黒ローブに直撃した。
黒ローブが破れた。
中が見えた。
俺は言葉が出なかった。
女性だった。上半身は人間に近い形をしていたが、下半身が魚の尾になっていた。マーフォークだ。
でも、その状態が問題だった。
肉が削がれていた。あばらが1部見えていた。まともに生きている状態ではなかった。どこかで大きなダメージを受けて、それでも動いていた、そういう状態だ。
「あれは……」サークが声を落とした。
マーフォークはそのまま崩れた。
岩の上から海に落ちた。
サークのライトニングが決め手になったが、あの状態では何かが触れただけで終わっていたかもしれない。既に衰弱しきっていた。
海面が少し揺れて、静かになった。
「強敵じゃなかった」俺は言った。「最初からあの状態だった」
「高波を起こしながら、ずっとあの状態で動いていたということですね」サークが言った。
俺は何も言えなかった。
岩の上に槍状の道具が残っていた。
ニアが水面ギリギリまで降りた。俺が岩に降り立って道具を拾った。
手触りは金属と木材を組み合わせた感じで、全長が50センチほどだ。特に飾りはないが、表面に細かい文様が刻まれていた。
「これが高波を起こしていた道具か」
「魔法的な力が込められています」サークが言った。「ディテクトマジックで確認しました」
「持って帰る」
ニアを館に送り届けてから、ギルドへ向かった。
受付で状況を説明した。海坊主の討伐依頼を受けていたが、実際には海坊主ではなかった。マーフォークが道具を使って高波を起こしていた。そのマーフォークが戦闘中に死亡した。道具を証拠品として持ち帰った。
職員が道具を確認した。少し顔が曇った。
「確認が取れ次第、報酬の処理をします。ただ、海坊主の討伐ではないため、扱いについて上に確認が必要です」
「構わない。道具の調査もお願いしたい」
「承りました」
報告が終わって、ギルドの食堂で少し休んでいると、入口の方から音が聞こえてきた。
吟遊詩人だった。リュートを持った若い男が、テーブルの間に立って歌い始めた。
歌の内容が耳に入ってきた。
可哀そうな人魚の娘の歌だった。
ある日、強欲な人間に捕まった人魚の娘がいた。人魚の肉を食べると不老不死になるという言い伝えがあった。人魚はある貴族に売られて、肉を食べられた。だが、不老不死になるというのはでたらめだった。効果がないとわかると貴族は、それを黙って人魚を商人に売った。商人も人魚の肉を食べ、効果がないとわかるとまた別の誰かに売った。
俺は手を止めた。
今日、マーフォークが死んだ。あの衰弱した体の状態を思い出した。肉が削がれていた。長期間にわたって、何かをされていたような状態だった。
この歌の内容と、重なった。
歌が終わった。
俺は吟遊詩人を見た。男が俺の視線に気づいて、軽く会釈した。
「いい歌ができたでしょう」
男がそう言って、荷物をまとめ始めた。
「南の島に行ってみようと思います。もっといい話が聞けそうですから」
それだけ言って、ギルドを出ていった。
サークが静かに言った。
「今のは何だったんでしょう」
「わからない」俺は言った。「ただ、引っかかる」
「タイミングが良すぎましたね」
「そうだ」俺は言った。「今日マーフォークが死んで、その直後にあの歌を歌った。内容も具体的すぎる。不老不死、人魚の肉、売買。偶然この話が出てきたとは思えない」
「情報を持っている人間、ということですか」
「あるいは、情報を誰かに流している人間かもしれない」
吟遊詩人は南の島に向かうと言った。南の島。南の海岸の絶壁に薬草がある、という採取依頼を思い出した。海に面した場所だ。
不老不死の薬の噂が流れていた。その材料として人魚の肉が使われていた可能性がある。そして今日、そのマーフォークが死んだ。
事件は終わったはずだった。
でも繋がっていない点がまだある。不老不死の噂の発端。人魚が捕まった経緯。誰が最初に人魚を売ったのか。吟遊詩人が知っていた理由。
「南の島に向かう必要があるかもしれない」俺は言った。
「バルドたちが着いてからの方がいいですか」
「それも含めて考える」
俺は食堂の出口を見た。吟遊詩人の姿はもうなかった。
人魚は死んだ。高波は止まるだろう。それは解決だ。
でも何かが、終わった気がしなかった。




