第14話 憑依魔術と対処法
穏やかな声が坑道に響いていた。
俺は動かなかった。動けないのではなく、考えていた。
さっきの1撃を思い出した。ガルバンが倒された瞬間を。ラザンの体が向いて、腕が前方に伸びて、光が走った。
腕を向けていた。
手を向ける必要がある。加護魔法も同じだ。魔法を使うには対象に向けて手を向ける必要がある。
ラザンの体が、俺とサークを順番に見ていた。次の行動を計算しているのだろう。
こちらも計算する。
正面から向かっても、そのまま魔法を撃たれる。距離を詰める前に終わる。横に回り込めば、照準を合わせ直す時間が生まれる。その隙が使えるかもしれない。
俺は正面から動かなかった。
1歩、右に踏み出した。
ラザンの視線が追ってきた。腕が動こうとした。
その瞬間に走った。正面ではなく、横へ向かって。
ラザンの体が体ごと向き直そうとした。追いかける動きだ。でもその動きが止まった。
サークが動いていた。
俺が横に走った瞬間、サークがラザンの正面から突っ込んでいた。腕が前に出る直前に、サークの体がラザンに直撃した。
ラザンの体が横に飛んだ。
着地した。すぐに立ち上がろうとした。
俺はその一瞬でサークに向けてブレスを発動した。パスワードを口にした。淡い光がサークを包んだ。
「サーク、腕を抑えろ」
サークがラザンの片腕を押さえた。俺が反対側に回って、もう片方の腕を掴んだ。
ラザンの体が暴れた。力が強かった。普通の人間の腕力にしては強い。魔術師が操作しているからか、それとも別の強化がかかっているのか。
俺は荷物から縄を引き出した。前の旅で野営道具として持ち歩いていたものだ。
サークが押さえている間に、両腕を背中側に回して縛った。きつく、しっかりと。
ラザンの腕が完全に封じられた。
腕が使えなければ、魔法は撃てない。
ラザンの体の抵抗が、急に止まった。
脱力して、そのまま床に崩れた。意識を失ったように見えた。
俺は息をついた。
その直後だった。
頭に圧迫感が来た。
痛みとは違う。何かが外から押し込んでくるような、意識の縁が侵されていくような感覚だ。
「タカオ様」
サークが声を出した。苦しそうだった。
「サーク」
「頭が……」
「乗っ取りだ」俺は即座に言った。「こっちに集中しろ、俺の声を聞け」
頭の圧迫感が増した。でも意識はまだ俺のものだった。
「サーク、聞こえるか」
「……はい」
「俺の声に集中しろ。今どこにいる」
「坑道の……中です」
「そうだ。俺はここにいる。お前もここにいる」
圧迫感が続いた。でも俺の意識は揺らがなかった。サークの方も、返事が続いている間は繋がっていた。
数十秒ほど経ったか、それとも数分だったか、感覚がなかった。
圧迫感が、静かに引いた。
サークが深く息をついた。
「……抑えられました」
「よかった」俺も息をついた。「無理に動くな、しばらく」
「はい」
敵は肉体だけじゃなく、精神にも干渉できる。ラザンに入った時も同じだったはずだ。今は縛られた体で動けないから、精神侵食に切り替えてきた。
俺の声でサークが踏みとどまった。逆を言えば、1人だったら危なかった。
撤退しようとした。
ラザンを担いで坑道の外に出る。それが今できる最善だと判断した。
振り返った瞬間、倒れていたガルバンが起き上がった。
ゆっくりと立ち上がった。傷を負っているはずなのに、痛みを感じていない動き方だった。目が俺を見た。
目が、笑っていなかった。
「まだいたんですか」
ガルバンの口から、さっきの男の声が出た。
ガルバンの体が腕を前に向けた。
俺は横に跳んだ。
光が走った。壁に当たって散った。
ガルバンの体が向き直した。もう一度腕を向けようとした。
腕が止まった。
ガルバンがつぶやくのが聞こえた。「くそ、この鎧が……」
俺は一瞬で理解した。
魔力魔法は、鎧を着た状態では発動できない。ギルドで聞いた話だ。魔力の流れが金属鎧で遮断されるためで、魔術師が戦闘向きの重装備を嫌う理由の1つだと聞いていた。
黒ローブの男は魔術師だ。自分の体では軽装だったから使えた。でもガルバンの体は鍛冶師の胴当てと小手を着けている。金属が魔法を塞いでいる。
魔術師が近接戦闘を得意とするわけがない。
「サーク、取り押さえるぞ」
ガルバンの体が前に出てきた。拳を振った。
素人の動きだった。体格と筋力は本物のガルバンのものだが、操作している側が戦い方を知らない。
俺は拳を横にずれて避けた。サークがガルバンの背後に回った。
サークがガルバンの腕を押さえた。俺が前から抑えにかかった。
ガルバンの体が暴れた。サークのブレスがまだ効いていたおかげで、俺も何とか体勢を保てた。それでも力が強い。
動きがぎこちなかった。操作が上手くない。本来のガルバンなら、俺たちが押さえられる相手じゃない。でも今の動きなら、なんとかなる。
もう1本の縄で、ガルバンの腕を後ろに回して縛った。
動きが止まった。
ラザンとガルバン、2人分の体を坑道の外に出さなければならない。
ラザンは俺が担いだ。サークがガルバンを誘導しながら押した。縛られているが足は動く。歩かせながら進んだ。
坑道が長く感じた。ランタンの光が揺れるたびに壁の影が動いて、何かが来るような気がした。精神侵食の感覚がまだ頭の隅に残っていて、現実の感覚と混ざっていた。
出口の光が見えた。
外の空気が入ってきた。昼の、冷たい山岳の空気だ。
2人を地面に横たえた。俺もサークも、しばらく動けなかった。
体を引きずるようにしてシルバムのギルドへ向かった。
入口で状況を伝えると、受付の対応が変わった。通常の職員ではなく、上位の職員が出てきた。
ガルバンとラザンは医療担当に引き渡された。俺とサークは別室に通されて、1から事情を説明した。
坑道の内部。アンデッドの構成。黒ローブの男。ラザンへの乗り移り。精神への侵食。ガルバンへの乗り移り。魔法が鎧で遮断されたこと。2人を縛って外に出したこと。
上位職員が表情を変えずに聞いていた。話し終えると、少し間を置いて口を開いた。
「使用された魔法は、マジックジャーと呼ばれるものです」職員が言った。「魔力魔法のレベル5相当の禁術で、他者の肉体に自分の魂を移し込む技術です」
「禁術か」
「この国では使用が禁じられています。使用者はレベル25以上の魔術師と推定されます。それ以下では習得自体が難しい」
レベル25。俺の加護魔法はレベル4だ。桁が違う。
「アンデッドはその魔術師が生成していたのか」
「状況からそう判断します。実験、と言っていたとのことでしたね」
「そうだ」
「問題があります」職員が続けた。「マジックジャーは魂を器に収めることで術者が移動します。本体の魂を収めた器、つまり魂の器が近くに存在するはずです」
「それが残っている間は」
「はい。器を破壊しない限り、魂は消えません。また周囲の人間に乗り移ろうとしてくる可能性があります。近づくことは危険です」
あの精神侵食の感覚を思い出した。頭に直接来る感覚だ。あれが続いたら、俺もサークも持たなかったかもしれない。
「即時対応案件です」職員が言った。「Bランクの冒険者を手配します」
俺とサークは別室で待つように言われた。
Bランク。俺たちは今EランクでFランクから上がったばかりだ。それよりさらに3段階上だ。今回の案件がどの水準の脅威だったのか、数字で示された気がした。
部屋の隅でサークが体を落ち着けた。俺はベンチに腰を下ろした。
しばらく、2人とも黙っていた。
「1つ聞いていいですか」サークが言った。
「ん」
「なぜ腕を縛ろうと思ったんですか。最初に」
「魔法を使うには手を使うだろ。ガルバンが倒された時、ラザンの体が腕を前に向けていた。だから腕を封じれば止められると判断した」
サークがしばらく黙った。
「タカオ様」
「何だ」
「属性魔法は、視線で使います」
俺は少し間を置いた。
「視線?」
「はい。手を向ける必要はありません。対象を視認できれば発動できます」
俺はもう少し間を置いた。
「……じゃあ、腕を縛っても意味はなかったのか」
「今回の敵が使ったのは魔力魔法だったので、結果的には正解でした。ただ、属性魔法使いが相手だったら、腕を縛っても防げなかったと思います」
俺は天井を見た。
「魔法によって条件が違うのか」
「はい。加護魔法も対象に触れる必要があるものと、そうでないものがありますよね」
「つまり俺の判断は、たまたま合っていた」
「はい」
俺は深く息をついた。
「もっと勉強が必要だな」
「はい」サークが少し間を置いて言った。「ただ、腕を縛ろうとする発想自体は、俺にはなかったと思います」
「結果論だ」
「それでも、今回は助かりました」
俺は何も言わなかった。言えることがなかった。
数日後、報告が来た。
Bランク冒険者が坑道に踏み込み、魂の器を発見して破壊したとのことだった。術師の魂は完全に排除された。ラザンとガルバンは意識を取り戻していた。
ガルバンから俺たちに伝言があった。
「助かった、ありがとう。
回復したらお礼がしたいから、寄ってくれ」
アンデッドの発生事件は解決した。
でも頭に残るものがあった。
レベル25以上の魔術師。禁術のマジックジャー。シルバムの廃坑で、アンデッドを生成しながら実験していた男。
目的がわかっていない。何のために実験をしていたのか。あの男1人の話なのか、それとも別の何かと繋がっているのか。
鉱区のアンデッドと、山越えの行方不明者と、ゴブリンの増加。点が増えてきた。線になるかどうかは、まだわからない。
「サーク」
「はい」
「この辺りで起きていることが、全部繋がっている気がする」
「俺も同じことを考えていました」
窓の外でシルバムの夜が静かだった。金属を打つ音は昼間だけで、夜は止まる。鉱山都市の夜は、思ったより静かだった。
次にやるべきことが、まだ見えていなかった。でも、今は少し休める。それで十分だ。




