第13話 黒ローブの術師
坑道の中は暗かった。
入口から数歩踏み込むと、外の光が急速に遠くなった。ガルバンが腰の道具袋から油のランタンを取り出して火を点けた。橙色の光が石壁を照らした。天井が低い。大人が立てる高さはあるが、余裕はない。ドワーフ体型のガルバンにはちょうどいいくらいの高さだ。
空気が淀んでいた。
地上の空気とは違う。湿っていて、動いていない。古い木材と岩の粉の匂いに、もう一つ何かが混ざっていた。
「サーク、どうだ」
「強くなっています」サークが低く言った。「生き物の匂いではないです。腐っているとも違う……生命がないものの匂いです」
「ラザンの匂いは?」
「……ここからでは分かりません」
ガルバンが前を向いたまま言った。「行くぞ」
三人で進んだ。ガルバンが先頭、俺が中間、サークが最後尾だ。ランタンの光が揺れるたびに、壁の影が動いた。
最初の角を曲がったところで、それがいた。
人の形をしていた。でも人じゃない。肌が灰緑色に変色していて、動きがぎこちなく、目に光がない。腐敗臭が漂っていた。ゾンビだ。魔物知識が即座に答えを出した。
俺が反応するより速く、ガルバンが動いた。
一歩で距離を詰めて、斧を横に薙いだ。
音がした。骨が砕ける音と、石壁に何かがぶつかる音が重なった。ゾンビが通路の端まで吹き飛んで、そのまま動かなくなった。
一秒もかかっていなかった。
「……強いな」
声に出ていた。
ガルバンは俺を振り返りもせず、前を見ていた。
サークが俺の隣で静かに言った。「俺よりも遥かに強いです」
戦力差がはっきりしていた。ガルバンがいれば、ゾンビ相手には圧倒的だ。
さらに奥へ進んだ。
二体目のゾンビは通路の真ん中に立っていて、ガルバンが同じように一撃で弾き飛ばした。
問題は三体目だった。
姿が違った。ゾンビより動きが速い。体格は人間に近いが、指が長くて爪が鋭い。目が黄色く光っていた。グール、と魔物知識が教えてくれた。
ガルバンが斧を叩きつけた。
グールが壁に激突した。ゾンビと同じ威力のはずだ。
でも起き上がった。
砕けた腕が、見ている前でゆっくりと戻っていった。骨が繋がっていく音がした。
「なんだ」ガルバンが声のトーンを変えた。
「待ってくれ」俺は言った。
魔物知識を参照した。グール。アンデッドの中でも再生能力が高い種族。物理攻撃では再生が追いつかない。魔法の力が込められた武器でなければ、決定打にならない。
「グールには魔法の武器が必要だ。普通の攻撃では倒せない」
ガルバンが斧を見た。普通の鉄の斧だ。
「厄介な」
グールが起き上がって、こちらに向かってきた。ガルバンが再度叩いて後退させた。でもまた再生する。消耗戦だ。
「一度戻る」俺は言った。
ガルバンがグールを通路の奥に押し戻してから、こちらに向かってきた。
「賛成だ」ガルバンが即座に言った。「倒せない相手に当たり続けるのは無駄だ」
三人で来た道を戻った。グールが追ってくる気配はなかった。
坑道の外に出ると、昼の光が目に刺さった。
ラザンの匂いはまだ奥に残っていた、とサークが確認した。生きている。でも時間はかかれないかもしれない。
坑道の入口から少し離れた岩の脇で、三人で話し合った。
「対アンデッドの魔法が必要だ」俺は言った。「光属性にホーリー系の魔法がある。武器に特攻を付与できる」
「種類は?」サークが言った。
「ホーリーウェポンが武器一つへの付与。ホーリーファングが肉体武器、つまり爪や牙への付与だ」
俺はガルバンを見た。それからサークを見た。
どちらに付与するべきか、答えはすぐに出た。
「ガルバンに付与する方がいい」
「俺か」ガルバンが言った。
「元の攻撃力が高い。一撃の価値が段違いだ。さっきのゾンビを一発で仕留めるあの威力に、アンデッド特攻が乗れば、グールも同じように片がつく」
ガルバンが少し考えてから頷いた。「理にかなっている」
「ホーリーウェポンをサークが習得する必要がある。費用は二十ゴールドだ」
「払う」ガルバンがすぐに言った。「弟子を助けるためなら安いものだ」
シルバムのギルドに急いで戻った。
ホーリーウェポンは光属性の2レベル魔法だ。サークはすでに光がレベル5になっている。習得条件は満たしていた。
費用をガルバンが支払って、簡易講習を申し込んだ。
一時間で習得できた。サークが光の力を武器に流し込む感覚を説明してくれた。「刃に意志を込めるような感じです」とのことだった。
工房に戻って、俺がエイドをサークにかけた。ポケットの回復を早めて、ホーリーウェポンをセットできる状態に整えた。
「ガルバン、斧を出してくれ」
ガルバンが左手の斧を差し出した。サークがそれに向けて魔法を発動した。斧の刃が、ほんの一瞬だけ白く光った。光は消えたが、何かが込められたのがわかった。
「できた」サークが言った。
「確認してみるか」
「信じる」ガルバンが斧を受け取って、感触を確かめるように振った。「重さが少し変わった気がする。行くぞ」
二度目の突入は、一度目とまるで違った。
最初のゾンビにガルバンが斧を叩きつけると、今度は光が散った。ゾンビが塵になった。
「効いている」
ガルバンが次に向かった。もう一体のゾンビも同じだった。触れた瞬間に消えた。
グールがいた場所に到達した。グールが起き上がって向かってきた。
ガルバンが一歩で詰めて、斧を叩きつけた。
光が散った。グールが消えた。再生しなかった。
俺とサークはほぼ何もしていなかった。ガルバンの背中を追いながら、前後の安全を確認していただけだ。
「すごいな」
声に出すつもりはなかったが、出ていた。
サークが小声で言った。「俺が前衛に出る必要がありませんでした」
戦力差がはっきりしていた。適切な武器と適切な戦力が組み合わさると、こういうことになる。俺たちがホーリーウェポンを用意したことで、ガルバンが本来の力を発揮できた。
通路が広くなった。
採掘場だったと思われる空間に出た。天井が高くて、石柱が何本か残っている。ランタンの光だけでは端まで見えない。
サークが言った。「ラザンの匂いが強くなっています。前方です」
奥に人影が見えた。
地面に倒れているのがラザンだ。動いていないが、胸が上下しているのが見えた。生きている。
その前に、別の人影が立っていた。
黒いローブを纏った男だった。フードを深く被っていて、顔が見えない。体格は中肉中背で、特に目立つ特徴はない。ただ、立ち方が奇妙だった。俺たちが来たことに気づいているはずなのに、振り返ろうともせず、ラザンを見下ろしていた。
「ラザン!」
ガルバンが叫んだ。
黒ローブの男が、ゆっくりと振り返った。フードの下から見える顔は、四十代くらいの平凡な顔だった。ただ、目が笑っていなかった。
「ああ、来ましたか」男が言った。声は穏やかだった。丁寧だった。場違いなほど落ち着いていた。「少し早かったですね。実験がまだ終わっていないのに」
「実験だと?」ガルバンが言った。
「ええ。この鉱区はなかなか良い環境でして。アンデッドの生成実験に使わせてもらっていました」男が穏やかに続けた。「邪魔をしないでいただけますか。あなた方には関係のない話ですので」
俺は男を見た。
穏やかな声で、丁寧な言葉で、邪悪なことを言っている。何かが噛み合っていない感覚があった。
「ラザンを返せ」ガルバンが言った。
「それは少し困ります」男が言った。「彼には別の用途がありまして――」
男が言い終わる前に、ガルバンが動いた。
俺には追えなかった。ガルバンが一歩踏み出したと思った次の瞬間、もう男の前にいた。
斧が横に走った。
黒ローブの男の首が、ゆっくりと地面に落ちた。体がその後から崩れた。
空間に沈黙が広がった。
ガルバンがラザンに向かおうとした。
ラザンが起き上がった。
さっきまで動いていなかった。でも今、ゆっくりと身を起こして、俺たちの方を向いた。
口が動いた。
「やれやれ」
ガルバンが固まった。
「驚かせてしまいましたか」ラザンの体が、男の口調で言った。「肉体はいくつか用意しておくものですね。勉強になりました」
俺の頭が状況を処理した。
乗っ取りだ。黒ローブは本体じゃなかった。あるいは本体だったが、別の体に意識を移せる。ラザンの体に入っている。
「安心してください、まだ彼は生きています」ラザンの口が続けた。「ただ、今この体を壊すと、彼も死にます。念のため」
ガルバンの手が、握った斧の上で止まった。
一瞬だった。
ガルバンが視線をラザンに向けたまま、足が止まった。斧が上がりかけて、止まった。
ラザンの口が小さく動いた。
ガルバンを一瞬黒い何かが包んだ。
ガルバンはその場で崩れるように倒れて、動かなくなった。
一秒も経っていなかった。
呼吸はある。生きている。気絶しているだけだ。
静かになった。
ガルバンが倒れていた。ラザンの体に男が入っていた。俺とサークだけが立っていた。
サークが低く唸った。でも動かなかった。動けない理由は俺と同じだ。ラザンの体を壊せば、ラザンも死ぬ。
前衛がいなくなった。
有効な手段が見えない。
アンデッドとは違う。ホーリーウェポンが効くかどうかもわからない。相手がどんな魔法を使えるかもわからない。さっきの一撃でガルバンを気絶させた、それだけで相手の力の一端がわかる。
ラザンの体が、ゆっくりとこちらを向いた。
男の目が、俺とサークを順番に見た。
口元が少し動いた。
「さて」
穏やかな声だった。
「次はどうしますか?」




