第101話 死地と蘇生――崩れた戦術の先へ
グレイシャが落ちていく。
ニアが急降下した。俺は背にしがみついたまま、地面との距離を目で測った。間に合うか、間に合わないか、その境界線上だった。
そこにサークが飛んだ。
ニアの背から、真下へ。
「エレーナを連れて退避してください」
声だけが聞こえた。
サークが落下しながらグレイシャへ向かっていた。俺が止める間もなかった。止めるべきかどうかを考える時間もなかった。
ウインザーの爪がニアに向かってきた。
ニアが体を捻った。直撃ではなかったが、側面を掠めた。ニアが呻いた。だが落ちなかった。巨体ゆえの耐久力が、この瞬間だけは味方をした。
「ニア、離脱する!」
「分かっとる!」
ニアが高度を取った。俺とエレーナを乗せたまま、戦域から遠ざかった。
俺は振り返った。
廃墟の中に、サークとグレイシャの姿が見えなくなった。
距離を取った場所で、ニアが降りた。
エレーナが地面に立った。無言だった。俺も何も言えなかった。
サークが囮になった。グレイシャを回収するために、自分がウインザーの前に残った。戻ってくるかどうか、分からなかった。
俺はニアのリジェネレーションをかけながら、南の方角を見ていた。
廃墟が見えた。煙が上がっていた。ウインザーがいる。サークがいる。それ以上は分からなかった。
「待つしかないな」
誰に言うでもなく、俺は言った。
時間が経った。
日が傾いた。エレーナは何度か立ち上がっては廃墟の方向を見て、また座った。ニアは空を見ていた。俺はスクロールの確認と回復魔法の準備を繰り返した。手を動かしていないと、頭が余計なことを考え始める。
日没が近くなった頃、気配があった。
サークだった。
グレイシャを背中に背負っていた。
俺は駆け寄った。サークの体に目立った傷はなかった。グレイシャは動いていなかった。
「無事だったか」
サークが静かに言った。
「遮蔽物が多くて索敵されませんでした。夜が明けたらフェニックスライフで蘇生します。プリザーベイションをお願いします」
「分かった」
俺はグレイシャの傍に膝をついた。リフレッシュをかけてから、プリザーベイションを発動した。光が広がって、グレイシャの体を包んだ。これで時間が止まる。夜が明けるまで、このままでいられる。
サークがグレイシャの横に座った。何も言わなかった。俺も何も言わなかった。
焚き火を囲んで、エレーナが口を開いた。
「テレポートシールという魔法があるわ」
俺は顔を上げた。
「風魔法の8レベル。術者の周囲で瞬間移動が封じられる」
全員が静かになった。
俺の頭の中で、点と点が繋がった。戦闘開始時にウインザーが発動した、正体不明の魔法。あれがそれだった。
「最近の風魔法の連発は……」
「レベル上げでしょうね」
サークが続けた。
「私たちとの戦闘を利用して、意図的に経験値を積んでいた可能性があります」
俺は息を吐いた。
俺たちがウインザーを削っている間、ウインザーも俺たちを使って強くなっていた。対等な消耗戦ではなかった。俺たちだけが本気で削ろうとしていて、ウインザーはその余裕の中でレベルを上げていた。
「もうレスキュー頼みの戦いはできない」
俺は言った。
「今後は退避すら封じてくる可能性があります」
サークが続けた。
「ウインザーがテレポートシールを維持したまま攻撃してくれば、逃げ場がない。全員がその範囲内にいれば、全滅する」
「安易に攻撃できなくなったわね」
エレーナが静かに言った。
戦略がリセットされた。レスキューを前提にした戦術は、もう使えない。リバイバルも、テレポートシールの範囲内では意味が薄れる。蘇生した瞬間に再び爪が来れば、同じことが繰り返されるだけだ。
俺は火を見ていた。炎が揺れた。
夜が明けた。
サークがグレイシャの前に立った。
「フェニックスライフ」
光が広がった。プリザーベイションの光とは違う、もっと鮮烈な光だった。
グレイシャが息を吸った。
目が開いた。朝の光の中で、金色の目が空を見た。それから、サークを見た。
「あなたが助けてくれたのね」
グレイシャの声は静かだった。驚きでも感謝の過剰な表現でもなく、ただ事実を確認するような声だった。
「ありがとう」
「当然だろ」
サークが短く言った。
それだけだった。それ以上のやりとりはなかった。でも俺には、何かが変わった気がした。2匹の間にあった棘のような距離感が、少しだけ違う形になっていた。
「このまま削りで倒すのは無理だ」
俺は全員に言った。
「常に全滅リスクがある。1人でも欠ければ火力が落ちる。テレポートシールがある以上、撤退の保証もない。持久削り戦略は破綻した」
誰も反論しなかった。全員が同じ結論に至っていた。
「じゃあ、どうするの」
グレイシャが言った。蘇生直後とは思えない、はっきりした声だった。
「それを考えないといけない」
俺は正直に言った。答えを持っていなかった。
「他の転生者を探すのは?」
エレーナが言った。
「この広い世界に、私たちだけじゃないはずよ。同じように戦っている人たちがいるかもしれない」
「ここまで来ないなら……もう残っていない可能性が高い」
俺の言葉は重かった。グリムント王国も、南部都市連合も、バングル王国も、全部壊滅した。他の転生者がいたとしても、その中に巻き込まれていたかもしれない。
エレーナが少しの間、黙った。
「それでも探してみましょう」
諦めた声じゃなかった。長く生きてきた人間の、それでも動くという選択だった。
「可能性がゼロじゃないなら、動く価値はある」
俺は頷いた。
「探す。それが次の方針だ」
火が少し小さくなった頃、サークが口を開いた。
「タカオ様、1つ相談があります」
俺はサークを見た。
サークの目が、いつもより少し違う色をしていた。迷いとも、覚悟とも取れる、普段は見せない顔だった。
「何だ」
サークは1拍置いた。
その先の言葉を、俺は聞いた。




