第六話 生徒会長の秘密がばれました
「今日は綺麗に開けられました」
「……何の報告ですか」
「前回の課題を克服した報告です」
「生徒会案件みたいに言わないでください」
ある日の放課後、玲華とコンビニからの帰り道を歩いていたところを、俺たちは思いがけない人物に目撃された。
「あら」
声をかけられて振り返ると、明るい茶髪を揺らした美桜が興味津々といった顔でこちらを見ていた。夕方の商店街の光の中、その茶髪だけがやけに目立って見えた。
「玲華、こんなところで何してるの?」
「……美桜」
玲華の声がわずかに強張った。普段の凛とした声とは違う、微かな動揺が滲んだ声だった。
「別に。少し、視察をしていただけです」
「視察? コンビニの袋提げて?」
美桜の視線が俺の手に提げたコンビニの袋に注がれる。中身はおにぎりと肉まんだった。言い訳のしようがない。視察と呼ぶには、あまりにも生活感のある袋だった。
「これは……社会視察の一環です。生徒会長として、一般生徒の生活実態を把握しておく必要があると判断しました」
「へえ。それで、笹岡くんと二人で?」
「彼には、案内を頼んでいるだけです」
美桜はしばらく玲華の顔をじっと見つめたあと、意味ありげに微笑んだ。その笑みには、幼なじみならではの逃げ場を塞ぐような余裕があった。
「ふうん。玲華がコンビニ通いしてるなんて、初めて知った」
「……通ってはいません。今日が初めてです」
「あ、それも初耳。それで、視察結果は?」
「肉まんは、想定以上に温度が高いです」
「それ感想だよね?」
「重要な現地情報です」
「玲華、もう諦めなよ」
言葉のあやを次々と拾われて玲華は次第に旗色が悪くなっていった。焦れば焦るほど、墓穴を掘っていくのが傍から見ていても分かった。俺は助け舟を出すべきか迷ったが、下手に口を挟むと余計にややこしくなりそうな気がして黙っていた。
「まあいいや。笹岡くん、ちょっといい?」
美桜は俺のほうへ向き直ると少し声を落とした。
「玲華のこと、からかったりしてない?」
「してないです。教えてるだけで」
「そう。なら安心」
美桜はそう言うとふっと表情を和らげた。夕方の光の中で、その表情には確かな親愛が浮かんでいた。
「玲華ね、小さい頃から自由時間ってものをほとんど持てなかったの。友達と遊ぶのも、寄り道するのも、全部管理されてて」
「……美桜」
玲華が咎めるように名前を呼んだが美桜は気にせず続けた。
「だから、笹岡くんが玲華に色々教えてるって聞いて、正直ちょっと嬉しいんだよね」
「勝手に、人の事情を話さないでください」
「はいはい、分かってる。これ以上は言わない」
美桜は肩をすくめると俺に向き直った。
「でも、これだけは言っておく。玲華の秘密、勝手に同情のネタにしないでね」
「するつもりないです」
「ならいい」
そう言って美桜は軽く手を振ると去っていった。残された俺たちの間に少し気まずい沈黙が流れた。商店街の喧騒が、やけに遠くに聞こえた。
「……すみません。美桜が、余計なことを」
「いえ、別に」
「本当は、たいした話ではありません」
玲華はそう言って話を切り上げようとしたが俺の中には引っかかるものが残った。玲華がこれまで自由に過ごせなかったという話は、なんとなく想像がついていたことだったが、実際に美桜の口から聞くと重みが違った。友達と遊ぶことも寄り道することも、当たり前だと思っていたものが、玲華にはずっと手の届かないものだったのだ。
☆
翌日、教室でのことだった。
休み時間、クラスの女子生徒が数人、俺の席に集まってきた。
「笹岡くん、今度の調理実習でお菓子作るんだけど、コツ教えてくれない? 定食屋の子だから詳しいでしょ」
「あー、簡単なやつなら」
「やった、ありがとう! 放課後、少し時間もらえる?」
軽い気持ちで頷きかけたところで教室の入り口から声が飛んできた。
「笹岡くんには、生徒会の用事があります」
振り返ると玲華が廊下に立ってこちらをまっすぐ見ていた。その表情はいつも通り凛としていたが、なぜか俺には、どこか焦りのようなものが滲んでいるように見えた。
「え、生徒会の用事?」
女子生徒たちが不思議そうな顔をする。俺自身心当たりがなかった。
「鷹司さん、俺、何か頼まれてましたっけ」
「……これから、頼みます」
その返事に女子生徒たちは顔を見合わせ苦笑しながら「じゃあまた今度ね」と離れていった。
教室に静けさが戻ったあと、俺は玲華に近づいた。
「で、何を頼まれるんですか」
「……考えています」
「今から?」
「生徒会には突発的な案件もあります」
「今、発生しましたよね」
「……」
玲華は答えず視線を逸らした。窓の外に目を向けたまま、何かを誤魔化すように黙り込んでいる。
「鷹司さん?」
「……特に、ありません」
「じゃあ、なんで」
「分かりません。気づいたら、口に出ていました」
珍しく歯切れの悪い返事だった。玲華らしくないその様子に俺は少し戸惑った。いつも理路整然と説明する彼女が、自分の行動の理由を説明できずにいる。それ自体が、何かの兆候のように思えた。
☆
放課後、二人きりで下校しているとき玲華はずっと様子がおかしかった。いつもより口数が少なく時折、こちらの顔をちらりと窺うような素振りを見せる。夕暮れの道を歩く足取りにも、微かなぎこちなさがあった。
「鷹司さん、なんか今日、変ですよ」
「……変、ですか」
「はい」
「……自分でも、よく分かりません」
駅前のベンチに差し掛かったところで二人で偶然、美桜と遭遇した。買い物帰りらしく袋を提げている。
「あ、また会ったね」
「……美桜」
美桜は俺たちの様子をひと目見ただけで、何かを察したような顔をした。目ざとさは、さすが幼なじみといったところだった。
「玲華、ちょっとこっち来て」
有無を言わさぬ調子で美桜は玲華を少し離れた場所へ連れていった。俺には聞こえない距離で何やらひそひそと話している。二人の後ろ姿を眺めながら、俺は何となく手持ち無沙汰にベンチの縁を指でなぞっていた。
しばらくして戻ってきた玲華の顔は、なぜか赤くなっていた。夕焼けのせいだと言われれば、そうかもしれないと思うくらいの赤さだったが、それにしては目の泳ぎ方が不自然だった。
「鷹司さん?」
「……何でもありません」
「顔、赤いですけど」
「……気のせいです」
その日はそれ以上何も聞けないまま二人は別々の電車で帰った。改札前で別れる玲華の背中が、いつもより少しだけ早足だったのが気になった。
☆
翌日の放課後、教室に残っていると、美桜が俺のところへわざわざやってきて、にやにやしながら耳打ちした。
「昨日ね、玲華に言ったの。それ、嫉妬だよって」
「嫉妬?」
「笹岡くんが他の女子と話してるのを見て、玲華、機嫌悪くなってたでしょ」
「……そうだったんですか」
「本人は認めないだろうけどね」
美桜はいたずらっぽく笑うとそのまま立ち去った。廊下の向こうに消えていくその後ろ姿を見送りながら、俺はしばらくその場で固まっていた。
鷹司玲華が俺のことで嫉妬する。
その言葉を思い返すたび、頬のあたりが熱くなった。
まだ、そんなことを考えるのは早い。
そう言い聞かせながらも、次に玲華と会う瞬間を少しだけ楽しみにしている自分がいた。
教室の窓から見える放課後の空は、いつもよりほんの少しだけ明るく見えた。
それから間もなく、学園は期末テスト期間に入った。
生徒会長で学年首席の玲華はもちろん、俺もさすがに放課後まで遊び歩いているわけにはいかない。話し合った結果、「庶民体験」はテストが終わるまでいったん休みにすることになった。
「では、試験が終わったら再開しましょう」
「はい。そのときはまた、どこか行きましょう」
そんな短いやり取りを交わして、俺たちの放課後はしばらくお預けになった。
ほんの少し前までは、放課後を一人で過ごすことなんて当たり前だったはずなのに。
玲華と一緒に帰らない日々を、どこか物足りなく感じている自分がいた。
☆
期末テスト最終日の放課後。
久しぶりに玲華と並んで校門を出た俺は、それだけで妙に懐かしい気分になっていた。
「では、本日から『庶民体験』を再開するということで、よろしいですね」
「そんな正式な会議みたいに言わなくても」
「一度中断した以上、再開の確認は必要です」
「はいはい。じゃあ再開一発目は、軽いやつにしましょうか」
そう言って立ち寄ったのは、学校近くのコンビニだった。
玲華は冷凍ケースの前に立つと、ずらりと並んだアイスを真剣な顔で見比べ始めた。
「これほど種類があるのですね」
「前にコンビニ来たときも似たようなこと言ってませんでした?」
「あのときは、おにぎりに集中していましたから」
「集中する場所なんですか、コンビニって」
玲華は俺の言葉を聞き流し、百円ほどの棒アイスを一つ手に取った。
「これにします」
「意外と普通ですね」
「普通を体験するために来ているのですから、当然です」
妙にもっともらしい。
会計を済ませたあと、俺たちは学校から少し離れた小さな公園へ向かった。
夕方の公園にはほとんど人がおらず、蝉の声だけが木々の間から響いていた。並んでベンチに腰を下ろし、俺が先に袋を開ける。
隣を見ると、玲華はアイスの袋を両手で持ったまま固まっていた。
「どうしました?」
「……開きません」
「貸してください」
「いえ、この程度は自分でできます」
そう言いながら玲華は袋の端をつまみ、慎重に力を込める。
次の瞬間。
「あ」
勢いよく開いた袋からアイスが少し飛び出しかけ、玲華は慌てて両手で受け止めた。
「危なっ」
「……問題ありません」
「めちゃくちゃ焦ってましたけど」
「問題ありません」
二回言った。
玲華は何事もなかったような顔でアイスを口に運んだ。七月の上旬とはいえ、夕方になってもまだ空気は暑い。
しばらくすると、アイスの表面が少しずつ溶け始めた。
「鷹司さん、早く食べた方がいいですよ」
「急いで食べるのは行儀が悪いのでは」
「溶ける方が先です」
「ですが――あっ」
溶けた雫が指先に落ち、玲華が目を丸くする。
慌ててアイスを食べ進める姿がおかしくて、俺は吹き出した。
「笑わないでください」
「すみません。でも、鷹司さんでもアイス相手には慌てるんですね」
「アイスの溶ける速度について、事前にじゅうぶんな知識がなかっただけです」
「そこまで大げさな話じゃないですよ」
そんなくだらないやり取りをしているうちに、テスト期間の間ずっと空いていた時間が嘘みたいに埋まっていく気がした。
玲華も同じことを思っているのだろうか。
ふと横を見ると、玲華はアイスを食べながら夕暮れの空を眺めていた。
「……笹岡くんは」
「はい?」
「試験期間中も、随分楽しそうでしたね」
「そうですか?」
「廊下で、何人かの女子生徒と話しているところを見ました」
俺は思わず玲華の顔を見る。
「見てたんですか」
「たまたま視界に入っただけです」
「何話してたかまで覚えてたりします?」
「そこまでは知りません」
玲華はぷいと顔をそらした。
期末テスト前、美桜から聞いた言葉が、頭の中をよぎる。
――それ、嫉妬だよって。
「鷹司さん、もしかして――」
「違います」
「まだ何も言ってませんけど」
「何を言おうとしていたのかくらい分かります」
玲華はそう言って、少しだけ頬を膨らませた。
「別に、笹岡くんが誰と話そうと私には関係ありません」
「そうですか」
「そうです」
そう言い切ったわりに、どこか不満そうだった。
俺はそれ以上からかうのをやめて、残っていたアイスを一口かじった。
こうして玲華と隣に座っていると、ようやくいつもの放課後が戻ってきたような気がする。
「もうすぐ夏休みですね」
玲華がぽつりと言った。
「ですね」
「夏休みというものも、私はあまり自由に過ごした経験がありません」
「じゃあ、今度は夏休みらしいことでもします?」
「夏休みらしいこと……」
玲華は少し考えたあと、興味を隠しきれない目で俺を見た。
「例えば、何でしょうか」
「それは、そのときのお楽しみってことで」
「……そういう言い方は、ずるいと思います」
そう言いながらも、玲華は少しだけ笑っていた。
夕暮れの公園に、蝉の声が響いていた。
久しぶりに戻ってきた俺たちの放課後は、もうすぐ始まる夏休みへとつながっていった。




