第7話「追憶 こまいぬのみみ」
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「ほとほと愛想がつきました」
「何?彼氏?」
「この世の全てに、です」
私はそう言ってカウンターに突っ伏した。腕は添えずに、頭から。
そう、あれは確かまだ私が高校生のころ。外には木の葉がまっていた。
むすーっと上を見上げると、フジサワさんは微笑ましく、でも真面目な眼差しで、何かあった?と聞いてくれた。
「成績が上がって、順位表に載ったんです。張り出されたんです。名前が。」
「えー、いいじゃん?」
「嬉しかった。でも、私はすぐ親友の名前を探しちゃった。
いつも私より上の子です。すごくいい子で、非の打ち所がない子。
……その子の名前を下の方にみつけて、さっきより嬉しくなった」
こんな話をすると、真面目なんだね、とか、いい子だね、優しいねって言われる。でもそうじゃない。そこじゃ、ないんだ。
「この世は残酷です」
「そう思っちゃったかー」
「人間は残酷で、怖いです。だってこういうのが、当然の感情で、誰もが抱く気持ちなんですから」
「そうだよねえ」
否定しないんだなあ。聞いてんのかなあ。聞いてなくてもいいか。
「素敵な視点だと思うよ。で、気になったんだけどさ、」
コトリ、と、最大限甘くしたコーヒーが置かれる。
フジサワさんは続けた。
「ルコちゃんはどっちであってほしいの?」
「何がです」
「世界は残酷であってほしいのか、美しくあってほしいのか」
「私の願望は関係なくないですか」
「あるよ、君の世界なんだから。仮定して、その上で色々知っていくことこそ、人生でしょ」
洗い物のために、水道の水が流れていく。じゃぶじゃぶと、頭の中も洗われていく気がする。
「うーん、たしかに?」
「結果より経験!やらない後悔よりやった後悔!」
「はは、よく聞くやつだ。でも、的を射てますよね」
「そういうこと」
まだカウンターで頬をこねながら、私は聞いた。
「……フジサワさんは、残酷だと思ったこと、後悔してること、ありますか」
答えは無かった。ただ水道の水が流れていた。
なんかマズイこと聞いちゃったかな。
でも聞いてみたい。全部分かってるかのような、大きな大人。そんな印象の彼にも、あるのだろうか。
残酷な現実に、虚しく、ただ砂を噛み続けるような虚無感。それを抱いたことが。
また、バシャバシャと水の跳ねる音が戻ったので、私はカウンターから頬を離して、緩慢に体を起こす。視線は起こせなくて、カウンターと仲良くしたまま。
水音はすぐに止んで——
不意にくしゃっ、と頭を撫でられた。
「あるよ」
思わずフジサワさんを見ると、既に手を引っ込めたあとだった。
彼は穏やかで、めいっぱい相手を慈しむような、それでいて切ない顔をしていた。
「……まだ生きてたら、ルコちゃんくらいだったかな」
エプロンの裾を撫でる手は、いつものそれより重たい。
そこに二匹の動物の絵が描かれていることを知っている。快活でしっかりした線の、大きな方。それと、優しげで控えめな、小さな方。
描いた二人がそのまま滲んだようなそれは、たしか狛犬と言っていたか。
私はこの店の名前を思い出す。
「残酷なことの裏には、その人の大事なものがあると思う。厄介なことにね。
ルコちゃんは、大事な人の為なら、悪人になれる?」
「……。」
「俺はなれるよ、どこまでも
でもそれは、誇れない」
そんなことを言いながら、フジサワさんの瞳は遠く、暗く、澱んでいた。
「……そう、思ってなきゃ、ね」
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