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第7話「追憶 こまいぬのみみ」

◆◆◇◇


「ほとほと愛想がつきました」

「何?彼氏?」

「この世の全てに、です」


 私はそう言ってカウンターに突っ伏した。腕は添えずに、頭から。

 そう、あれは確かまだ私が高校生のころ。外には木の葉がまっていた。

 むすーっと上を見上げると、フジサワさんは微笑ましく、でも真面目な眼差しで、何かあった?と聞いてくれた。


「成績が上がって、順位表に載ったんです。張り出されたんです。名前が。」

「えー、いいじゃん?」

「嬉しかった。でも、私はすぐ親友の名前を探しちゃった。

 いつも私より上の子です。すごくいい子で、非の打ち所がない子。

 ……その子の名前を下の方にみつけて、さっきより嬉しくなった」


 こんな話をすると、真面目なんだね、とか、いい子だね、優しいねって言われる。でもそうじゃない。そこじゃ、ないんだ。

「この世は残酷です」

「そう思っちゃったかー」

「人間は残酷で、怖いです。だってこういうのが、当然の感情で、誰もが抱く気持ちなんですから」

「そうだよねえ」


 否定しないんだなあ。聞いてんのかなあ。聞いてなくてもいいか。

「素敵な視点だと思うよ。で、気になったんだけどさ、」

 コトリ、と、最大限甘くしたコーヒーが置かれる。

 

 フジサワさんは続けた。

「ルコちゃんはどっちであってほしいの?」

「何がです」

「世界は残酷であってほしいのか、美しくあってほしいのか」

「私の願望は関係なくないですか」

「あるよ、君の世界なんだから。仮定して、その上で色々知っていくことこそ、人生でしょ」

 

 洗い物のために、水道の水が流れていく。じゃぶじゃぶと、頭の中も洗われていく気がする。

「うーん、たしかに?」

「結果より経験!やらない後悔よりやった後悔!」

「はは、よく聞くやつだ。でも、的を射てますよね」

「そういうこと」


 まだカウンターで頬をこねながら、私は聞いた。

「……フジサワさんは、残酷だと思ったこと、後悔してること、ありますか」


 答えは無かった。ただ水道の水が流れていた。

 なんかマズイこと聞いちゃったかな。

 でも聞いてみたい。全部分かってるかのような、大きな大人。そんな印象の彼にも、あるのだろうか。

 残酷な現実に、虚しく、ただ砂を噛み続けるような虚無感。それを抱いたことが。


 また、バシャバシャと水の跳ねる音が戻ったので、私はカウンターから頬を離して、緩慢に体を起こす。視線は起こせなくて、カウンターと仲良くしたまま。

 水音はすぐに止んで——

 

 不意にくしゃっ、と頭を撫でられた。

「あるよ」

 思わずフジサワさんを見ると、既に手を引っ込めたあとだった。

 彼は穏やかで、めいっぱい相手を慈しむような、それでいて切ない顔をしていた。

 

「……まだ生きてたら、ルコちゃんくらいだったかな」

 エプロンの裾を撫でる手は、いつものそれより重たい。

 そこに二匹の動物の絵が描かれていることを知っている。快活でしっかりした線の、大きな方。それと、優しげで控えめな、小さな方。

 描いた二人がそのまま滲んだようなそれは、たしか狛犬と言っていたか。

 私はこの店の名前を思い出す。


「残酷なことの裏には、その人の大事なものがあると思う。厄介なことにね。

 ルコちゃんは、大事な人の為なら、悪人になれる?」

「……。」

「俺はなれるよ、どこまでも

 でもそれは、誇れない」


 そんなことを言いながら、フジサワさんの瞳は遠く、暗く、澱んでいた。

「……そう、思ってなきゃ、ね」


◆◆◇◇


 

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