第8話「知らない私を被って」
『佐藤、頼みがある』
男の声で、周りの音が戻ってきた。
けれどまだぼんやりしている。ガンガン頭を打つ耳鳴りと頭痛だけが、ここを現実だと教えてくれていた。
やっと、つけっぱなしのテレビが、刑事ドラマの放映を始めたと気づいた。
『藤澤 和さんのことは残念だったね。仲が良かったみたいだけど。まさに寝耳に水だったよ。君があんな犯罪者と深い仲だったなんて。』
急激に頭の奥が冷えていく。
痛く、つんざくほど。
『彼はいろんな悪い人と取引していてね。反社会的勢力とか、何かスピリチュアルな人たちとか。最近では善良な政治家を引き摺り落とそうとしていたとか。とにかく——。』
聞く必要はない。
話す必要もない。
お前は何をほざいているんだ。
何を知っているというんだ。
『君はどこまで知っているんだい?』
「あ」
私が漏らした声と反対に、バンザイの声色が踊る。
『彼——フジサワについて』
知っていると思っていた。
”俺が仕入れてるのはコーヒーだけじゃないからね。”
”危険だ。命に関わる。”
”ルコちゃんは、大事な人の為なら、悪人になれる?”
”俺はなれるよ。どこまでも。”
きっと私は、何も知らなかった。
『今なら君を保護してあげられる。今なら君を通報なんてしない。君が逮捕されるようなことも、ない。
だから教えてくれ。何か、知っているだろう』
私は、何も。
『藤澤 和。
赤狼自警団。
……印瞳家。
頼むから。つまらない正義感は持つな。俺だってこんなこと——。』
ひとすじ、何かが脳内を突き抜けた。
バンザイ先生は続けて話している。けど今は、いつもの授業のように穏やかで、何も入ってこない。
違和感。
「……バンザイ先生」
『なんだい』
「私はほとんど何も知りません。けど、一つだけ。唯一分かることがあります。
——今日はテレビドラマ『妖怪刑事伊坂五右衛門』の最終回放映日です」
『は?』
「ルコ?」
私の言葉に、バンザイ先生と母の目がまんまるくなる。
テレビに映るドラマでは、刑事のキャラクターが他のキャラクターを問い詰めていた。
「先生、楽しみにしてましたよね。大ファンですもん。」
『……へぇ。』
リンドウさんが微笑んだ。
「私のために蹴ってくれたんですか。優しいですね。」
『当たり前だ。君は私が目にかけている学生なんだから。』
「誰でしたっけ。先生が内通者だって疑ってたキャラ。先生の考察だと確か、foxとかいう組織と繋がってるんでしたよね。当たってるみたいですよ。今やってます。」
『……ああ。ルミのことだろ。よく話したよな。』
後ろのテレビを見る。
刑事らしきキャラは、確かに相手キャラをルミと呼んでいた。
「っはははは!!すごい!貴方も観てるんだ!?
バンザイ先生と趣味合わないね!仲良くなれないよきっと!!」
『何、言ってんだ。ちゃんと俺は答え……』
「バンザイ先生は確かに刑事ドラマが好きだけど、このドラマだけは別。冒頭でワンちゃんが死んじゃってから観れていないんだよ。先生と話したのは一回きり!」
『オマエ、鎌かけて』
「そもそも、バンザイ先生は『つまらない正義感』なんて言わない。それで生きてるような人だから。私と一緒!」
……私の生活全てが偽りじゃない。そう、信じてよかった。
危うく何にも信じられなくなるところだった。後ろの母を見ながらそう思う。
『なるほどな』
リンドウさんの言葉が聞こえるが早いか、バンザイ先生(偽)の顔面に左拳が叩きつけられた。よろけた偽物をリンドウさんはすかさず蹴り上げ、殴り、吹き飛ばした拳銃をキャッチして構える。
偽物は上体を起こすが、拳銃が向けられていることに気づいて両手を上げた。
その手をパタパタ振りつつ、うんざりした顔で舌打ちと共に告げる。
『白旗ァ〜。生身のボクがアンタに敵うわけないでしょ。』
すると、
ボウッ、と音を立てて偽物の体が黄色に燃え上がった。
「ひゃ、」
燃えた。人燃えた。死んだ?
『もーなんもしないから。さっさと連れていきなよ。ボクだって忙しいんだよねぇ。ダメでした〜って報告しに帰りたいの。OK?』
炎は沈んでいき、現れたのは知らない女……いや、男だった。
パーマでくるくる巻いた藤色の髪を無造作に束ねていて、右目の眼帯を隠すような前髪がうざったい。体はよく見えないけど、太い首からして多分男。
『何処の犬だ』
『特事だワン。安心・安全第一のベリベリホワイトでスマートな職場です♡転職にいかが?』
『サトウルコ!』
「はいっ!?」
『俺達はお前にこちら側に来て欲しい。だが、お前はどうしたい』
急に言われても眩暈がするだけだ。
私は、思わず今まで被っていた帽子を脱いで深呼吸した。
「……判断材料が、足りません。今何がどうなっているのかも、わからない。」
『確かにな。まずは整理しよう。
お前に与えられた選択肢は二つ。俺とコイツどちらについてくか。
まずコイツ。特事。簡単に言えばお役人。国の人間だ。こいつらについていくメリットは、ない。』
『ひっど!』
『だーまーれ。こいつらはただの”もみ消し部隊”で、人権はフルシカトのくせして無能ばっか。コネ社会のせいで知能もなく、俺らには敵わない。能無し怪異を回収してるだけの能無し部隊だ』
『はぁ?お前何様なの?
お前ら怪異に人権とかあるわけねえだろゴミ。何人間気取ってんのキッショ。マザー××ッカーも裸足で逃げ出すようなクズの化け物に神も仏も天使も悪魔すら微笑まねえだろああそっか!お前噂になってるもんなあ!まさにそういうクズが作った罪の産物』
『だ!そうだ。とにかくこういう連中だ。』
『やべ』
特事の男は本気でキレていたらしい。
彼の罵倒の中片手で爪をいじっていたリンドウさんは、”噂”のあたりで顔をあげ、ほとんどおろしていた銃を構え直した。
「彼のおつむが夏の虫以下だということはよくわかりました」
『賢いな』
『ぶっ飛ばすぞ!?』
「こんな飛んで火に入ってく虫について行きたくないです」
『殺されたいのかな!』
「それで、あなたはヨスガくんの仲間なんでしたっけ」
『厳密には違う。あの時は端的に伝えたが、俺はヨスガを止めたい。アイツは監視対象だ。
どちらかというと、フジサワの仲間だな。』
「なら彼のお子さんの名前、知ってる?」
『……藤澤 途和子。享年十一。藤澤 和の動機。それ以上は言えない。ノイズがいるからな。』
それまでリンドウさんを睨みつけていた特事の男がプイッとそっぽを向いた。
「ありがとう。充分です」
私はそばに置いていた帽子を持って、玄関の扉に向きなおった。
「まってルコ!」
そうだよね。案の定、母は止めてくる。
「ごめんママ。私行く」
「ママにはわからんよ!なにしに行くん!なして行くん!せっかく!せっかく……
やっと、割り切って、私は、あなたを。ルイだって、もっと時間を重ねれば、きっと。」
「……私はあなたたち家族の一員になれて、幸せだった。だから、ごめんなさい。
きっと、返します。いえ、必ず」
「あなただって私の娘よ!」
「ありがとう。だいすきだよ」
◆◆◇◇
「なんの話をしてたんだ?」
リンドウさんに問われる。
「家族の話です」
嘘はついていない。
「どうやって母親を黙らせた」
「結局黙って背中を押してくれました」
これは嘘。
先ほどくぐった玄関の扉を閉める。しばらく、ドアノブから手を離せなかった。
「……お前も複雑なんだな」
「そうですね」
「こっち側か?」
「……。」
私は手に持っていた帽子を被った。
「どうなんだ?」
リンドウさんの問いに、振り向いて微笑む。
「なんのことですか?」
「……わかった。詮索はしない。行くぞ。先にその車に乗ってくれ」
「わかりました」
小さなアパートの一室。私の一人暮らしの家。
中にはまだ、母がいる。
今頃ベッドの上で寝息を立てているだろう。手荒な真似だけど、許してほしい。
私は、世界のことが知りたい。
この世界が美しいと信じたい。
……なんのために。
思い出すのは、ながい、ながい、過去のゆめ……
突然ノイズが走って、思考が止まった。
そう。私には知らないことが多すぎる。
わからないことが多すぎる。
だから、知りたい。真実を。世界を。私自身を。
そう思って、扉に背を向けた。夜はまだ、明けていない。
◆◆◇◇
この先、私は思い知ることになる。
身勝手で、稚拙で、すぐに乾いてしまう、”あい”という養分について。
覚えておいてほしい。
この物語は、ルコがヨスガを殺す結末を迎える。




