第6話「狂えず、まどう、優しい君へ」
『死亡したのは、カフェ「こまいぬのみみ」店主、藤澤 和さん、四十八歳です』
テレビの中のアナウンサーは、今日の天気でも読むみたいな声でそう言った。
私は反射的に母を見た。母も、同じ顔をしていた。
それから二人で、ほとんど同時にインターフォンの画面を見た。
「フジサワ、さん……?」
画面の向こうで、フジサワさんがへら、と乾いた笑いを漏らしている。見慣れた顔。見慣れた声。
けれど、彼の胸元押さえた手の隙間から、黒ずんだ赤がどろりと溢れていた。シャツを濡らして、腕を伝って、床に落ちていく。インターフォン越しなのに、やけに生々しい。
『藤澤さんは、胸部を深く損傷しており――』
ニュースが追い打ちみたいに続く。
「うっ、あ……」
喉の奥がひっくり返りそうになる。慌てて口を押さえた。鉄みたいな味がした気がした。気のせいなのに。
『もうニュースになったんだ。仕事早いね。』
冗談みたいに言う。
冗談みたいに、どこも見てない目で。彼じゃない音が混ざった声で。
『なんでかな、未練?なのかな。俺も中々やるね。死んでもルコちゃんに伝えなきゃって、思って。気づいたらここにいた。』
母が私の肩を掴むけど、その手は震えている。
死んだ人は、喋れないよ。
死んだ人は、動けないよ。
死んだ、人は
「フジ、サワさん、あの、今開けます。開けますから、病院。救急車呼んで、病院に」
『ダメだ開けるな!』
ビリッ、と空気が震えて頭の芯が冷たくなる。
今一瞬、彼はなんの混ざりもない声で、こちらに向かって叫んだ。間違いなく、彼はフジサワさんで、いつもの、コーヒーをめいっぱい甘くしてくれる、その人。
『……今でてきたとこなんだよ』
ふっと幕が降りるように戻る、混ざった声。でも今度は、彼のそのぐにゃりとした甘ったるい声色にちゃんと吐き気を覚えた。
「誰にやられたの?」
『……。』
「印瞳 縁?」
『違う』
んんっ、て斜め下を向いて、フジサワさんはため息をつく。それからもう一度口を開いた。
『あの子のせいじゃない。きっかけはそうだけど、あの子が負うべきものじゃない』
煮え切らない。分からないよ。
『……彼の望むままにするべきじゃない。けど、彼を1人にしちゃ、だめだ。
伝えておいて。コーヒー、まだ変な飲み物だと思うなら、また飲みに来いって。友達と、ね。』
だから、ちゃんと教えてよ。
この憤りを、何処にぶつければいいの?
「あいつに殺されたんですか!?そうじゃないんですか!?」
『だいじょーぶ、ヨスガくんじゃない。知らない怪異。』
『相手はヨスガくんを狙ってて、見た目は傘を被ってた。それしか分からん。……いや』
そこで一度、フジサワさんは考えるみたいに目を細めた。
その横で、テレビの速報テロップがまだ流れている。赤い帯に白い文字。現実感がないくせに、やけにくっきりしていた。
『名前は多分、リュウジ』
その名前。
ヨスガくんの話の中で聞いた。教育係。厳しくて、でもどこか優しそうだった人。
『ストップ。ひとまず、聞いて。』
「……ん。」
『オーケー、いい子。
俺がもつ情報全ての隠し場所を教える。君にしか分からないように伝えるから、リンドウに答えを、その在処を。教えてやって。』
「それで、どうなるの」
フジサワさんの命は、助かるの?
そんな訳ないのに。
『……きっと、君がこの世界を好きになるための、第一歩になる。』
思わず瞼をあげ、フジサワさんを見た。
暗く、淀んだ画面先。なのに、ふにゃっと笑う彼。
『……卑怯なこといってごめんね。』
「い、いえ」
『君の"いつもの"メニューの番号。左のやつね。覚えてる?』
「はい、いつも見てたので」
『てんさい。その番号かける7に0.5を足した数が緯度。北緯ね。そんで経度は……』
「そばに祠あります?お地蔵さんのスカーフ……じゃなくて、前掛けがよく変わる。あそこなら隠せそう。」
『……マジか。っまあ、そこだよ。ルコちゃんすごいね。あとはリンドウが分かるから伝えて。』
「わかりました。」
『伝えたいことは、以上だね。』
え、まって、終わり?
「やだ!!」
『……ルコちゃん』
「やだよいかないで。なんとかならないの?キョウカちゃんみたいに」
『それが出来るのは極小数の血筋、しかも怪異か守り神に対してだけ。多分俺は、怪異とは言えない。勿論守り神でもない』
「じゃあどうやってんの!?よ、ヨスガくん呼ぼう。それまで持ちこたえて」
『無理だよ。自分でわかる。』
「嫌だよ!怪異にやられたんだよね?リュウジに。もしかしたらそいつ殺せば」
『ダメだよ、ルコちゃん。』
なんで、なんでそんなに冷静なの。なんだか、満ち足りてるの。
言葉が、ごちゃごちゃと詰まっていく。
『誰が敵、誰が味方、誰が悪、正義、誰を潰せば解決か。
そういうのに、囚われない方がいい。
全部、そんなに単純じゃない。一面だけじゃない。
……ルコちゃんは、そういう複雑な造りを、ちゃんと見れる。見れる場所にいる、見ようとする人だ。
だから、どうか、正しいだけの人にはならないで。』
「……わた、しの、何が」
『……ごめん、俺、撒き餌にされてたんだ』
「な」
『来るリュウジ』』』』『『リリリリリリュウジ』『』リュ』ウあ゛があああああぁァッッ!!!!』
突然映像が割れ、砂嵐と点滅を繰り返して、途切れ途切れの絶叫する顔と断末魔が、フジサワさんの声を、形をしていた。
すぐに、画面は真っ暗になった。
「フジサワさん!?何!?どうしたの、ねえ!」
静かに、厳かに、暗闇が喘いだ。
『ヨスガ、ヨスガを、出せ、出せ。出しなさい。』
フジサワさんの声じゃない。混ざってすらいない。
「ルコッ!」
母が私を抱きしめる。
その手を煩わしげに振りほどいた。
黒くて、地面までつく、ベッタリした髪が見えて。
紫色の数珠が見えた。胸元で合わせた手にかかっている。
それに加えて、背中から細くて長い腕が6本。数珠をかけた腕以外は、あやとりでもするみたいに赤い紐をひっかけていて。
爪が、手が、何かを引き裂いたかのように赤く濡れている。
それらを引っ下げる、大きな大きな、お地蔵さんみたいな、傘。
「……リュウジ」
覚えてるよ。ヨスガくんの話に出てきた人。
教育係だっけ。でもなんだか優しそうだった。聞く限りは。
少なくとも、こんな化け物じゃない。
でも、フジサワさんを殺した。まだ、よく分かってないけど、殺したってことだ。
コーヒーの香り。お客さんの笑い声。お母さんもいる。その傍らの、優しい手でコップを拭く店主。
私が昼間まで過ごしていた日常を、壊したんだ。コイツが。
壊される、きっと、これからも。
殺さなきゃ
はしろうとして、靴下がずれる。でも、
「ルコ」
柔らかな手が、肩にそっと添えられた。
ごわごわしたもうひとつの手も、きっと。
「だめだよ」
(——全部、そんなに単純じゃない)
母は、しっかりこっちを見据えているのに、なんだかしょんぼりとして見えた。
私はその場に崩れるみたいに座り込む。肩で息をしながら、それでもまだドアを睨んでいた。
さっきよりも随分と重たげだ。
部屋中に耳鳴りだけが響く。
どれくらいそうしていたか分からない。その静寂は、突如として打ち破られた。
ピンポーン
おそるおそる、インターホンの画面をみる。
画面は心なしかさっきより明るかった。そこに映っていたのは
「リンドウさん!」
心待ちにしていた人がいた。
どこに行ってたんですか?大変なことがあって。フジサワさんが死んじゃった。私どうしたらいい?伝言を預かったんです。教えてください。全部。
言いたいことがいっぱいある。それなのに
そのうしろの男が口を開いた。
「やあ、佐藤」
「……坂西先生」
なんで?
貴方はなんなの?どうして私を阻むの?
貴方は、私の日常の中にいたひとでしょう。
だから、私はその後、リンドウさんの言葉を上手く飲み込めなかった。
「何があっても開けるな。たとえ俺が撃たれても。」
バンザイ先生がリンドウさんの頭をぶった。黒色の何かで。
彼はそれをリンドウさんに突きつけ直す。
銃という、極上の武器を。




