第4話「開いたパンドラ」
――緋月の国、てんぐの都
それがこの国、そして都市の名前。
ルコを乗せたバスは、その街の大通りを走っていた。
都市と言っても、ビルがずっとキツキツに並んではいない。中心地のビル群から少し外れれば、商店街が立ち並ぶ、ある程度発展した田舎とも呼べるような街。しかし、この国では十分に都市なのだ。
バスの中。
ルコは皆と並んで、スマホを操作する。
溜まったLEINを返していたら、母から通知があった。
『元気?』
『焦らずね!
好きな生き方でええのさ♥』
そんなメッセージに少し頬を緩めて、無難に返す。バスはもう最寄りに到着していて、ざあざあという音が耳に入ってきた。
それはもう酷い雨で、いつから降り始めたのか、とか、雨しんどーい、とか。
道行く人たちは思うがまま話し、思うがまま進む。
――みーんな、願いや傷を持ってるんだよな。
そう心の中でボヤいたルコは、傘を差す。雨降る道を歩くため。
それらが映った水溜まりをパシャリと踏みながら、ルコは歩きだした。
その時、車が猛スピードで道路を走る。その車がルコの脇を通り過ぎる瞬間、車の前の空間が妙に輝いて見えた。
そこが救いだよとでも言うように。
でもそれは一瞬だけ。すぐに現実の音が帰ってきて、ルコは進行方向に視線を戻した。
ヨスガくんの話は、あまりにも残酷で、浮世離れしていて、
……少しだけ、心が踊った。
あの人を助けることができたなら、あの残酷な話の奥底を、暴けたなら。私はこの世界を嫌いにならずに済むだろうか。
この坂を登れば我が家に着く。一人暮らしだから、わけもなく誰もいない部屋に。
ルコは、少しだけ息を吐いた。
ふと、普段は目もくれず通り過ぎる神社が目に入った。
小さくてボロい、こんな住宅街になんであるのかも分からない場所。欠けた石造りの鳥居に、伸び放題の草木。
昔の人は、これが人を助けると信じた。だからつくられた、優しい場所。
――だからなんなんだろう。
ヨスガくんにあんなに熱弁を奮っておいて、そんな逆の考えが浮かぶ。
正直、こんな寂れた場所を残したところで何になるのだと思う。
近隣の住民は木の管理に苦労しているだろう。道路沿いで車通りも多い。隣の施設は何をしているのか分からない。いるのか分からない神様だって、こんな場所ではうるさいだろう。
柱には狐下神社と彫られていた。その名前で検索をかけても、めぼしい情報はない。
地域の古い地図。
神社巡りの個人ブログ。
「心霊スポット?」という雑なまとめ記事。
そして、真偽不明の掲示板ログ。
『狐下周辺、外守省関係者の出入りを確認。夜間搬入あり。記録保存済み。隠された我らに暁を。――REN』
「れん……?」
投稿者名らしい。
ルコは画面を拡大する。
しかし、その書き込みはすぐに削除済みになっていた。キャッシュの一部だけが検索画面に残っている。
別の検索結果には、こんな文言もあった。
『政府管理区域説あり。赤狼自警団関係者が調査中? 団長芸怜の動きとの関連は不明』
「……ゲイレイ、さん」
政府に反発して、独自に慈善活動をする民間組織、赤狼自警団。その団長、赤狼芸怜。
怪異被害者を保護しているとか、外守省の隠蔽を暴こうとしているとか。
でも同時に、過激派とも言われている。
以前、フジサワさんにその話をしたことがある。
コーヒーの香り漂う店内で、彼は誰のか分からない名刺を弄りながら笑った。
「政府だけが怖いわけじゃないよ。政府を嫌ってる側も、怖い時は怖い。正義って、持ち運びやすい火だからね」
何を大袈裟なと、私は笑ったんだ。
彼が弄る名刺には、たしか大きく『REN』と印刷されていて……
え、REN?
今度はRENという名で検索をかけようとする。
「そこの方」
女性の声。顔を上げると、そこには私と同じくらいの背丈の、長い髪を三つ編みのおさげに編んだ人が立っていた。
子供っぽい髪型に反して、綺麗すぎる佇まいになんだか圧を感じる。
「あ、はい!どうかしまし」
ぱしん、と手を握られた。ぐっと彼女の顔が迫る。
その顔は笑っているようで、怒っているようで、全然読めない。怖い。
「……貴女、私と同じ瞳を見なかった?」
「え」
そう言われて彼女の目を覗く。
翡翠色の瞳。そして――ひし形の瞳孔。
脳裏に浮かぶのは、ヨスガくん。
みましたみましためっちゃみました。さっきまでカフェでおしゃべりしてました!!
――なんて言えるわけがない。怖すぎる。
「し、知りません。知らない。」
「嘘が下手ね。」
ギリリ、と彼女の手に力がこもる。唇は弧をえがき、声が笑ってるのに目は笑ってない。
腕痛いですまじ怖い離して。
「何も関係ない人は、そんな目をしてここまで来ないわ」
「いや普通にここ道路……って」
私はお賽銭箱の奥に立っていた。
奥というか、裏というか。とにかく道路じゃない。社殿の真ん前。入っちゃいけないところ。
「な、なんでえ……?」
「あらまあ、本当に呼ばれているのね。何故かしら。きっと悪い人になにかされたのよ。そう、例えば
ヨスガ、なんて名前の人に。」
ピシリと体が固まる。固まって、しまった。
もうバレたよね。バレてるよね。
三つ編みの女性はふうん、と呟いて、私の手を離してくれた。そうしてどこかを眺めつつ、口を開く。
「その悪い人に伝えてちょうだい。
貴方は罪人。
貴方は人殺し。
貴方に奪っていい理由などない」
「伝えるわけないです」
ルコは即答していた。けれど彼女も間髪いれない。
「許せないのよ。あの男」
――その目は確かにヨスガくんに似ていた。けど違う。
ヨスガくんはもっと凪いていた。この人ほど、怒りに打ち震えていなかった。もっとなにかが、見えていそうだった。
そう思ったら怖さも和らいだ。
「……貴女はヨスガくんに何をされたんですか」
「殺されかけたわ」
「それはなんでですか」
ひくっ、と女性の下まぶたが震えた。それでも笑みを崩さず、女性は口を開く。
「……あの男が怪異に唆されたのよ」
「私が聞いた話だと、少し違います。
印瞳は、ヨスガさんにとって大切なキョウカさんの命を奪ったから」
「だから大勢の命を奪っていいって?」
「そうは言っていません。お互いに知るべきで、お互いに罪があるって言ってるんっ」
ドゴッ――
気づくと、私の視界は低くなっていた。
左脇腹が痛い。自分が倒れているんだと。あの三つ編みの女性に蹴られたんだと気づくのに時間がかかった。
そのまま首を掴まれて、持ち上げられる。
なんて力だ。
「げぅっ……」
「印瞳は絶対よ。正しいの。それは前提。」
「そんな存在、ない」
「あの男に、世界にそれを知らしめるわ。
まずは貴女。」
そう言った女性の口から、黒い紐のようなものが無数に這い出てくる。
その先は、人の手のような形をしていた。
それが、私に向かって、きて、のみこまれ
「あんた何をしてるんだ」
「え」
私は自宅の前にへたりこんでいた。
あの三つ編みの女性は、何処にもいない。
代わりとでもいうように、私の目の前には白いレインコートの男が立っていた。
黒髪のオールバックに、整った顔立ち。そこに走る、傷跡。呆れたように見下ろす顔は、なんだかカタギに見えない。
「わ、わたし」
「佐藤 琉狐だよな」
「え、はい。まって、なんで名前知って、初対面」
男性は息が上がっていた。なんだか怖い。
「今すぐ家に入って、戸締りをしろ。何事もなければそれでいい。もう俺たちに関わるな。
もしどんな声が聞こえても家に入れるな。俺に連絡しろ。俺が来るまで誰が来ても戸を開けるな。俺の連絡先を入れておいた。顔認証だ、許せ。
俺はリンドウという。ヨスガの、あー、仲間だ。」
投げられた自分のスマホを受け取り、思わず本音が口に出る。
「えぇ……信じろって?」
ルコが怪訝そうにすると、リンドウは眉をひそめた。
「あんた肝が座りすぎだ。
さっきの女からお前を助けた。んであんたを抱えて走ってここまで来た。それに免じて言うことを聞いてくれ。
だが間に合ったか分からない。……本当ならあんたの事は野放しにして死んだら死んだでいいって方針なんだ。モクヒ様――俺の主人に感謝するんだな。」
なんだそれ。てかそもそも、
「どうやって私の家を……?」
「それは私」
背後から響く、あまりにも聞きなれた声。逆に体が強ばる。
「マ、ママ……?」
「ほんっっとに心配したんだからね!!?
電話でんし、出たと思ったら知らん男の人だし、誘拐でもされたんかと思ったら、ルコを助けました。今お届けしますって!怪しすぎるから詐欺かと思って通報しようとしたら、ほんとに抱えられてくるんだもん!
ぎゃくたんち?って便利ね!怖いけど!ほらもう早く入りんさい!リンドウさんほんまにありがとうございました!お礼はまたいつか!では!!」
あれよあれよという間に、母は私を引きずって家に押し込み、バタン!と、玄関を閉めた。それから手際よく戸締りをしていった。
あまりにも良い手際に、何も出来ずわたわたしていると全て終えたらしい母に抱きしめられる。
「あの人から何もされてない?」
「いや、あの人はほんとに助けてくれた人だよ」
「わかった。どこか痛いところは?」
「脇腹がちょっと……」
「見せんさい。
なによこれ、あざになっとるやない!誰に何されたん!」
「知らない女の人。ちょっと蹴られた。ちょっと。」
「ちょっとじゃないやろ!」
「受け身はとった。」
「ならよし、ちゃうわ!心配したんよ!?
警察は……あーもう、とりあえず、そうね、ご飯。ご飯食べなさい。何なら食べれる?」
あんまりお腹は空いてなかった。でも、今はものすごく母の味噌汁が飲みたい。
「味噌汁」
「よし、あるわよ。作っといたの」
「早くない?」
「今日は元々こっち来てたのよ、メール、じゃない、LEIN見てないでしょ、もう」
「ごめん」
母に味噌汁を渡される。その湯気を見たら、なんだか呆けてしまった。
ヨスガくん
キョウカさん
印瞳家
三つ編みの女性
さっきまでの出来事が、もう遠く感じる。
この国には、私が知らない仕組みがある。
印瞳家は、その中にいた。
キョウカさんは、その中で殺された。
ヨスガくんは、その中から逃げようとして、人を殺した。
そして私は。
私は、それを見つけて、胸を躍らせた。
(……最悪)
「……色々聞かないの?」
母に尋ねる。
「聞きたいさあ。けどあんたが落ち着いて、状況はようわからんけど、もう大丈夫ってなるまでは延期。」
「……ありがとう」
味噌汁を少しすする。
「もし、さ。
私が危ないことに片足突っ込んでたら、止める?」
「止める。けどまず、聞く。」
即答だった。
「止めるのに、聞くの?」
「聞かんと止められんでしょ」
「……それもそうだね」
いつも、どこの方言がどう混じってるのかも分からない、母の口調。暖かくて、ひどく馴染む。
『るこ』
呼ばれた。母では無い。
「誰」
『るこ、』
「……どうしたの」
母が声を震わせて聞いてくる。
「聞こえないの?」
「……なんも。や、やめてよほんと」
『いたいよ、るこ』
『あけて、るこ』
窓から、聞こえてくる。
私は、それに手を、伸ばした。




