第3話「一寸先も闇」
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ここがカフェの奥の部屋だなんて思えない。
それほどに冷えきって、今にも失禁するかと思った。
……ヨスガくん、君怪談の語り部向いてるよ。
そう、一周まわって揶揄いたい……!
人は一定値以上の恐怖を覚えると冷静になるんだなあって実感しながら、続きを促す。
「――それで、僕は当主になったあと、怪異……というか、幽霊みたいな。そんな存在の彼女を自分の身に降ろして、家を出ました。
……家での事故は、その代償です。」
「……えっと、つまり
印瞳家の「事故」は事故じゃなくて、君が起こした、事件……。」
「……僕だってそこまでのことになるとは、思わなかった。」
何故かフジサワさんがヨスガくんを睨んだ。
私に気づいて、すぐにこやかに笑ったけど。
……よく笑えるなこの空気で。
「今すべきは、言い訳じゃないね。
そういうこと。弁解の余地もない。でも、僕はただキョウカを……いや……」
「君のせいじゃないと思う。」
気づけば口をついていた。
無責任な言葉、だけども私はそう思った。
「どう考えてもおかしいよ。なんでキョウカさんは殺されなきゃならなかったの。そこで法は働かなかったの?
これは君の罪じゃない。印瞳の、そしてそれを見過ごした世界の罪だ。……おかしいよ」
ヨスガさんは、膝の上で手を組み、顔を伏せている。
少し間を置いて、ヨスガさんは口を開いた。
「キョウカは……瞳飲の怪異と呼ばれる存在で、17までに命を終えなきゃ、印瞳を滅ぼすと言われてた。
同時に、印瞳の家の動力源になっていたそうだ。」
「動力源……?」
「ああ。結界から湧き出してこの国に害をなす、怪異を退治するためのね。
ほら、そのエネルギーがこう呼ばれてるでしょ、『護力』って」
何を言っているんだろう。
そんな顔を私がしたら、それを見たヨスガさんも同じ顔をした。
耐えかねたように、フジサワさんが口を挟む。
「あー、ヨスガくん。君は、印瞳はそうやって国を守ってるヒーローみたいな存在だと、そう教わってたんだったよね。」
「……ええ。国民皆が知っているのだと……。」
「皆知らないよ。印瞳家はあまりよく知られてない、山奥のオカルト的な村、そして家だ。祭りで事故って大爆発。それだけの、存在。」
「……。」
印瞳家は、ただ人の命を奪った存在じゃない。
それを正当化していたんだ。
さっき、ヨスガくんが嘆いていた話の意味も分かる。
「嘘か本当か分からない大義」「自分の欲のためにルールを定める強者」。――ヨスガくんは、見てきたんだ。
そしてその嘘と欲は、丁寧に暴かれた。
ヨスガくんは首を右肩のほうに傾けて、ふー、と、やるせなくため息をついている。するとそのまま下を向いてしまった。
組んだ両手に雫が滴るのを見て、私はそれをハンカチで拭う。
「……ルコさん」
「なあに」
「このような、印瞳の大義ごときで、僕はあの子を失いたく、ない」
現在形であることが、なんだか悲しい。
先に見ていたから。ヨスガくんがキョウカと呼んだ、謎の存在を。直感でわかる――あれはもう人じゃない。
「そうだよね」
「やっと、取り戻したんだ。怪異となったこの子を。キョウカを。
でもこの子は消えかけている。消えたら、今度こそ取り戻せない、だから……!」
ダンッッ――!
盛大な音が、ヨスガくんを遮る。
出処である机には、拳が叩きつけられていた。
――フジサワさんの拳。
それがゆっくり引かれて、彼のポケットに突っ込まれる。それから彼は、嘆息を漏らした。
「ここまでにしよう」
「えっ!?」
私は思わず立ち上がりかけた。
「ルコちゃん、続きはまた今度。お代は俺の奢りでいいから帰って。ほら送るよ。」
「何言って、」
「危険だ。命に関わる。」
真剣な面持ちな、だけ。
なのに急に武器を突きつけられたみたいに、口を噤んでしまう。
……ヨスガくんは、俯いてしまっていて顔が見えない。
「巻き込んじゃってごめん。ちょっと誤解があってさ。それを解消できたら、続きを話そ。だからまた今度。ごめんね」
「……今度、ですからね」
そうして、私はその場所『こまいぬのみみ』を離れた。
――ヨスガくんを放っておけない。それに私の信念もある。今は印瞳が許せないし、その裏に何があるのか知りたい。……そこには、潰された善意が隠れているんじゃないかって、期待。これは私の研究者気質。
でも、フジサワさんへの信頼だって、ある。……今度だって言ってくれたし。なんだか怒ってたし!怖いし!
「収穫は、あった。よし。」
道は定まった。その先がなんであろうと、怖くはない。
◆◆◇◇
「誠実さは、大事だよ。ヨスガくん。……それに俺は、君の目的に加担しようとした訳じゃない。
ルコちゃんが君の傷を癒す……と、までは行かなくとも、君に悩みを共有できる友達が出来たらいいと思ったの。要するにこの場は、お悩み相談所、にしたかったわけ。」
ルコが去った直後、残った2人をコーヒーの香りが包み込んでいた。
閉じたドアを見つめたまま、フジサワはヨスガに語りかける。ゆっくり振り向いても、ヨスガは俯いたままだった。
フジサワの脳裏が赤く染まる。……見えてくるのは過去の、ヨスガとは全く関係ない出来事。人を助けて、後悔した夜。俺があいつを助けたせいで、娘が死んだ。殺された。
扉を開けた時の、全て崩れ落ちていく感覚が、蘇る。……ぱぱ、ぱぱと発していた口は、最後に何を言ったのか。
――この部屋で血が流れるのは、二度とごめんだ。
「……もうここを殺人現場にゃしてほしくねえんだわ」
フジサワは一歩、詰め寄る。ヨスガは動かない。
「そういうつもりじゃなかった。君はもう罪を重ねないとばかり、思って。
あの事故――いや、事件に関しても、お前が全部悪いとは言わない。けどちゃんと後悔してるんだと思ってたよ。」
また一歩。ヨスガは動かない。
「勘違いだったみたいだな。……いい演技だったよ。まったく騙された。」
項垂れるヨスガの頭上に、そんな言葉を降らせた。ヨスガは動かない。
「……。」
フジサワは、何か痒いものを飲んだような顔をして上体を起こす。
「……だが今回は、俺が君に誤解をさせちまった。意図をちゃんと伝えなかった。そういうわけだ、悪かった。
ルコちゃんは常連さんでな、……ほんとに頑張ってる、いい子なんだ。だからつい、カッとなっちまった。ごめんな。
仕事は、今日はもう終わりにしよう。予約もないし……もう働く気にゃなれんから、どうだ、コーヒーでも」
「妹の制止を振り切った。」
ようやく、ヨスガは口を開いた。
「……振り切って、儀式を上書き――つまり壊した。そうしてキョウカを取り戻した。
僕はそれで、逃げようとした。逃げて、キョウカと静かに暮らそうと。
でもみんなそれを許さなかった。
妹は、キョウカが僕を堕としたと言った。違うのに。
リュウジ……僕の父親みたいな人は、僕がこの国を滅ぼすと言った。殺せと言った。……もう僕のこと、見てなかった。八年前とは違って、あの人が見てたのは……いや、
それはどうでもいいか」
そこで、一度言葉を切る。
いつの間にかフジサワは、ヨスガの向かいに腰掛けていた。
「……そう」
それで、と先を促す。
「……それでなんだか、急に頭の奥が冷えたんだ。あんなにずっと、怒ってたのに。ずうっと憎かったのに。そうしたらもうなんか全部どうでもよくなって殺した。」
急いていく言葉と共に、空気が大きく揺れたようだった。実際は、フジサワが少し顎を引いただけだったのに。
「やり方は、彼らから教わってた。違ったのは、相手が怪異でなくて、人間ってだけ。迫ってきた奴を壁に叩きつけて逃げる奴もちぎってリュウジは何回刺したかな。――でも後悔はしてない。」
ヨスガが顔を上げる。
何にも見えてないのに、無理やり見据えたような目で。フジサワを見ているのに、彼と視線を合わせることはなかった。
そのまま、ヨスガは立ち上がる。あらためて、今日の夕食はなんだろうとでもいうように微笑む。
「……だからそう、上手な演技だっただろう」
ヨスガはフジサワから目を逸らすように、ドアへとむかう。
何もかもに背を向けて、口を開いた。
「キョウカの存在を保つには、生贄が必要だ。
僕は、僕が憎む奴らと同じことをする。
――でも構わない。キョウカと生きる、ためだから。」
ドアノブを捻って、押した先。光はさしてこなかった。
人の身を捧ぐ。あの子の墓前に、花を手向けるように。
「……そいつは、どんな気分だ」
フジサワの問いに、ヨスガは口を開いて、閉じた。それなのに、本音は口をつく。
「最悪だよ。」




