奇襲
「うそ……空から何かが……!」
ユズが後ずさる。
カピトリン神の石像が、砕けて崩れた。
無数の石片が宙を舞い、舞台の中心に砂煙が巻き上がる。その中から、三つの影が現れた。
最初に歩み出たのは、黒革の鎧に身を包んだ痩せた男。次に、フードを被った小柄な人物。そして、巨躯の男。
その背後には、黄金の翼を広げた獣が羽ばたく。
「あれは……グリフォン!?」フラクネシスは息を呑んだ。
「まさか、伝説を従えているものがいるとは……」マレーが目を見開いた。
黒装束の男が砂を払いながら歩み出る。
「やっぱりここに現れたか……来てよかったぜ」
後ろをちらりと見て、口の端を上げる。
「サンキューな、アリサ。これでまたひとつ“あれ”に近づける」
「まったく……感謝しなさいよね、サムエル」
フードの奥から、少女の声が響く。
「帰ったら、あの“約束”、ちゃんと覚えてるでしょうね?」
アリサの隣には九つの尾をたなびかせた、妖しくも優美な白銀の九尾狐が佇んでいた。
「誰だか知らんが、神聖な儀式を邪魔しないでもらえるか」
スパルクス――狼の神官が、拳で大地を叩くと、大地がうねり、岩塊がサムエルに向けて飛ぶ。
「ジャック!」
サムエルの一言に応え、ジャックは黙って首を小さく縦に振った。
彼の背後で、岩の巨腕を持つゴーレムが低く呻いた。
瞬間、ゴーレムがジャックに吸い込まれるように融け、鎧となって彼を包んでいく。
ガギィィィィインッ!!
土塊は粉々に砕け、ジャックは一歩も動かず、そのまま前進を続けた。
「“それ”は渡さない……!」
フラクネシスが天へと杖を掲げる。雷の波動が迸る。
天を貫く雷撃が走り、ジャックの鎧の一部が砕けた。
「静まれ、水の命よ……結晶と化せ」
マレーが両手を組み、詠唱を紡ぐ。
大地から霧が立ち昇り、水の輪がサムエルを包囲する。
“霧氷結界”――四方氷殻の術。
「……舐めるな」
アリサの九尾の尾を一本、しならせる。
放たれた白い火球が、水の結界を切り裂く。
「さて……あれを頂くとするか」
サムエルが卵に向かって歩み始めた。
「やめろ……それは……俺の――!」
ディディが飛び出す。
「ついでに、お前も始末しておかなきゃな」
その瞬間、グリフォンが咆哮を上げる。
口元が黄金に染まり、光が収束する。
黄金のブレスが迫るその瞬間、彼の中でひとつの思いが浮かんだ。
――ここまでかもしれない。
自分はまだ何も知らない。世界も、両親のことも、自分の力さえも。でもこの光に焼かれ、全てが終わるのだとしたら……。
不思議と恐怖はなかった。むしろ、胸の奥にぽっかりと穴が開くような感覚だけが残った。
レムルスの悲痛な咆哮が遠くに聞こえる――
瞬間、周囲が不自然な静寂に包まれた。炎の熱さも衝撃もない。目を開けると、ディディの周りを淡い黄金色の光が包んでいた。
「……っ、助かった……? 」
振り返ると、卵は脈動し、まるで生き物のように光を放っていた。
サムエルが目を見開き、顔をしかめる。
「くそっ……」
「これ以上好きにはさせん!」
フラクネシスが冷ややかに杖を掲げると、次の瞬間、空気が裂けた。電光を纏った鷹が疾風のごとく飛翔し、その軌跡に雷鳴が轟いた。青白い閃光が祭壇を照らし、宙を舞うグリフォンの翼を正確に貫いた。
「水よ……吞み込め」
マレーが囁くように唱えた呪文に応じて、地面が蠢き始める。杖の先から噴き上がった奔流は瞬く間に渦と化し、九尾の狐に襲いかかる。しかし、狐は滑るように身を捻り、渦の淵を駆けると、九つの尾が炎の華を咲かせる。毒にも似た紫焔が弧を描き、返す刃のようにマレーの足元を狙った。
「今だ、崩せ。」
鋭い声が響いた瞬間、黒狼の咆哮が地を震わせた。咆哮と共に足元の地面が隆起し、土石が捻じれ、巨腕と化してジャックとそのゴーレムをまとめて打ちすえる。岩の拳は轟音とともに炸裂し、ゴーレムの胸部が砕け飛んだ。
だが、砕けた岩塊はすぐさま蠢き、再びその巨躯を組み上げる。無言のままジャックは立ち上がり、双眼の奥に無機質な怒気を宿していた。
祭壇を中心にした空間は、爆ぜる魔力と咆哮が交差する戦場と化していた。煙と破片が渦を巻き、祈りの場は一瞬で戦慄の舞台へと変貌する。
「アリサ、今だ」
誰の目にも映らぬまま、霧の帳がわずかに揺らぐ。その僅かな揺れの奥から――まるで風に紛れた影のように、九尾の狐が滑り出た。
その身には熱も音もなかった。ただ尾が九つ、深い霧をすべらせるように揺れ、気づいた時には既に、祭壇の上へと辿り着いていた。九尾の尾の一本が卵に絡みつく。黒金の卵は、何の抵抗もなく持ち去られた。
その間、刹那。残光のように揺らめく九つの尾だけを残し、狐の姿は再び霧へと溶けて消える。
「……ごめんね、少年」
霧の中からアリサの囁きだけが残響のように流れた。
「撤収だ」
サムエルが冷たく命じると、カルタゴの三人とその魂獣たちは、波紋のように広がる霧へと紛れた。誰も、彼らの足音すら聞くことはできなかった。
「待て……!」
ディディの叫びは、霧にかき消されて宙に舞った。手の中には卵の鱗がひとひら、金属のように冷たく、そして微かに震えていた。ディディは、ただその鱗を握りしめる。宙を見上げるその瞳には、少年のものとは思えぬ、確かな意思の光が宿っていた。
「ディディ!」
振り返ると、ユズが息を切らしながら駆けてきた。肩に乗った黒猫が、不安そうに彼の方を見つめている。
「無事……なの? 本当に……」
ユズの声は震えていた。
「よく生きてたな、お前……」
続いてパウロが歩いてきた。
「マジで……死んだと思ったぞ。ほんとにさ……」
パウロは鼻をすすりながら拳で目をこすった。
言葉の続きを呑み込んで、彼はディディの背中をどんと叩いた。
三人は静かに並び立ち、砕けた祭壇の向こう、消えていった霧の奥を睨みつけた。




