魂獣の呼び声
その朝、ソール村にはいつもと違う空気が流れていた。
森の奥から吹き抜ける風はほんのりと湿っていて、かすかに甘く、花のような香りを運んでくる。それは、収穫祭の季節の始まりを告げる、特別な風だった。
村中が早朝から騒がしく、広場では祭の準備が進められている。木製の屋台に色とりどりの布がかけられ、焼き菓子の甘い匂いが漂う。村の子供たちは、神々の紋章をあしらったお揃いの衣装に身を包み、走り回っていた。
ディディは、教会の裏手にある泉のほとりで目を覚ました。レムルスのぬくもりに頬を寄せたまま、静かにまぶたを開く。朝の空はまだ少しだけ薄暗く、世界は静けさに包まれている。
「……ヴェスター、か」
彼は独り言のように呟き、立ち上がる。レムルスもゆっくりと体を起こし、彼の隣に並ぶ。銀色の毛並みが朝露を受けてうっすらと濡れていた。
「今日は、お前の出番じゃないかもしれないけど……それでも一緒にいてくれる?」
レムルスは、静かに一度だけ尾を振った。
******
「来た来た!寝坊助ディディ!」
世界樹の麓の森の中にある開けた広場に到着すると、パウロの大声が響いた。彼はもう儀式用の衣装に着替えていた。
「相変わらず派手に似合ってないわね、あんた。神様もきっと困ってるわ」
ユズが肩をすくめて現れた。彼女は水の神・ヴィレムネイアの祈り衣を着ていた。青と白のグラデーションが、黒髪と美しい瞳によく映えている。
「うるせーな!お前だって猫の衣装じゃねぇのかよ!」
「ふふん、これは“水の精霊”のモチーフよ。猫耳は……偶然よ。偶然」
軽口を叩きながらも、三人は自然と肩を並べて歩く。そして、広場の中央に立つ三柱神の像の前に到着した。
そこには100人ほどの子供たちが集まっていた。朝霧が地を這い、木々の影がぼんやりと揺れる。森の中は、どこか人を拒むような静けさに満ちている。時折、どこからともなく小鳥の声が聞こえては、またすぐに消えてしまう。その静謐さは、子供たちの心に奇妙な高揚と不安を同時に呼び起こしていた。
「……ここが、魂獣の祭壇……」ディディが呟いた。
眼前に広がるのは、巨大な石円。
「……き、緊張するな……」パウロが胸の前で手を握り締めた。
「お腹鳴ったら恥ずかしいわよ?」ユズが半分呆れ顔で囁く。
その時、森から三つの影が現れた。
一人は、白銀の長衣をまとった老神官。背には金色の羽をもつ鷹が止まっている。雷と嵐の神・アッシュを司る導師、フラクネシス。
もう一人は、葉で編まれた衣に身を包み、白鹿を従える女性神官。水と森の神・ヴィレムネイアの巫女、マーレ。
そして最後に現れたのは、獣の毛皮を纏った巨漢の男。その足元には、黒く力強い狼が寄り添っていた。
生命と大地の神・カピトリンの祭士、スパルクス。
「すげえ……あれが三大神の神官……」パウロは息を呑んだ。
ディディはスパルクスの傍らにいる狼を見つめ、目を細めた。
「……あの狼……どこか……」
すぐ隣で静かに立っている銀狼を見下ろす。レムルスの瞳が一瞬、遠くを見つめるように揺れた。
「これより、魂の儀式を始める。恐れるな。魂は等しく神に見守られている」
円形の中心に、一人の少年が呼ばれる。
「始めよう」
フラクネシスが言うと、三人は石畳の円に沿ってそれぞれの位置に立つ。そして――――――それぞれの魂獣が前へ出た。
鷹が空へと舞い、空中に旋回しながら光の軌跡を描く。
鹿が柔らかな蹄で地を踏むたびに、草と光が浮かび上がるように出現し、螺旋を成す。
狼が咆哮とともに走ると、大地を引き裂くように裂け目が広がり、火と影の文様が地に刻まれる。
三頭の魂獣の軌道が交差し、祭壇に神紋の魔法陣が浮かび上がる。
「いま、汝の魂を問う」
フラクネシスが叫び、雷が天を裂く。
「その本質を示せ」
マーレが続け、水の波紋が空に重なりあう。
「そして……命の種を、授けよ」
スパルクスが叫ぶと同時に、彼の狼が地を噛みしめ、唸り声を放った。
直後、世界樹の天頂から一本の光が差し込んだ。
天を貫いたその光は、魔法陣の中心に吸い込まれる。
―――――― 現れたのは、小さな灰色のリスだった。
「……リス?」「ちっさ……」
少年の顔が真っ青になる。
「フ、フラクネシス様、これは……」
「静かに。魂に上下はありません。ただ、それが今のあなたなのです」
――次の少女には、何も現れなかった。
「な、なんで……? 私……」
その子は目を潤ませながら、沈黙のまま列に戻った。
他にも、イタチ、カエル、フクロモモンガ……軽んじられ、嘲笑が走るたび、場の空気が張り詰めていく。
「次、パウロ・ランベルティ」
「来た……俺の番だ!」
パウロが足を踏みしめて進み出た。
サマエルが雷の言葉を呟き、空に稲光が走り、石畳の中心から火柱が立ち昇った。
そこから現れたのは、白頭の火を纏う大鷲だった。
「うおおおおお! やっぱ俺、燃えてんなああああああ!!」
「炎属性のアニマ!?」「かっけえ……!」
パウロの周囲が一気にざわめいた。
続いてユズが前に出る。
リリアンが静かに水を掲げると、空気に波紋が走り、漆黒の影が揺れる。
その中心から現れたのは、細身の猫。水をまとったように艶やかな青みがかった灰色の毛と、夜空のような瞳を持っていた。
「ふふ……やっぱり私には猫が似合うのよね」
ユズは満足げに微笑み、猫は足元でしなやかに身体を丸めた。
******
「君が最後だな、デイビッド・デイビス」
彼はゆっくりと歩き出し、静かに神像の前に立った。
魔法陣が再び輝き出す。
「……何も……見えな……」
ところが、魔法陣の中心で突如として地鳴りが響き、世界樹の天から鋭く一点、黒金の光が降り注いだ。光の柱が魔法陣を穿ち、空気が捻れ、時が止まったような静寂が訪れる。
そしてそこから――
「卵……?」
地面がひび割れ、岩の隙間から浮かび上がるようにして現れたそれは、黒金の鱗におおわれた、禍々しくも美しい卵だった。
ディディが卵に手を伸ばした――その瞬間だった。
ドゴオオオオオオオオオオオオオオン!!
空が裂け、世界が咆哮する。
耳を引き裂く轟音。突風。地鳴り。
祭壇の空間が、一瞬で異界のような様相に変わった。




