↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/31

試験に出る英雄

 合同食堂の夕焼けは、背の違う者たちの影を長くした。大きな椅子の足元を小さな給仕用の台車が通り、壁際では巨人のための卓へ、籠いっぱいのパンが運ばれていく。各寮の食器は同じ白でも、使い込まれた縁の欠け方まで同じではなかった。


 ディディが肉の皿へ手を伸ばすと、ユズがその前へ本を立てた。


「雷と嵐の神は?」

「食べてからじゃだめか」

「明日の朝も、食べてからって言うでしょう」

「アッシュ。これで肉を取っていい?」

「残りの二柱も答えたらね」


 パウロは二人の横で、静かに皿を引き寄せた。ユズが本の陰から手を伸ばし、その袖を捕まえる。


「あなたも答えるの」

「祈りはもう済ませたぞ。いただいた物は残しませんって」

「明日の歴史の小試験は、残さず答えてね」


 ディディは、本と皿の間で溜息をついた。


 午後の実技で開いた箱は、もう用具室だ。明日はもう少し遠くから狙ってみたい。けれど、小試験のあとにはジズーに話をしに行く。予選までまだ三か月近くある。けれど、四人揃うまで待てば済む話ではない。

 練習でできたことから話せば、誘いやすくなると思っていた。まず謝る言葉を、ディディはパンをちぎりながら探した。


 ユズの本には、細く切った紙が何枚も挟まっていた。


「そこまでやったのか?」

「成績が掲示されるなら、一番上に名前を載せたいもの。さて、水と森の神は誰?」

「ヴィレムネイア。生命と大地がカピトリン」


 ディディが答えると、彼女はようやく本を下げた。

 パンをちぎる指の間から、村の収穫祭でユズが着ていた青と白の衣が思い浮かんだ。教会の名前より、あの衣の方が先に出てくる。


「神様の名前だけ覚えるより、お前の姿を思い出す方が早いな」

「どうして私が出てくるのよ?」

「収穫祭で、水と森の神の祈り衣を着てただろ。あの青と白のやつ」

「それなら間違えないでよ。私を大地の神にしたら承知しないから」


 パウロがパンの棒を立てた。


「なら俺は、フランクだ。大いなる嵐よ、俺に腹いっぱいの――」

「知恵と自由でしょう」

「その二つがあれば、腹いっぱい食える!」


 近くの生徒が振り向いた。パウロは英雄の姿勢のまま、パンの先をスープへ突っ込んだ。


「剣を浸さないで」

「これは、川を渡る場面だ」

「川に沈めてるじゃないか」


 ディディが言うと、テーブルの向こうから甲高い笑い声がした。フィオナが自分用の台座に立ち、パウロの皿を指している。


「それ、助ける人より先に英雄が溺れてるよ!」


 パウロはパンを引き上げた。スープを吸った先が、ぽとりと落ちる。

 誰も続きを言わないうちに、彼は残った方を食べた。


 ユズは本を開き直した。


「笑って覚えた所だけ書いても、点にはならないわよ。フランクが倒した災厄の竜は?」

「ヴィズマー」


 今度はディディとパウロの声が重なった。


 その名だけは、冗談の続きにならなかった。村の教会で聞いた物語。人々を焼く竜を前に、三大神の助けを得た英雄が立つ。子どもの頃は、その場面になるとレムルスの毛を握った。


「獣は何頭だったっけ」


 ディディが挿絵を覗くと、ユズが別の頁を示した。


「『複数の獣と共に戦った』。先生も、数を勝手に決めて書くなって言ってたでしょう」

「絵だと、ここに一頭、向こうにも……」

「川向こうのは馬じゃない?」


 二人が本へ顔を寄せていると、頭上から低い節が降ってきた。


「片の岸へは、母を置き……片の岸へは、子を渡し……」


 隣の大卓に座ったゴライアスだった。食事の手を止め、こちらの挿絵を見ている。五メートルの体を丸めても、その声は卓の下に響いた。


「その歌、何?」


 フィオナが椀を置いた。


「家でよく聞いた歌だよ。その絵を見たら、橋を支える人が出てくるのを思い出して」

「フランクの歌?」

「僕の家だと、オルンって呼んでた。川の中に立って、みんなが渡るまで動かない人」


 ディディは、図書館で見た絵を思い出した。英雄の足元、その橋の下にも人がいた。


「最後は、その人も渡れるのか?」

「うん。最後の子が岸から呼ぶんだ。もう、手を放していいよって」


 ゴライアスは椀の縁へ大きな指を置いた。


「続きを歌ってもいい? 全部だと、ちょっと長いけど」

「食べ終わるまでなら聞けるぞ」


 パウロが空きかけた皿を見せた。ユズが自分のパンを一つ、その皿へ置く。


「それで少し長く聞けるでしょう」


 ゴライアスは初めの節へ戻った。

 船のない川。家から持ち出した鍋。背負われた子どもが落とした靴。教科書の挿絵よりも、渡る人々の荷物が多い歌だった。


 フィオナが途中から節を真似た。高い声が低い声の間へ入り、パウロもパンを飲み込んでから続く。

 ディディは最後の子の言葉だけ、一緒に歌えた。


「これも明日の試験に出たらいいのに」


 フィオナが言うと、ユズは本へ挟む紙を一枚増やした。


「出たら、私よりゴライアスが点を取るわね」

「でも、僕は名前の綴りを知らないんだ。歌で聞いただけだから」

「じゃあ、今度書くときに一緒に考えましょう。さっきの名前、もう一度教えて」


 彼女は本の本文へ書き込まず、別の紙にオルンと記した。


 パウロは挿絵の小さな人影を眺めていた。


「じいちゃんの話じゃ、もっと昔は人だけで魔法を使えたらしいぞ。それが本当なら、川も楽に渡れたんじゃねえかな」

「魂獣なしで?」

「そう。寝る前に聞かされた。朝起きないと、魔法で先に行っちまうぞ、って」

「それ、起こすために作った話じゃないの?」


 ユズが尋ねると、パウロは少し考えた。


「でも俺、使えたら宿題を一瞬で焼く魔法がいいな」

「書き終わる魔法じゃないのかよ」

「燃えたら先生も読めないだろ」

「明日の試験は白紙から始まるわよ」


 パウロは、急いで本を自分の方へ向けた。


 食器を下げる鐘が鳴る。ディディは残していた肉を食べ、ユズの出す最後の問いに答えた。


 雷と嵐。水と森。生命と大地。


 皿が片づけられた後も、ゴライアスは紙へ顔を寄せていた。ユズが書いた歌詞を一行ずつ確かめ、知らなかった綴りを指で追っている。

 ディディは立ちかけた椅子へ座り直した。


 川の最後に、もう一人、渡ってくる。

 そこの節だけは、明日までに覚えて帰りたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。