試験に出る英雄
合同食堂の夕焼けは、背の違う者たちの影を長くした。大きな椅子の足元を小さな給仕用の台車が通り、壁際では巨人のための卓へ、籠いっぱいのパンが運ばれていく。各寮の食器は同じ白でも、使い込まれた縁の欠け方まで同じではなかった。
ディディが肉の皿へ手を伸ばすと、ユズがその前へ本を立てた。
「雷と嵐の神は?」
「食べてからじゃだめか」
「明日の朝も、食べてからって言うでしょう」
「アッシュ。これで肉を取っていい?」
「残りの二柱も答えたらね」
パウロは二人の横で、静かに皿を引き寄せた。ユズが本の陰から手を伸ばし、その袖を捕まえる。
「あなたも答えるの」
「祈りはもう済ませたぞ。いただいた物は残しませんって」
「明日の歴史の小試験は、残さず答えてね」
ディディは、本と皿の間で溜息をついた。
午後の実技で開いた箱は、もう用具室だ。明日はもう少し遠くから狙ってみたい。けれど、小試験のあとにはジズーに話をしに行く。予選までまだ三か月近くある。けれど、四人揃うまで待てば済む話ではない。
練習でできたことから話せば、誘いやすくなると思っていた。まず謝る言葉を、ディディはパンをちぎりながら探した。
ユズの本には、細く切った紙が何枚も挟まっていた。
「そこまでやったのか?」
「成績が掲示されるなら、一番上に名前を載せたいもの。さて、水と森の神は誰?」
「ヴィレムネイア。生命と大地がカピトリン」
ディディが答えると、彼女はようやく本を下げた。
パンをちぎる指の間から、村の収穫祭でユズが着ていた青と白の衣が思い浮かんだ。教会の名前より、あの衣の方が先に出てくる。
「神様の名前だけ覚えるより、お前の姿を思い出す方が早いな」
「どうして私が出てくるのよ?」
「収穫祭で、水と森の神の祈り衣を着てただろ。あの青と白のやつ」
「それなら間違えないでよ。私を大地の神にしたら承知しないから」
パウロがパンの棒を立てた。
「なら俺は、フランクだ。大いなる嵐よ、俺に腹いっぱいの――」
「知恵と自由でしょう」
「その二つがあれば、腹いっぱい食える!」
近くの生徒が振り向いた。パウロは英雄の姿勢のまま、パンの先をスープへ突っ込んだ。
「剣を浸さないで」
「これは、川を渡る場面だ」
「川に沈めてるじゃないか」
ディディが言うと、テーブルの向こうから甲高い笑い声がした。フィオナが自分用の台座に立ち、パウロの皿を指している。
「それ、助ける人より先に英雄が溺れてるよ!」
パウロはパンを引き上げた。スープを吸った先が、ぽとりと落ちる。
誰も続きを言わないうちに、彼は残った方を食べた。
ユズは本を開き直した。
「笑って覚えた所だけ書いても、点にはならないわよ。フランクが倒した災厄の竜は?」
「ヴィズマー」
今度はディディとパウロの声が重なった。
その名だけは、冗談の続きにならなかった。村の教会で聞いた物語。人々を焼く竜を前に、三大神の助けを得た英雄が立つ。子どもの頃は、その場面になるとレムルスの毛を握った。
「獣は何頭だったっけ」
ディディが挿絵を覗くと、ユズが別の頁を示した。
「『複数の獣と共に戦った』。先生も、数を勝手に決めて書くなって言ってたでしょう」
「絵だと、ここに一頭、向こうにも……」
「川向こうのは馬じゃない?」
二人が本へ顔を寄せていると、頭上から低い節が降ってきた。
「片の岸へは、母を置き……片の岸へは、子を渡し……」
隣の大卓に座ったゴライアスだった。食事の手を止め、こちらの挿絵を見ている。五メートルの体を丸めても、その声は卓の下に響いた。
「その歌、何?」
フィオナが椀を置いた。
「家でよく聞いた歌だよ。その絵を見たら、橋を支える人が出てくるのを思い出して」
「フランクの歌?」
「僕の家だと、オルンって呼んでた。川の中に立って、みんなが渡るまで動かない人」
ディディは、図書館で見た絵を思い出した。英雄の足元、その橋の下にも人がいた。
「最後は、その人も渡れるのか?」
「うん。最後の子が岸から呼ぶんだ。もう、手を放していいよって」
ゴライアスは椀の縁へ大きな指を置いた。
「続きを歌ってもいい? 全部だと、ちょっと長いけど」
「食べ終わるまでなら聞けるぞ」
パウロが空きかけた皿を見せた。ユズが自分のパンを一つ、その皿へ置く。
「それで少し長く聞けるでしょう」
ゴライアスは初めの節へ戻った。
船のない川。家から持ち出した鍋。背負われた子どもが落とした靴。教科書の挿絵よりも、渡る人々の荷物が多い歌だった。
フィオナが途中から節を真似た。高い声が低い声の間へ入り、パウロもパンを飲み込んでから続く。
ディディは最後の子の言葉だけ、一緒に歌えた。
「これも明日の試験に出たらいいのに」
フィオナが言うと、ユズは本へ挟む紙を一枚増やした。
「出たら、私よりゴライアスが点を取るわね」
「でも、僕は名前の綴りを知らないんだ。歌で聞いただけだから」
「じゃあ、今度書くときに一緒に考えましょう。さっきの名前、もう一度教えて」
彼女は本の本文へ書き込まず、別の紙にオルンと記した。
パウロは挿絵の小さな人影を眺めていた。
「じいちゃんの話じゃ、もっと昔は人だけで魔法を使えたらしいぞ。それが本当なら、川も楽に渡れたんじゃねえかな」
「魂獣なしで?」
「そう。寝る前に聞かされた。朝起きないと、魔法で先に行っちまうぞ、って」
「それ、起こすために作った話じゃないの?」
ユズが尋ねると、パウロは少し考えた。
「でも俺、使えたら宿題を一瞬で焼く魔法がいいな」
「書き終わる魔法じゃないのかよ」
「燃えたら先生も読めないだろ」
「明日の試験は白紙から始まるわよ」
パウロは、急いで本を自分の方へ向けた。
食器を下げる鐘が鳴る。ディディは残していた肉を食べ、ユズの出す最後の問いに答えた。
雷と嵐。水と森。生命と大地。
皿が片づけられた後も、ゴライアスは紙へ顔を寄せていた。ユズが書いた歌詞を一行ずつ確かめ、知らなかった綴りを指で追っている。
ディディは立ちかけた椅子へ座り直した。
川の最後に、もう一人、渡ってくる。
そこの節だけは、明日までに覚えて帰りたかった。




