指先ほどの雷
翌日の魔法具実技室には、窓の代わりに高い明かり取りがあった。午後の光が斜めに入り、壁一面の棚で銅の輪や硝子の芯を光らせている。王都の街灯と同じ形の器具もあれば、柄に何度も布を巻き直した杖もある。新しい物を学ぶ場所で、古い物もまだ働いていた。
救助予選は三か月後、本戦は半年後。廊下の貸出表には、大会で使える魔法具にも印が増えていた。初めて触る物を、本番でいきなり使いたくはない。ディディは教室へ入る前に見た短い杖を思い出していた。
「今日は、この導杖を使って箱を開けてもらう」
実技の教師が短い杖を持ち上げた。白い作業着の袖は肘まで折られ、太い指には細かな火傷の跡がある。
各自の机には、蓋の閉じた小箱と、長さ三十センチほどの導杖が置かれていた。ディディは杖を手に取った。柄の窓に、青い硝子が見える。
「人間は、自分だけでは魔法を使えない。魂獣を介して、初めて使える。そこは覚えているね」
教師は予備の杖から青い芯を抜き、皆に見せた。
「魔法具は、その魂獣が担う働きを人工的に代わって果たすものだ。この芯と杖の仕組みがあるから、今日は魂獣を介さずに練習できる。ただし、属性まで道具が決めるわけではない」
床で伏せていたレムルスが、ディディの膝に鼻を寄せた。ディディは空いた手でその頭に触れ、もう一度、青い窓を見た。
使ってもいい道具が、目の前にある。
隣のパウロは、早くも杖を構えていた。
「じゃあ、風を使う人から杖を借りても、俺が使えば俺の属性になるんですか?」
「そうだ。属性は使う人間によって決まる。同じ杖を持っても、皆が同じ魔法を出せるわけではない」
「借りるだけで増えたら便利なのに」
「借りた筆箱を開けても、持ち主の字のうまさは身につかないだろう」
ユズが口を押さえた。パウロは自分の筆箱を少し開け、何事もなかったように閉じた。
「何が入ってるんだよ」
「今は杖を見ろって、先生が言ってるぞ」
教師が小箱を前へ寄せた。蓋の留金の両脇に、銅の鋲が二つ並んでいる。
「箱は、各自の属性に合わせて仕掛けを変えてある。自分の箱を使いなさい。握りの板を軽く押して、杖先へ力を通す。箱から二十センチ離して構えること。人や動物には向けないように」
教師はディディの机にある、二つの鋲を指した。
「雷なら、この二つをつなぐように流せば留金が外れる。強ければいいわけではないよ」
教師は自分の箱を使い、杖を構える位置と握りの板の押し方を見せた。
かちり、と音がして蓋が開く。
中に入っていた木の駒を、教師は机へ立てた。
「駒を取り出せたら成功。出力は一番弱い所で足りる。始めてよし」
椅子の音が重なった。
ディディは小箱の正面に座り直した。杖の目盛りを確かめ、二つの鋲へ先を向ける。
練習場で見たミリアムの杖は、手を離してからも風を送っていた。あんなふうに使えれば、追いかけるだけでは届かない所へも手が届く。
握りの板を押した。
杖先で、光が小さく跳ねた。
鋲の手前で消える。
「もうちょっと……」
ディディは柄を握り込み、板を深く押した。
青い光が横へ散った。乾いた音が手元で鳴り、焦げた匂いが上がる。
指を離した途端、レムルスが立った。
「来るな、レムルス!」
狼は机の下で止まった。ディディは杖先を箱へ向けたまま、空いた手を上げた。
「先生、杖を壊したかもしれません」
教師が来て、柄を受け取った。巻いてあった布の一角が黒い。
「手に火傷はないか?」
「柄が熱くなりました。でも、雷には触れていません」
指先まで確かめられた。教師は杖を机の受け台へ置き、握りの板が戻っているのを見た。
「強く押し込まなくても雷は出る。狙いを直すときは、いったん板から指を離しなさい。押したままでは、その間も放電が続いてしまう」
隣で蓋が開く音がした。
「できた!」
パウロが木の駒を掲げた。ディディの手元を見て、上げた腕を半分下ろす。
「……よかったら、俺の杖を使うか?」
「それまで壊したらどうするんだよ」
言ってから、ディディは自分の箱へ目を戻した。
パウロは何も言わず、駒を箱へ戻した。
ディディは机の下へ手を下ろした。レムルスの鼻が、いつものように指を押す。
撫でれば、ここにいてくれる。それだけで済む日なら、何度もあった。
けれど、奪われた卵はまだ戻らない。あのとき何もできなかった手を、今日も膝に置いたままで終わらせたくなかった。
彼は狼の額から手を離し、机の上へ戻した。
向こうの机では、フィオナが専用の高い椅子に立ち、両手で短い柄を支えている。彼女の箱は台の縁へ寄せられ、鋲もその目の高さにあった。杖を構え直した途端、蓋が小さな顔の前で跳ね上がった。
「ちょっと! 蓋がこっちに跳ねるって、先に教えてよ!」
教師が蓋を押さえに行った。
ディディは自分の箱を見た。駒一つ。これだけの物を取り出すために、自分だけが机の前に取り残されている。
「握りに巻いた布を替えよう。杖そのものは壊れていないよ」
教師が戻り、冷めた杖に新しい布を巻いた。芯の目盛りを最弱へ戻す。
「大きな光を出す課題ではない。蓋を開ける課題だ」
「……もう一回、使ってもいいですか」
「そのために直した」
ディディは椅子を少し寄せた。今度は両肘を机につき、杖先が揺れない場所を探す。
パウロが椅子を寄せ、ディディの箱をのぞき込んだ。
「先生、二つをつなげって言ってたろ。さっきは手前の鋲にしか届いてなかったぞ」
「じゃあ、もう片方まで届かせればいいのか」
「うん。力を強くする前に、杖を向ける場所を変えてみろよ」
ディディは二つの鋲の隙間を見た。
握りの板が、指の腹に触れる。
さっきより浅く押す。
青い糸が伸びた。
一方の鋲に触れ、もう一方へ渡る。
留金が動いた。
蓋の隙間へ光が入り、箱の中の木肌が見えた。ディディは板から指を離した。それから蓋を開き、駒を取り出す。
「……開いた」
「見たぞ! 今度はちゃんと二つの鋲につながったな」
パウロが自分のことのように机を叩いた。箱の蓋がまた閉じ、二人で顔を見合わせた。
「俺の駒、戻さなきゃよかった」
「自分で開けろよ」
ディディは駒を手のひらで転がした。
ただの木だ。光りもせず、羽根も生えていない。けれど、さっきまで閉じた箱の中にあった。
終業の鐘が鳴った。もう一度だけ、と杖へ伸ばしかけた手を止める。借りた物を返す時間だった。
回収に来た用具係の上級生ミリアムが、焦げた布を見つけた。
「これ、俺が焦がしました」
「先生から聞いたわ。柄の焦げた所を削って布を巻き直せば、また使えるわよ」
「捨てなくてもいいんですか」
「まだ使えるもの。次に借りるときも、焦げ跡が少し残っているかもしれないけどね」
彼女は杖を修理用の箱へ分けた。
「救助の予選でも、こういう杖を借りられますか」
「競技用の貸出品ならね。でも、何に使うつもり?」
ディディは返事に詰まった。雷が出せれば役に立つ、としか考えていなかった。
「担架を持っていたら、杖を持つ手が空かないか」
「誰が何をするか決めてから選ぶといいわ。借りた物を運ぶ人も必要でしょう」
フィオナが自分の杖を回収箱へ置いた。
「わたしも持つなら両手だよ。予選で全員がこれを持ったら、人形を置いて帰ることになるね」
「それじゃ救助にならないだろ」
ディディは鞄から紙を出した。杖の名前を書きかけた所を空け、その上に『担架を運ぶ人』と書いた。次の練習では、まずそこから決め直そう。
ディディは、木の駒を元の箱へ戻した。今度は自分で蓋を閉める。
手元にはもう雷がなかった。
それでも指先には、あの留金が外れた一瞬が残っていた。




