十七番の縄
翌朝、用具室の大扉は庭へ向けて開いていた。油を塗った車軸が軒下に並び、砂を敷いた庭では、上級生が荷車へ道具を積んでいる。フィオナが脇口をくぐると、その肩で小さなトンボが翅を畳んだ。ゴライアスは大扉の下で頭をかがめた。
「十七番、ディディ君たちね」
用具係の上級生ミリアムが貸出台帳を回した。栗色の三つ編みに、油の染みた作業前掛け。四つの名前を鉛筆でたどる。
「ジズー君は後から?」
「……今日は、まだ来てなくて」
誘っていない、とは言えなかった。フィオナが踏み台へ上がり、貸出欄をのぞく。
「まず三人で練習します。人形を運ぶ道具を借りたいの」
「練習なら構わないよ。予選の受付は四人揃って来てね」
ミリアムは庭に面した壁の、会場図を指した。
「動物舎の先に、家が並んでいるのを見た? あれが救助演習用の街区。南北に百メートル、東西に八十メートルほどあるの」
「人が住んでる町じゃないんですか?」
「窓から洗濯物が出ていても、全部練習用よ。南の門の前が救護所。人形はそこまで連れて帰る」
図の下に白い四角があり、その上へ道が枝分かれしていた。左手には診療所と市場。右手には青く塗られた広場と倉庫。奥には傾いた家と鐘楼がある。
「診療所まで二十メートル。市場は左の通りを進んで四十メートルくらい。右へ行くと、水を張った広場があるわ」
青い部分は幅十二メートル、長さ二十メートル。倉庫の戸口まで水が届き、南北の岸を石橋がつないでいる。
ゴライアスが橋の絵へ指を置いた。
「……ぼくも、ここを渡っていいの?」
「もちろん」
「前に村の橋で、先にみんなが渡るまで待ってって言われたから」
「幅六メートルで、巨人の荷車も通す橋なの。先生が確かめてあるから大丈夫。ただ、家の中の床は別よ。普通の家へ入れない班は、外から助ける方法を考えるの」
ゴライアスは診療所の小さな入口と、橋とを見比べた。
「人形を外まで出してもらったら、ぼくが運べるね」
「倉庫へは、橋を渡る以外にも行けますか?」
「飛んでも、泳ぐ魂獣に乗って渡ってもいい。西側の乾いた通りを回れば、往復で四十メートル余計に歩くけれど、水には近づかずに済むわ」
隣では、赤い寮章の二人が図を見ていた。
「うちは亀に倉庫の人形を載せよう。帰りに診療所へ寄れば八十点だ」
「屋根へ縄を掛けられたら、鐘楼の七十点も狙えるよ。先に運び下ろせるか試そう」
ディディは五つの丸を指でたどった。全部回る道を探すと、最後の鐘楼から救護所までがずいぶん遠い。
「今日は、近い診療所からやってみよう」
「賛成。まず一体、ちゃんと連れて帰りたいな」
フィオナが図の手前の丸を押さえた。
ミリアムがこちらにも担架を出した。二本の棒の間に丈夫な布が張られ、両端には手で握れる長さの持ち手がある。
「これと、人形を留める短縄と布。長い縄三本と滑車二個も班ごとに借りられるけど、使う物だけ持っていってね」
ディディは前の持ち手を握った。ゴライアスが腰をかがめて後ろを指でつまむと、担架がディディの胸元まで上がった。
「待って、俺の手も一緒に上がってる」
「ごめん。ここ?」
ゴライアスが下げる。今度はディディが肘を伸ばし、布がほぼ水平になる高さで止まった。
「ここなら持てる。高さは、そのくらいで頼む」
「うん。ぼくの方は、もっと下でも持てるよ」
ミリアムが六キロの練習人形を載せた。胸と腰を短縄で布へ固定し、結び目をディディの側へ向ける。
「持ち上げる前に、これが緩んでいないか確かめて。本番の人形は二十五キロ。自分で歩いてくれないからね」
フィオナが前へ出て、縄の端を引いた。
「歩いてくれたら、帰り道も覚えてほしい」
「帰り道で置いていかれるかもな、俺たちが」
ディディは人形の顔を見た。目の代わりの黒い縫い目は、答えずに空を向いていた。
ミリアムが滑車を棚へ戻しかけると、ゴライアスが留め具へ指を伸ばした。小さい金具が爪の陰へ隠れる。
「これ、ぼくの指だと開けられない」
「大きい留め棒のもあるよ。新型はスキンエティアから来たんだけど、小さい部品が多くて」
「スキンエティアって、魔法具や機械を作る国だよね?」
フィオナが台帳から顔を上げた。
「そう。そこの工房から、王都を通して届くの。演習場で水を送るポンプも向こうの製品。卒業したら、私も作る方へ行きたいんだ」
木製の滑車を渡され、ゴライアスは太い留め棒を抜き差しした。
「借りるなら、こっちにする」
「番号を控えておくね。あとで必要になったら取りに来て」
庭で荷車が軋んだ。重りの箱を積んだ上級生が押しているが、車輪が砂のくぼみにはまっていた。
ゴライアスが担架を下ろし、その方へ手を出した。
「少し待って。足を、よけてもらえる?」
上級生が退く。ゴライアスの袖から降りた蟻が、黒い帯のように車輪の下へ集まった。
指先に淡い光が浮かび、へこんだ砂がせり上がる。蟻の群れが車輪を押し上げると、傾いていた荷台が水平に戻った。
「あっ、動いた。ありがとう!」
荷車は固い地面まで進んだ。重りの箱が揺れる。上級生が取っ手を握り直すまで、ゴライアスは蟻を戻さずに待った。
ディディは、足元を帰っていく列を避けた。昨日のパンくずを運んでいた一匹を探しかけ、やめる。どれも同じように、隣の蟻と触角を合わせていた。
「庭で一度、運んでみようか」
ゴライアスが担架の後ろへ戻った。
ディディは固定縄を確かめてから、前の持ち手を握った。
「せーので持つぞ。……せーの」
二人で上げる。ゴライアスの歩幅を小さくしてもらい、庭の端まで進んだ。折り返すときには、先にディディが回り、後ろの棒が棚へ当たらないようにする。
レムルスは隣を歩いた。ディディが立ち止まると、少し先で振り返った。
「もう一回、向こうへ――」
「その前に、ここ直すね」
フィオナが人形の腰を指した。体が少しずれ、固定縄が斜めになっている。
担架を下ろし、結び直した。片手で持てるゴライアスがいても、人形が布の上で動くことは別だった。
南の会場へ向かおうとしたとき、回廊をジズーが横切った。ディディは口を開き、呼べないまま閉じた。
「まず、診療所でやってみよう。一回やってから誘えば、説明しやすいよ」
フィオナが庭へ腕を伸ばす。肩を離れたトンボの影が、砂の上で広がった。背が彼女の腰の高さまで上がると、それ以上は大きくならず、乗るのを待った。
フィオナは鞍の帯を引いて確かめ、背へまたがった。
四人分の名前で借りた道具を、三人で運び出した。
【改稿のお知らせ/2026年10月18日】
救助予選の会場と練習の場面を改稿しました。街区の位置関係や距離、仲間と魂獣の動きが伝わるように見直しています。




