魔法動物学
講義棟の円講堂は、息を吸い込むと喉がひやりとする石の匂いがした。
段々に降りていく座席は木の温度を残し、中央の円卓だけが鉄の冷たさを帯びている。卓の上には、古びた魔導器がいくつも並んでいた。
ひびの入った真鍮の枠。鳴らせば血の色の光を吐きそうな水晶管。封蝋の残る書板。どれも、かつて誰かが命を削って作った道具の顔をしている。
黒衣に白い外套を羽織った老人――ベレミン・ロスが前に立った。
片目は濁り、もう片方は異様な光を宿している。金属の義手がきしみ、羽ペンが宙を切った。声が講堂の隅々まで響く。
「さて、新入生諸君。私はベレミン・ロス。この学園で魔法動物学を教えておる。
早速だが、君たちが扱う“魂獣”という存在――まず、その正体を誤解せぬことだ」
彼が机を叩くと、魔導器が浮き上がった。金属の欠片が磁力を帯び、光の粒を散らす。
「まず覚えておくべきは、人間は魔法を使えない、ということだ」
ざわ、と空気が揺れた。
ベレミンは唇を歪め、羽ペンで宙に線を描く。
透明の板が生まれ、人と獣を結ぶ環のような図が浮かび上がる。
「人は魔力を持つ。しかし魔法を起こすことはできぬ。人の魔力は、銃で言えば火薬にすぎん。魔法動物――つまり野生の獣たちは、それを世界そのものに繋げる回路として生きておる。彼らがいなければ、弾の出ない鉄の塊だ。
野生の彼らは大気中の魔力を直接吸収し、自在に魔法を行使することができる。だが、人間が彼らと契約を結んだ瞬間――その存在は“魔法動物”ではなく、“魂獣”となる。」
フィオナが目を輝かせ、隣のディディが静かに頷く。
講堂の空気が、理解と興奮の熱で少しだけ温度を帯びた。
「つまり、魂獣とは主の魂の一部を共有する魔法動物のことだ。彼らは主の魔力を燃料とし、意思を増幅し、時に共鳴によって奇跡を起こす。
だが、共鳴しているがゆえに主が異常をきたせばば魂獣もそうなる。逆もまた然りだ」
ベレミンの片目が光る。義手の指がきい、と鳴った。
「だが恐れるな。好奇心は最高の盾だ。無知は、最悪の呪いだ」
講堂の壁が反響して、声がひびいた。
ベレミンは義手を掲げ、金属の指先から火花を散らす。
「さて――この共鳴の理を理解するために、属性という概念を押さえておこう。火、水、風、土、雷、森……それぞれの魂獣は、主が生まれ持つ性質によって属性が定まる。
同じ獣でも、主が異なれば性質はまるで違う。たとえば狼の魂獣は、ある者のもとでは雷をまとい、ある者のもとでは影に溶ける。魂が違えば、世界の見え方も違うのだ」
ベレミンが一拍置き、壁に指を鳴らした。窓の向こうに幻灯のような地図が浮かび上がる。北の山脈には雷光の獣。南の密林には水と森の精。そして中央、ひときわ強い光の根が脈動していた。
「この国――ロマンシア帝国の中心、世界樹の周囲こそが、大陸で最も魔力濃度が高い場所だ。その恩恵により、我々は様々な魔法動物と共に学べる。もしこの木が枯れれば、大陸の魔法体系そのものが崩壊するだろう」
講堂が静まり返る。
空気が金属のように重くなった。
ベレミンはやがて、ゆっくりと笑う。
「この魂と獣の関係をさらに深く理解したければ、契約論を学ぶといい。契約論については、あの“理論オタクの女”から詳しく聞いておくれ。クロード・リフィーナ。私の友人で、天才で、そして最悪な説明屋だ」
フィオナが小声で「やっぱり本当だったんだ……」と呟き、ゴライアスが心底怯えたように眉を寄せた。
ベレミンは愉快そうに義手を鳴らす。
「まあ、安心したまえ。今日、君たちはまだ素材にはならない」
そう言って、机上の魔導器を指先で弾く。光が弾け、金属の欠片が浮かび上がる。
「さあ――魔法動物学の初日だ。恐怖より速く、好奇心を走らせろ。さもなくば、世界は君たちを飲み込む」
最後の言葉とともに、講堂の光が淡く脈動した。
机の上の魔導器が息を吐くように震え、ベレミンの義手の指先から青白い火花が散る。
その光が消えるまで、誰一人として、動けなかった。




