追記 偽りの共鳴と、悪意の底なし沼
永沢綾が管理する非公開の隠しサイトの深層。
そこをハッキングしていた弘樹の手が、あるログファイルを開いた瞬間にピタリと止まった。
画面に映し出されていたのは、綾と、その取り巻きの一人である女が交わしていた、吐き気を催すような「計画」と「成果報告」のチャット履歴だった。
弘樹はギリッと奥歯を噛み締めた。
妹の茉莉子が大学生(22歳)のギリギリの時期に抱えていた、あの不自然なほどの絶望の理由が、今ここで最悪の形で繋がったのだ。
当時、茉莉子は家庭内で孤立無援だった。
綾たちが執拗に流した名誉毀損級の噂によって不登校になり、それが原因で両親との関係も冷え切っていた 。
両親は茉莉子を「ニートのくせに」と罵り、一円の小遣いも渡さなかった 。
自立しようにも、綾たちの悪辣な風評被害のせいで、近隣のバイト先からはすべて理不尽に雇い入れを拒否されるという、まさに四面楚歌の地獄にいた 。
そんな極限状態の茉莉子に、同人イベントで一人の女性が親しげに近づいてきた 。
名前は『和田彩子』。
茉莉子と同じ21歳だという彼女は、急速に距離を詰め、己の身の上を重々しく語り始めた 。
「私、中卒で……親も離婚して、うつ病で薬がないと生きていけなくて。昨日もリスカしちゃった……」
彩子は大量の薬や自傷の痕を見せながら、崩壊した家庭環境の愚痴をこぼした 。
母親の再婚相手が脳梗塞で倒れ、母のパート代だけで暮らしていること。
中卒への偏見でバイト先でもいじめられていること 。
孤立し、他者の痛みを知っていた茉莉子は、彼女を突き放すことができず、親身になって相談に乗り続けた 。
そしてある日、彩子は泣き叫びながら茉莉子にすがりついてきた。
「お母さんの再婚相手に、胸を鷲掴みにされたの……! お母さんに言ったら、逆に『お父さんに謝れ』って怒鳴られて……もう死にたい、家を出たいけど、学歴もお金もない……!」
他人の悲痛なSOSを前に、茉莉子は驚き、必死に彼女をなだめた 。
すると数日後、彩子は「テレフォンセックスのサクラのバイトを始めた」と電話をかけてきたのだ 。
「今、友達登録のキャンペーン中なの! 茉莉子ちゃんも登録してくれれば、私にもあなたにも紹介料が出るから! 一生のお願い、一緒にやろう!」
茉莉子はひどく気が進まなかった 。
だが、セクハラから逃げ出そうと必死な(ように見えた)彩子を救うため、そして自身も一円の金もないという極限状態から、ついにサクラの登録をしてしまったのだ。
当然、茉莉子は「電話口でおしゃべりをするだけで、絶対に外には出ない(会わない)」という固い防衛線を引いていた 。
結果として客からの評判は最悪となり、茉莉子はすぐにその仕事を辞めている 。
だが――。
「……ッ、この、腐れ外道どもが……!!」
深夜の自室で、弘樹はキーボードを叩き割らんばかりの力でデスクを殴りつけた。
モニターには、彩子を演じていた女と、綾の狂喜乱舞する書き込みが残されていた。
《作戦大成功! あいつマジでサクラ登録しやがったww》
《彩子ちゃん(偽名)の演技マジ最高! あいつ『同情』して必死でなだめてきて、超ウケたんだけどww》
《これで茉莉子に『テレクラのサクラ』っていう経歴がついたね! パクリ魔のくせに底辺風俗嬢とかマジでお似合い! ひがみざまあああ!》
『和田彩子』などという不幸な女は、最初から存在しなかった。
うつ病も、リストカットも、義父のセクハラも、すべては綾の取り巻きが茉莉子を陥れるために演じた「最悪の嘘」だったのだ。
彼女たちは、茉莉子の純粋な優しさと、自分たちが追い込んだ貧困という状況を悪用し、笑いながら一人の人間の尊厳を泥水に沈めた 。
茉莉子に「テレフォンセックスのサクラ」という社会的な烙印(経歴)を押し付ける、ただそれだけのリスクなきゲームとして 。
「……許さない。絶対にだ」
弘樹の瞳から、人間としての感情が完全に消え去った。
ただのいじめや嫌がらせではない。
これは明白な『詐欺』であり、精神的DVを伴う凶悪な犯罪だ 。
弘樹は、彩子を演じていた女の本名、IPアドレス、そして綾がこの計画を主導していたというすべてのログを完璧に保全する 。
この深淵の底でかき集められた「悪意の結晶」が、後の結婚式とその後の法的協議の場で、綾たちに弁解の余地すら与えない完全な『社会的な死(処刑)』をもたらす最大の起爆剤となることを、弘樹は冷徹に誓うのだった 。




