## 第4章:取りかえられない物語(結婚式当日の大逆転劇)
都内の高級ホテル、豪奢なシャンデリアが照らす披露宴会場。高砂でマイクを握る新郎の半藤正英は、洗練されたタキシードに身を包み、自信に満ちた笑みを浮かべていた。一方、新婦側の親族席では、なぜか元同級生の永沢綾ばかりがクローズアップされたオープニングムービーが流れるなど、露骨な違和感が蔓延していた。
正英は芝居がかった手振りで、親族席の末席を指し示した。
「さて、ここで特別な方からお祝いの言葉を頂戴したいと思います。新婦のお兄様、櫛田弘樹さんです。……お兄様は高校を中退されて以来、ずっとご自宅で『ご自身の時間』を大切にされていると伺っています。ぜひ、グローバルなゲストに向けて『英語』でスピーチをお願いできませんか? 高校で英語を習いきっていらっしゃらないなら、日本語でも構いませんよ?」
会場の一部から明らかな嘲笑が漏れ、主賓席の藤原亜妃子もハンカチで口元を覆って笑っている。
弘樹はゆっくりと立ち上がると、マイクの前で静かに口を開いた。
"Ladies and gentlemen, thank you for gathering here today. However, I must apologize. This is not a celebration. It is the final stage of an arrogant and pathetic fraud."
会場の空気が一変した。低く、よく通る完璧なネイティブ・プロナウンス。弘樹は高度なビジネス用語を淀みなく紡ぎ出す。
"The groom standing there is a parasite attempting to exploit my sister's talent and copyrights under the guise of a 'Family Unit'."
「なっ……お前、何を……っ!」
正英がマイク越しに声を裏返した。弘樹はふっと冷たい息を吐き、日本語へと切り替えた。
「――という内容です。半藤さん、誰もが知る総合商社にお勤めのあなたなら、理解できましたよね? 私がニート? ええ、資産目当ての有象無象を近づけないための隠れ蓑ですよ。妹の才能を搾取できると思った人間の浅はかさを、物理的に証明しましょう」
「誤解だ! 彼女が一人で執筆するのは大変だろうから、俺たちがサポートしてあげようと……! 夫婦なんだから、財産や権利を共有するのは当然の愛情だろう!」
弘樹はスマートフォンを操作し、プロジェクターをジャックした。スクリーンに大写しになったのは、計画を企てていた密会音声と、茉莉子が不登校時代から書き溜めていたPC版履歴および作成日時のタイムスタンプだった。
「な、なんだこれは! 止めろ!」
正英が血相を変えて叫ぶが、音声は無慈悲に流れ続ける。綾が立ち上がり「そもそも茉莉子が私のネタをパクった泥棒だから管理してあげるのが当然じゃない!」と叫ぶが、弘樹は冷たく笑った。
「これは妹のパソコンとサーバーに刻まれた、誰にも改ざん不可能なアクセスログです。永沢綾、あなたが『ネタを盗まれた』と言い出す数ヶ月も前に、妹はすでに執筆を開始している。デジタルの記録の前では、あなたの虚言は完全に無力だ」
「嘘、よ……私が、私が被害者なのに……っ!」 一切の反論が不可能な物理証拠を突きつけられ、綾が床にへたり込む。 その光景を、来賓席から顔面蒼白で見つめている初老の男がいた。高校時代、綾の嘘を鵜呑みにして茉莉子の推薦入試を徹底的に妨害した担任教師、嶋藤である。
彼は「教え子たちの晴れ舞台(=茉莉子が完全に支配される瞬間)」を見届ける恩師として、正英と亜妃子たちに招待されていた。だが今、目の前のスクリーンに映し出された【PC版履歴と作成日時のタイムスタンプ】
は、彼が長年信じ込み、教育者としての権力を振りかざす根拠としていた「茉莉子=パクリの加害者」という前提を、根底から木っ端微塵に破壊していた。
「――さて。この会場にはもう一人、自らの罪と向き合うべき人間がいますね」
弘樹の氷のような視線が、来賓席の嶋藤を正確に射抜いた。 ビクッ、と嶋藤の肩が大きく跳ねる。彼が手にしていたワイングラスが滑り落ち、ガシャンと嫌な音を立てて真紅の染みを作った。
「し、嶋藤先生……?」 周囲の招待客がいぶかしげに彼を見る中、弘樹はマイクを通して冷徹に告発を始めた。
「高校の担任であった嶋藤。あなたは永沢綾の『被害者ごっこ』を盲信し、妹の筑波大学への推薦入試において、内申書を不当に改ざんしましたね。さらには教員の立場を悪用して、妹が泊まる予定だったホテルの予約まで無断でキャンセルした」
「なっ……! ば、馬鹿なことを言うな! 証拠もないくせに……っ!」 嶋藤は椅子を蹴倒して立ち上がった。だが、その声は惨めなほど裏返り、額からは滝のような冷や汗が噴き出している。立派な教育者の仮面はすでに剥がれ落ち、ただの怯えた老人の顔がそこにあった。
「証拠なら、すべて揃っていますよ」 凄腕ハッカーである弘樹は、薄く笑った。 「高校の内部サーバーに残されていた内申書の不自然な書き換えログ。そして、あなたがホテルのキャンセル手続きを行った際の発信履歴と通話音声。……私がただのニートだとでも思いましたか? 妹を理不尽に踏みにじった人間の動線は、数年前から『裏方』としてすべて保全済みです」
「あ、あ、ああ……っ」 嶋藤の喉から、奇妙な音が漏れた。膝がガクガクと震え、立っていることすらままならない。 教育委員会にこの証拠が提出されれば、懲戒免職は免れない。退職金も、長年築き上げた教育者としての名誉も、すべてが一瞬で消え失せる。
パニックに陥った嶋藤は、血走った目で高砂の前に座り込む綾を指差した。 「わ、私は騙されたんだ!! この永沢が『いじめられている』と泣きついてきたから、教師として指導しただけで……そうだ! 私は悪くない! 全部こいつの嘘のせいだ!!」
保身のために見苦しく責任を擦り付け合う嶋藤の姿に、会場中のゲストから「最低だ」「あれでも教師か」と軽蔑の囁きが漏れる。 すると、名指しされた綾もヒステリックに叫び返した。 「先生だって喜んでたじゃない! 私を学校に呼んで、茉莉子の実績を私のものだってことにして、生徒の前で演説させたのは先生でしょ!?」
「黙れ! お前のような嘘つきのクズを教え子に持った私の身にもなれ!!」 「クズってなによ! 先生だって茉莉子のホテルを勝手にキャンセルして笑ってたじゃない!」
かつて「正義」と「被害者」を気取り、強者として茉莉子を不登校や絶望の淵に追いやった大人たちが、逃げ場のない式場のど真ん中で、醜く罵倒し合い、泥を掛け合っている。 エリート一族の正英も、同人大手の亜妃子も、虚言癖の綾も、そして悪辣な教師・嶋藤も。誰もが弘樹の用意した「すりかえられない証拠」の前に、完全な社会的死を迎えていた。
「……醜いですね。これが、妹の人生を奪おうとしたあなたたちの本性だ」
弘樹の冷たい宣告が下る。 嶋藤はついに膝から崩れ落ち、頭を抱えて「うわああああっ」と情けない絶叫を上げながら、絨毯の上に這いつくばった。もはや彼に、立ち上がる気力も、言い逃れをする尊厳も、一ミリたりとも残されてはいなかった。
弘樹は胸ポケットから一つの【USBメモリ】を取り出し、高く掲げた。
「これが決定打だ。著作権搾取の意図が明確に記録された、プリナップ(婚前契約)の修正履歴。半藤正英、お前が企てた詐欺の全貌だ」
披露宴会場の騒ぎが嘘のように、ホテルの一室に用意された親族用の控室は、重く冷たい静寂に支配されていた。
上座のソファに座る新郎の半藤正英は、つい数十分前までの「エリート商社マン」としての輝きを完全に失い、頭を抱えてうなだれている。その隣には、顔面蒼白で震える大橋亜妃子と、焦点の定まらない目で虚空を見つめる永沢綾、そして床に崩れ落ちたままの担任・嶋藤がいた。
彼らの対面に座る櫛田弘樹は、テーブルの上に先ほどの【USBメモリ】とスマートフォンを静かに置いた。
「さて。招待客の皆様にはお引き取りいただきました。ここからは、あなたたちの『敗戦処理』の話をしましょう」
億万長者のハッカーである弘樹の冷徹な声が、密室に響く。
「要求は三つです」
弘樹は無慈悲に宣告した。
「一つ、今回の婚約は完全な破談とすること。二つ、この豪華な結婚式にかかった数百万の費用およびキャンセル料は、すべて新郎側が全額負担すること」
「ぜ、全額……っ!? ふざけるな、俺一人で払える額じゃ……!」
正英が血走った目で顔を上げるが、弘樹は鼻で嗤った。
「払えなければ、あなたの勤める商社にこの『詐欺の証拠』と婚前契約書の修正履歴を提出しても構いませんよ。コンプライアンス委員会の監査が入れば、あなた、懲戒解雇では済まないでしょうね」
圧倒的な財力とITスキルを持つ弘樹を前に、正英は再び絶望の淵へと叩き落とされ、ギリッと唇を噛んで沈黙した。
「そして三つ目。今後一切、妹に対する『パクリ』などの虚偽発信およびあらゆる接触を禁じます。もし少しでも妙な動きを見せれば、私が裏方として保全しているすべてのログを、同人界隈からあなたたちの職場にまで完全に公開する」
「ひっ……!」
亜妃子が短い悲鳴を上げ、綾はただボロボロと涙をこぼすことしかできなかった。彼女たちがすがりついていた「被害者」という大義名分は、この合意によって完全に息の根を止められたのだ。
言い逃れの余地など、一ミリも残されていなかった。
新郎側は震える手で、弘樹が用意した合意書に次々とサインをさせられていく。
すべての清算(ログの処理)が終わった。
弘樹は書類をアタッシュケースにしまうと、隣に座る妹を見た。
「……行こう、茉莉。終わったよ」
促されて立ち上がった茉莉子は、出口へ向けて数歩歩き出し――ふと、足を止めた。
振り返った先には、自分の人生を理不尽な嘘で支配しようとした人間たちの、あまりにも惨めで小さく丸まった背中があった。
高校時代に「土下座しろ」と理不尽な要求を突きつけてきた綾。
大学内で名誉毀損の噂を流し、不登校に追い込んだ亜妃子。
推薦入試を潰した嶋藤。
そして、優しく近づき、才能を奪おうとした正英。
茉莉子の胸の中にあったのは、怒りでも憎しみでもなく、ただ静かな「決別」だった。
彼女は彼らを真っ直ぐに見据え、凛とした、透き通るような声で告げた。
「私の人生に、あなたたちの嘘はもう必要ありません」
ビクッ、と悪役たちの肩が跳ねる。だが、誰も顔を上げることはできない。
茉莉子は静かに、しかし決して誰にもすりかえることのできない力強さで、最後の一言を放った。
**「自分の物語は、自分で書きます」**
それは、どんな理不尽な悪意に晒されても決してペンを折らなかった「文学の修羅」としての、最も美しく、最も残酷な引導だった。
言い逃れできなくなった悪役たちの沈黙だけを控室に残し、茉莉子はドアを開ける。
「兄さん、次の小説のタイトルは、”嘘のない背中”にするよ」
「……いいタイトルだ」
隣を歩く兄が、ふっと口角を上げて笑った。
外の世界には、高く澄み切った青空が広がっていた。
すべての呪縛から解放された兄妹は、並んでホテルを後にし、彼らだけの静かな日常へと戻っていくのだった。
(完)




