3.星を縫い止める
閉店間際、ヴィヴィアンが接客を終えてようやく一息ついた時だった。
「チーフ、ちょっと」
部下の一人に切迫した声で呼び止められ、彼女は建物の裏手にある搬入口まで走った。そこには、大量の薄い木箱が幾重にも積み上がり、その横で顔を青くしたフェリックスと、額に青筋を浮かべたゼノが立ち尽くしていた。
「なに。どうしたの」
ヴィヴィアンの問いに、ゼノが積み荷を一瞥して吐き捨てた。
「やらかした。発注ミスだ。十着だけ仕入れるはずだった婦人用の既製コートが、百着も届きやがった」
「百着……!?」
ヴィヴィアンが慌てて木箱の中を改めると、そこには上質な仕立ての秋用コートが、薄紙に丁寧に包まれて整然と並んでいた。これが百。
実力派の工房による確かな品だ。だが、この極めてシンプルなデザインの既製品は、ルミナス・クラウンを訪れる流行に敏感な令嬢たちには、いささか刺激が足りない。あくまでベーシックな定番ラインとして最低限揃えるはずのものが、なぜこれほど大量に届いてしまったのか。
「申し訳ありません、僕のミスです。発注リストを書き写す際に、数字を間違えてしまったようです」
フェリックスが、絞り出すような声で深々と頭を下げる。ヴィヴィアンはその姿を苦々しい思いで見つめた。
「……発注は彼一人にやらせたの? あんた、確認しなかったわけ?」
ヴィヴィアンがゼノを鋭く睨むと、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「この一ヶ月、ランバート殿は僕を信頼して任せてくださっていたんです。彼に責はありません」
フェリックスが必死に庇おうとするが、ヴィヴィアンは冷たく突き放した。
「貴方を管理するのがこの人の仕事よ。研修中の人間に一人で発注させるなんて無茶だわ。この事態を招いたのは、この男の責任よ」
「……分かっている。全て、俺の責任だ」
ゼノが重々しく口を開いた。
「ランバート殿……」
「すまない、モンフォール。確認を怠った俺が悪い」
「そんな!」
ゼノはフェリックスに短く一礼すると、今度はヴィヴィアンの方を向き、深々と頭を下げた。
「すまんが、契約上、これは工房へも戻せない。なんとかこのシーズン中に、全て売り切ってもらえないか」
「……とは言っても……」
ヴィヴィアンは改めてコートを検品した。深い紺色のシックなデザイン。生地は薄手で、本格的な冬が来る前の短い秋の間にしか出番がない。販売できる期間は極めて限定的だ。おそらく勝負は二週間ほど。果たしてこれだけの数を捌ききれるだろうか。
眉間に深い皺を寄せて沈黙するヴィヴィアンを、二人の男が固唾を呑んで見つめる。重苦しい沈黙がしばらく流れた後、ヴィヴィアンは決然と顔を上げ、ゼノに視線を送った。
「三着ほど、地下の修繕工房へ運んでくれる。あと、今夜お針子を二人ほど残業させるように話をつけて」
ヴィヴィアンは言うなり踵を返し、カツカツと早歩きで去っていく。フェリックスが慌ててその後を追った。
「ヴィヴィ……アンさん。僕に何かできることは」
「今日はもういいわ。荷物を運んだら、貴方は定時で退勤して」
「いや……なんでもする。できることがあれば言ってくれ」
「ないわ」
歩みを止めず、低いトーンで切り捨てられ、フェリックスは絶句した。青い顔で黙り込みながらも必死についてくる彼を見かねて、ヴィヴィアンは人気のない廊下でようやく足を止め、彼を振り返った。
「フェリックス。本当に、大丈夫なのよ。こんなことはそう珍しくないの。それに、貴方の責任ではないのだから。管理者がチェックを怠ったのが悪いのよ」
「いや、任せられていたのに、甘い仕事をした僕の責任だよ」
今にも泣き出しそうなほど打ちひしがれる彼を見て、ヴィヴィアンは小さく息を吐き、その手をそっと握った。
「あのね、フェリックス。貴方はここの研修を終えたら、どんな仕事をするのか自覚ある? 王立の通商局で働くと聞いているわよ。国中の流通を、貴方が取り仕切っていくのでしょう。その規模に比べたら、ここの仕事なんてちっぽけなものよ」
冷えきった手を、優しく両手で包んで撫でてやる。子犬のように不安に揺れる碧眼が、ヴィヴィアンを必死に見つめていた。
「この程度のミスでいちいち心を折っていたら、国の仕事なんてやってられないわよ。今回のことは、全部ランバートが悪い。そう割り切りなさい。そして、その後始末をつけるのが私の仕事。大丈夫よ、赤字なんて出させない。きっちり売り切ってみせるから」
にっこりと微笑んで強く手を握りしめ、そっと離す。もう少しだけ慰めてあげたい気持ちはあったが、今は仕事が山積みだ。彼の腕を励ますようにぽんぽんと叩き、ヴィヴィアンは足早にその場を去った。
地下の修繕工房は、このルミナス・クラウンの最下層に位置しながら、最も歴史の深い場所でもある。上階の華やかな売り場とは打って変わり、無骨で雑然とした、職人の熱気が籠もる空間だ。使い込まれて黒光りする足踏みミシンや、巨大な裁断机が整然と並ぶその場所は、閉店後ということもあり静まり返っていた。
ヴィヴィアンはトルソーに着せた例のコートを前に、無理を言って残ってもらった二人のお針子と熱心に打ち合わせをしていた。
「持ってきたぞ」
ゼノが、大きな両手に小ぶりのケースを携えて入ってきた。蓋を開けると、そこには色とりどりのビジューが星のように輝いていた。
「どうするつもりだ」
「コートの襟に、これを縫い付けるのよ。十五年ほど前に少し流行ったあしらいだわ。今の若いご令嬢には新鮮に映るでしょう」
ヴィヴィアンはお針子に持たせていたデザイン画を、ゼノに手渡した。それは先ほど彼女がこの場で描き上げたものだ。流麗な筆致で描かれたその図案には、コートの襟に大小のビジューを星座のように散りばめる案が記されていた。
「あの百着、全てに加工を施すのか?」
「いいえ、店頭には無加工のまま並べる。だけど、一番目立つトルソーにはこのビジューをあしらったものを立たせるの。『カスタムメイドでビジューを飾れる』とご案内すれば、ご令嬢たちは多少なりとも食いつくはずよ。自分だけの特別な一着になるんですもの、イベント感覚で楽しんでいただけるわ」
「なるほどな……」
「まあ、今からサンプルを作るから、その出来次第ね。うまくいくように祈っといてよ。それとあんた、ビジュー代とカスタムの工賃を計算して、新しい販売価格を出しておきなさいよね」
てきぱきと下される指示に、ゼノは今日ばかりは大人しく従った。部屋を出ていこうとする彼の広い背中に、ヴィヴィアンは高慢な態度を崩さず付け加えた。
「あと、私とこの子たちの夜食! 不味いものを買ってきたら承知しないからね」
ゼノは疲れた顔でふっと微かに笑うと、返事の代わりに片手をぷらぷらと振って去っていった。
お針子と共にヴィヴィアンも作業机に向かい、一針ずつ丁寧にビジューを縫い止めていく。
実は彼女は十五歳の頃から三年間、とある工房でお針子の修行を積んでいた。元々はデザイナーを志していたのだ。だが実際に物を作りながら、ヴィヴィアンは思い知った。自分は服を「作る」ことよりも、それを眺め、触れ、流行の最先端を追っていることの方が、何倍も好きなのだと。そうしてこのルミナス・クラウンへと転職した。筋が良かったので工房の師匠からは大変惜しまれたが、後悔は全くなかった。ここでの暮らしは、本当に自分の性に合っている。
ヴィヴィアンは無心で針を動かし、シンプルな布の上にキラキラと光の粒が並んでいく様に目を細めた。
(……まあ、嫌いじゃないけどね、こういうのも)
だが、それ以上に彼女を突き動かしているのは、明日これを目にする令嬢たちが、どんなふうに目を輝かせるかという期待だった。
二時間ほどして、ゼノが両手いっぱいに差し入れを持ってやってきた。
「こんなに食べ切れるわけないでしょ。私たちをなんだと思ってるのよ」
女性三人に対して明らかに多すぎる食料を前に、ヴィヴィアンが呆れた声を出す。と言いつつも、彼女はその中から硬いパンのサンドウィッチを摘み上げ、椅子に行儀悪く足を組んで座りながらかぶりついた。
「少ないなら少ないで文句言うだろ、お前は」
「限度ってもんがあるわよ。あんたも、責任持って食べなさいよ」
一番大きな肉串を突き出すと、ゼノはうんざりした顔をしながらヴィヴィアンの隣にどっかと腰を下ろした。疲れ切ったため息を吐き、包みを開けて大口で肉を頬張る。
本来、貴族の令息である彼が、このような場所で肉串をかじるなどあり得ない光景だが、二人にとっては今さら珍しいことでもなかった。
「お二人は、本当に仲が良くいらっしゃいますよね」
若いお針子がにこやかに声をかけてきたが、二人は全く同時に、じっとりとした冷ややかな目で彼女を見返した。
「……あ、失礼しました。違うのですね」
「違うわよぉ。本当、毎日毎日こいつには迷惑をかけられっぱなしなんだから」
「こっちのセリフだ、あほ」
「聞いた? こんなことしか言われないのよ、私は」
「誰のために残業してやってると思ってるの」とヴィヴィアンが畳み掛けると、ゼノはさすがに気まずそうに押し黙った。
「お二人は、何年ほどご一緒にお仕事を?」
「もう七年だな」
「即答キモ」
「こいつは最初からこんな調子だ」
「なんか先輩ぶってるけど、ほぼ同期みたいなものよ、こいつ」
「ふふ、やっぱり仲良しでいらっしゃいますね」
お針子たちはくすくすと笑ったが、二人は冷めた表情のまま、視線さえ合わせなかった。
食事を手早く終えると、入念に手を洗い、作業へ戻る。ヴィヴィアンが真剣な表情で針を刺すのを、ゼノは作業台の向かいに座り、頬杖をつきながら眺めた。
「……あんた、さっさと帰んなさいよ」
針を刺す手を止めずに、ヴィヴィアンが呟く。
「自分のせいで人に残業させといて、帰れるわけねえだろ」
「ガラにもない。……『前』は、さっさと帰ったじゃない」
「あの時は、お前が残ってるなんて知らなかった」
ヴィヴィアンはフンと鼻を鳴らした。それ以上は何も言わず、静かな工房に針が布を通る音だけが響く。飾り気のないコートが、彼女たちの魔法によって煌びやかな一点物へと変身していく様を、ゼノは淡々とした眼差しで見守り続けた。
作業が終わったのは、日付が変わり、夜明けまであと二時間という頃だった。
寮へ戻るお針子たちを見送り、ヴィヴィアンとゼノは二人で夜道を歩いた。一人で帰ると言ったのだが、ゼノが「送る」と言い張って聞かなかったのだ。平和な王都とはいえ、女一人で深夜の道を歩くのは正直心細かったので、彼女は素直に甘えることにした。
「朝は遅出でいい。支配人には俺から伝えておく」
「バカ言わないで。あのコートをどう陳列するか、まだ何も決まってないのよ。むしろいつもより早く出るわ。あんたも一時間は早く来なさい。陳列を手伝うのよ」
鋭い声で命じると、ゼノは面倒そうに舌打ちをした。そんなものはもう何千回も聞いているので、ヴィヴィアンにはなんの効果もなかったが。
「……ねえ。あんた、なんでフェリックスの仕事、ちゃんと見てやらなかったの?」
しばらく無言で歩いていたヴィヴィアンが、ふと気になって尋ねた。ゼノはすぐには答えない。
「あんたらしくないと思って。いくら彼が優秀でも、あんたの性格なら、いつもはねちっこいくらいに確認するでしょう?」
ゼノの横顔を覗き込むが、彼は正面を見つめたまま無表情を崩さない。灰色の瞳は、夜の闇に深く沈んでいた。
「別に。たまたま忙しかっただけ」
「ふぅん……」
「まあ、俺も気が抜けてたんだな」
「しっかりしなさいよ。あんたはネチネチ細かいところしか取り柄がないんだから」
「もっと他にもあるだろ」
「ないわよ」
きっぱりと言い切ると、横からフッと微かな笑いが漏れた。彼が笑うなど珍しい。思わず見やると、ゼノの三白眼もヴィヴィアンを見下ろしていた。
「まあ、お前の王子様には負けるわな」
その言い方はいつになく嫌味ったらしく、冷たく響いた。ヴィヴィアンにはその言葉の意図が掴めず、思わず眉根を寄せる。
その後は会話も弾まないまま、ヴィヴィアンの自宅前で解散した。
翌日。
例のコートは店頭の一番目立つ場所に飾られ、カスタムメイドの演出はヴィヴィアンの狙い通り、令嬢たちの心を瞬く間に掴んだ。数日経っても客足は衰えず、これならば百着の在庫もシーズン中に完売できるだろう。それどころか、追加発注を検討するほどの勢いだった。
赤字どころか想定以上の黒字を生み出し、支配人の機嫌もすこぶる良い。
「感謝してもしきれない。君は本当に……素晴らしい人だ」
フェリックスは何度も頭を下げ、ヴィヴィアンの両手を掴んで熱烈な感謝を伝えてきた。
(ああ、彼の役に立ててよかった)
胸が温かな充足感で満たされる。
バックヤードでその日のオーダー票を捌きながら、ヴィヴィアンがようやく胸を撫で下ろしていると、ゼノが入ってきた。彼はヴィヴィアンの手からオーダー票を奪い取ると、無言で枚数を数え、また突き返すように戻した。
相変わらず感じの悪い男だと思いながら書類を整え直していると、彼は去り際に、ぶっきらぼうに言い放った。
「……ありがとうな」
あまりにも聞き馴染みのなさすぎる言葉に、ヴィヴィアンは無表情のまま彼を振り返った。
「助かった。やっぱり、さすがだな。お前は」
ゼノもにこりともせず、むしろ睨みつけるような視線を一瞬だけ送ると、そのまま背を向けて去っていった。
ヴィヴィアンは、しばらくその場から動くことができなかった。
やがて、ゆっくりと深く呼吸をして、手元の書類に目を落とす。仕事を再開しようとしたが、思うように頭が働かない。
なぜだか少しだけ泣きそうになっている自分に気づき、ヴィヴィアンは誰に聞かせるわけでもなく、ゴホンと大きく、不自然な咳払いをした。




