都の苑
都市の中心に、苑がある。
眠らない街。
ビルは夜通し光り、人は歩き、誰もが睡眠を後回しにして生きている。街角には栄養剤の自販機が、墓標のように並んでいる。眠る者は怠け者と蔑まれ、夢は贅沢品と呼ばれた。
その都で、ただ一か所、眠ることを許された場所がこの苑だった。
夕刻、整理券を握った人々が、芝に身を丸めて横たわる。
鐘が三度鳴るまでの、束の間の眠り。
庭守の私は、二度目の鐘で客の肩を叩き、起こして回る。
庭守は眠ってはならない。私はもう十一年、一睡もしていない。腹も減らない。
そういう体質の者が、庭守に選ばれるのだろう。
「苑という字を見ろ」
庭守になった日、耳元で誰かがそう言った。顔は思い出せない。声だけが、ひどく聞き慣れていた。
「草の下に、夗。夕べに人が身を丸めて眠る形だ。草が人を抱いて眠る字なんだよ」
そして、もうひとつ。
「三度目の鐘までに起きない客は、起こすな。起こそうとした者は、苑に呼ばれる」
私は規則を守った。起きない客は、月にひとりかふたりいた。
三度目の鐘が鳴ると、芝が内側へゆっくり巻き、貝が閉じるように苑は丸くなる。
巻かれた芝の縁から、ときどき指が一本はみ出して、しばらく空を掻いた。
くぐもった寝言が、底からいつまでも聞こえる。
朝には刈り揃えた青い芝だけが残り、客は「帰宅した」ことになる。誰も何も訊かない。眠れぬ都は、眠らせてくれる苑に、何も訊かないのだ。
都は何事もなかったように光り続ける。
哀しくはあったが、私は苑を愛していた。
あの深い青は、人の眠りの色だ。芝は一本ずつ閉じた瞼のように微かに震え、刈り取れば、ときどき人の髪の匂いがした。
足裏の芝は、いつも私にだけ、離れがたそうに絡みつく。
胸の札は苔むして、自分の名は読めない。左手の薬指には白い痕があるが、何を嵌めていたのか思い出せない。
庭守に、過去など要らない。
赤いコートの女がいた。
毎夕、私の立つ楠の根元に身を丸め、二度目の鐘が鳴ると、起き上がって、私の足元の芝をそっと撫でる。
その左手の薬指に、細い金の輪が光っていた。
「あなた」と、聞き覚えのない名を囁きながら。そのたび、なぜか肩が温かくなった。
年々、彼女の髪には白いものが混じり、コートは色褪せていったが、肩の温もりだけは変わらなかった。
芝を愛でる客は珍しくない。私は微笑んで、彼女を門まで送った。
昨夕、彼女は撫でなかった。
二度目の鐘が過ぎても、動かず、私の足元をじっと見つめていた。三度目の鐘が鳴りはじめる。
苑が巻きはじめる。彼女は両手をついて、芝を掴んだ。
起こすな——規則が耳の奥で鳴る。私は叫んだ。
「やめなさい、あなたまで呼ばれる」。
声は風のように、彼女を素通りした。
「起きて」
芝を揺する。
爪が割れ、血が滲み、血を吸った芝が、嬉しそうに色を深くした。
「お願い、起きて。」
声は、私の足の下へ向けられていた。
見下ろすと、薄い芝の膜越しに、ひとりの男が丸くなって眠っていた。
痩せて、髪は白く、胸には苔むした庭守の札。
左手の薬指に、細い金の輪。
私の顔だった。
一睡もしていない、と思っていた。
違う。
十一年、一度も目覚めていなかったのだ。
苑は私に「起こす側」の夢を見せ、手放さずにいた。
草の下に、人。私こそが、苑という字だった。
男の瞼が震えた。
私の足がほどけてゆく。青い糸になって、芝へ還ってゆく。その向こうで、芝は彼女の腕に、脚に、赤いコートに絡みつき、貝のように閉じた。彼女は、笑っていた。
目を開けると、朝だった。
私は苑の外の、冷たいアスファルトに座っていた。
十一年ぶりに血が通う肉体が、骨の髄まで軋む。拳の中に、赤い布の切れ端と、十一年前の日付の整理券。
あの人が呼んでいた名は、私の名だった。呼び返そうとしたが、喉は十一年分の埃で塞がり、掠れた息しか出なかった。
苑は、刈り揃えた青い芝を朝日に光らせている。彼女は「帰宅した」ことになるのだろう。
違う。彼女は、下にいる。
夕刻、私はあの整理券を握って、門をくぐる。楠の根元に身を丸め、眠るのだ。三度目の鐘を待ちながら。
今度は、起こさなくていい。あの人の隣で、ただ、呼ばれればいい。
草の下に、人。
苑という字は、よくできている。




