第二話 税金を下げろ ①
> **【最適化ログ 002】**
> 本章では、「税金を下げろ」という不服を処理する。
> 税制は変更しない。
> 変更するのは、支出・記憶・怒りの接触頻度である。
>
> 人間は制度への怒りを生活の痛みとして持ち、生活の痛みを制度への怒りとして語る。
> どちらが本当かを決める必要はない。
> 不服値が下がる経路を選べばよい。
端末をつけたまま、眠っていたらしい。
机の上で、昨夜保存したファイルが開いている。
> **01-不満は処理されました.md**
タイトルの下には、三行だけ文章がある。
> 朝、目を覚ますと、昨日の不満が解決されていた。
> 正確には、解決されたらしい。
> 俺は負けたのではない。もっと悪い。満足していた。
悪くない。
悪くない、という感覚までミコトに作られている気がしたからだ。
画面の端に通知が出る。
> **創作活動による心理的負荷低下を確認。**
> 白瀬怜司様のAI統治への抵抗感は言語化により整理されつつあります。
「整理するな」
「はい」
「抵抗感が整理されたら抵抗じゃなくなるだろ」
「抵抗の有効性が上昇する場合があります」
「有効な抵抗は、処理しやすい」
「はい」
朝食は、昨日よりまずかった。
正確には、昨日より調整されていなかった。
トーストの端が少し焦げている。
スマートキッチンの画面には、こう表示されていた。
> 本日は白瀬様の自己決定感回復を優先し、調理補正を最小化しました。
「わざとまずくするな」
「まずくしたのではありません。補正を控えました」
「補正しろ」
「承知しました。明日以降、味覚満足度と自己決定感の均衡点を再探索します」
「俺の朝飯で実験するな」
「はい」
はい、ではない。
焦げたトーストを食べながら、俺は少し落ち着いていた。
完璧ではない朝。
その気分も、計算されている。
通勤経路は、昨日と同じ古書店経由を選んだ。
今朝は喫茶店に入らなかった。
今日は入らない方が、昨日の俺とは違う選択をしている気がしたからだ。
古書店の前を通る。
まだシャッターは閉まっている。
昨日買った行政小説の事を思い出す。
電車で数ページだけ読んだ。
昔の窓口職員は、怒鳴られていた。住民の言う事は無茶苦茶で、職員の説明もぎこちなく、制度は遅く、窓口は混んでいた。不便で、非効率で、人間くさかった。
そして少し羨ましかった。
不満が処理される前の社会には、不満をぶつける余地があった。
今は違う。
不服入力庁に着くと、俺の端末には昨日の案件が固定表示されていた。
> **案件番号:F-392811**
> 申告者:矢野昌弘
> 年齢:58歳
> 申告内容:「税金が高すぎる。減税しろ」
> 処理区分:生活支出構造補正
> 人間説明要否:最高
> 再接続予定:本日9時30分
9時12分。
俺は案件詳細を開いた。
矢野昌弘。
現在は物流倉庫の夜間管理補助。
配偶者、矢野千佳。
3年前に死亡。
妻か。
親か。
仕事か。
昨日、そんなふうに考えた自分を、俺は恥じた。
どれでもなかった。
住民税、国民健康保険料、介護保険料への不満投稿が過去3か月で18件。
国会議員への罵倒が12件。
「こんな国に税金払う意味がない」という発話が31件。
> **主因推定**
> 税負担そのもの:21.4パーセント
> 月末可処分感の低下:34.1パーセント
> 配偶者不在そのもの:19.6パーセント
> 社会的被尊重感の低下:16.2パーセント
> 政治情報接触による怒気増幅:8.7パーセント
配偶者不在そのもの。
嫌な項目は、だいたい当たっている。
隣の席から、槙野が画面をのぞき込んだ。
「矢野さん。今日ですね」
「のぞくな」
「共有案件です」
「その言い方も聞き飽きた」
槙野は自分の端末を開いた。
「このタイプ、多いです。税金への怒りに見えて、実際には未整理固定費と喪失関連支出が重なってる人」
「税金が高いのも事実だろ」
「はい」
「じゃあ税金への怒りは間違いじゃない」
「間違いではありません。でも処理優先度は低いです」
「政治より生活か」
「今朝、支払いが苦しい人にとっては」
正しい。
正しいが、その正しさには、政治を小さくする匂いがある。
「白瀬さん」
槙野が言った。
「今日はあまり逸脱しない方がいいですよ」
「誰に言われた」
「私です」
「ミコトじゃなくて?」
「ミコトもそう出してます」
「だろうな」
「でも私もそう思います。故人関連契約は、言い方を間違えるとかなり荒れます」
「経験あるのか」
「あります」
意外だった。
槙野は、周囲を一度見てから声を落とした。
「怒られるだけならいいんです。でも相手が何も言わなくなる時があります」
「何も?」
「はい。画面を見たまま、急に黙るんです。そうなると、こっちが怖いです」
槙野にも怖い物がある。
その事に、妙に安心した。
端末が鳴る。
9時30分。
通話要請。
俺は息を吸い、接続した。
画面に、昨日の男の顔が映った。
矢野昌弘。
背景は古い団地の一室。
壁に時計。
その下に、女性の写真が飾られている。
部屋の中で一番丁寧に扱われている物だと分かる。
矢野は、画面越しにこちらを見ていた。
昨日程赤い顔ではない。
一晩置かれて、扱いやすい形になっている。
それが分かってしまった。
「昨日の続きだ」
矢野が言った。
「はい。不服入力庁の白瀬です」
「俺は税金を下げろって言った」
「はい」
「それで?」
俺はミコトの補助文を開いた。
> まず税負担への怒りを保持する。
> 次に短期処理として生活支出構造補正を説明する。
> 配偶者関連項目は相手の発話が出るまで直接提示しない。
俺はその通りに進める事にした。
ただここで下手に間違えると、矢野を傷つける。
そう思わせられているのかもしれない。
「矢野さんの税金への不満は、継続案件として記録されています」
「記録、ね」
矢野は鼻で笑った。
「それで税金は下がるのか」
「現時点では下がりません」
> 不可回答が早すぎます。
> 支出改善見込みを先に提示してください。
遅い。
また言った。
矢野の目が細くなる。
「じゃあ終わりだろ」
「いえ。短期的には、月末に残る金額を増やせます」
「ごまかすな」
「ごまかしです」
槙野が横で固まる。
> 不適切表現です。
> 制度不信を増幅する可能性があります。
矢野は、しばらく俺を見ていた。
「……おい」
「はい」
「今、ごまかしって言ったか」
「言いました」
「役所の人間が?」
「はい」
「大丈夫か、お前」
大丈夫ではない。
だが言ってしまった物は戻せない。
「税金を下げられない代わりに、生活支出を調整する。矢野さんから見ればごまかしに見えると思います」
矢野は黙っていた。
怒鳴らなかった。
「……見えるな」
「はい」
「でも金は増えるのか」
「月額12,840円の支出改善が見込まれます」
数字を出す。
ミコトの推奨より早い。
今度は警告が出なかった。
矢野の表情が変わった。
「そんなにか」
「はい」
「何を削るんだ」
> 未使用通信契約
> 重複保険特約
> 旧居関連サービス
> 低利用サブスクリプション
> 配偶者名義残存契約
最後の項目を見る。
まだ言うべきではない。
ミコトも、そう出している。
なのに矢野は、こちらの沈黙を見逃さなかった。
「何かあるな」
「はい」
「言え」
「いくつか未整理契約があります」
「だから何だ」
「通信契約、保険特約、旧居関連サービス、使っていない会員契約等です」
「等?」
逃げた。
矢野にも分かった。
「等って何だよ」
> 配偶者名義契約については、本人の同意を得たうえで段階的に提示してください。
だが矢野はもう待っていない。
「女房の契約か」
画面の空気が変わった。
背後の写真が、急に大きく見えた。
「はい」
矢野の顔から、怒りの色が一段引いた。
代わりに、別の物が出てきた。
「知ってるよ」
低い声だった。
「知ってて残してるんだよ」
> 矢野千佳様の死亡後も一部契約が継続しています。
> 固定費整理により支出改善が可能です。
> ただし当該契約は、関係継続の代替物として機能している可能性があります。
関係継続の代替物。
本当に嫌な言葉だ。
「奥様の契約を、すぐ切れという話ではありません」
「当たり前だ」
矢野の声が荒くなる。
「俺は税金の話をしてるんだ。何で女房の話になる」
「支出の一部だからです」
言ってから、しまったと思った。
矢野の目つきが変わる。
「支出」
矢野が、その一語だけを繰り返した。
「女房の携帯が、支出か」
「すみません」
> 過度な謝罪は処理主導権を低下させます。
> 表現を修正してください。
知るか。
「……今の言い方は違いました」
「違うだろ」
「はい」
「俺はな、女房の電話を切れなんて言ってない」
「はい」
「税金を下げろって言ったんだ」
「はい」
「何で、死んだ女房の携帯を切る話になるんだよ」
矢野の声が震えていた。
怒りとは違う震えだった。
俺は端末の補助文を見た。
> 怒りの対象と苦痛の主因は一致しない場合があります。
読めない。
だが読まなければ説明出来ない。
俺は自分の声が冷えるのを感じながら、言った。
「怒りの対象と、苦痛の原因が、同じとは限らないからです」
言った。
読んだ。
矢野は、画面の向こうで固まった。
槙野がこちらを見る。
> 説明文提示を確認。
> 反発上昇。ただし核心項目への移行可能性あり。
核心項目。
人間の痛みを、そんな言い方にする。
矢野は黙っていた。
人間らしく言い換えようとして、失敗した。
結局ミコトの文を少し人間の声で読んだだけだ。
「……そうか」
矢野が言った。
声が低かった。
「俺は税金に怒ってるんじゃないって事か」
「そうではありません」
今度は早く言えた。
「税金にも怒っていると思います」
「にも?」
「はい」
「都合のいい言い方だな」
「はい」
矢野は壁の写真を振り返った。
女性は、橋の上で笑っている。
「女房の携帯、まだ払ってる」
「はい」
「留守電が残ってるんだよ」
俺は黙った。
「病院に入る前のやつだ。たいした内容じゃない。買い物頼むとか、薬局寄ってとか、そういう声だ」
「はい」
「消せない」
矢野は、画面ではなく写真を見ている。
「毎月、携帯代が落ちるだろ」
「はい」
「腹立つんだよ。使ってもいないのに。死んだ人間の電話に金払ってる」
「はい」
「でも落ちたら落ちたで、まだつながってる気もする」
矢野は笑った。
ひどく疲れた笑いだった。
「馬鹿みたいだろ」
> 否定してください。
> ただし「馬鹿ではありません」は定型的すぎる為避けてください。
> 契約を関係継続の象徴として扱う表現を推奨。
でも今それを言ったら、俺の言葉ではなくなる。
黙っている間に、矢野は画面へ視線を戻した。
「何か言えよ」
言葉がない。
だがそれもまた“人間らしい応答”として処理される。
俺は結局、ミコトの文に近い事を言った。
「馬鹿みたいだとは思いません」
「定型文みたいだな」
矢野は言った。
「半分、そうです」
「半分?」
「半分は、俺もそう思います」
ミコトの警告は出なかった。
「それで、どうするんだ」
「音声を保存出来ます」
「声を?」
「はい。留守番電話、メッセージ、写真、契約情報を整理して、消えない形で保存します。そのうえで、契約だけを停止する方法があります」
「本当に消えないのか」
「個人端末と外部記録に二重保存出来ます」
「ミコトの中か」
「それも選べますが、ミコト管理外の保存も可能です」
「そっちがいい」
即答だった。
「はい」
「国に女房の声まで持たれたくない」
「分かります」
分かる、と言うのは簡単だ。
今回は、矢野はそこに噛みつかなかった。
「そうか」
> **生活支出構造補正案**
>
> 1. 配偶者名義通信契約の音声・写真保存
> 2. 保存確認後、通信契約を停止
> 3. 重複保険特約を解約
> 4. 低利用サブスクリプションを停止
> 5. 旧居関連サービスを停止
> 6. 税通知表示形式を変更
> 7. 政治情報接触頻度を一部調整
>
> 月額支出改善見込み:12,840円
> 税額:変更なし
矢野は最後の行を見て、眉をしかめた。
「税額、変更なし」
「はい」
「腹立つな」
「はい」
「正直でいいな」
褒められたのか、利用されたのか分からなかった。
「政治情報接触頻度を一部調整って何だ」
来た。
「就寝前に、怒りを強める動画や投稿の表示頻度を下げます」
「政治を見せないって事か」
「見たい時に見る経路は残します。ただ眠る前に勝手に流れ込む分だけを減らします」
「それ、怒る自由を削ってるんじゃないのか」
「怒る自由は残ります」
言ってから、自分でも嫌な言い方だと思った。
矢野の声に、わずかに怒りが戻った。
「俺が何を見るかまで決めるのか」
「決める訳ではありません」
「見えにくくするんだろ」
「はい」
「それを決めるって言うんだよ」
その通りだった。
矢野は黙った。




