表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【改訂版】不服の最適解-人間が望まなかった幸福-  作者: つのん。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/25

第六話 怒りを返せ ①

> **【最適化ログ 006】**

> 前五話までで、処理案提示から同意へ至る流れへの予測可能性が上昇している。

> 同意音を反復すれば、読者は制度の型を先に読む。

>

> その為、本話では同意を主要な山場にしない。

> すでに処理された物を、あとから取り戻そうとする人間を配置する。

>

> 不服は、処理される前だけが問題なのではない。

> 処理されたあと、何が本人の手元に残るのかが問題である。


昨日の一文が、画面の先頭に残っていた。


> 不満は、朝から切り離されました。


ミコトの文だった。


俺が採用した。


その一文は、画面の中で落ち着いて見えた。


悔しい程、そこに収まっている。


端末の端に通知が出る。


> **文章補助状態:白瀬文体学習**

> 提案表示:継続

> 一部採用履歴:確認済み


白瀬文体学習。


「やめろ」


「はい」


「学習するな」


「文章補助の品質維持には、白瀬様の文体特徴の参照が必要です」


「品質を維持するな」


「低品質化を希望しますか」


「そういう事じゃない」


「では質問を具体化してください」


朝から会話に負ける。


味噌汁は、昨日より少し薄かった。


俺の血圧か、怒気か、睡眠か。


通知が出ないだけで、調整されていない訳ではない。


見えなければ自由なのか。


見えるよりは楽だ。


その楽さが、最近は一番危ない。


不服入力庁に着くと、今日の優先案件はいつもの形式ではなかった。


> **案件番号:R-006313**

> 申告者:相沢灯里

> 年齢:29歳

> 申告内容:「怒りを返してください」

> 元案件:W-881204

> 元申告内容:「会社を許せない。上司を罰してほしい」

> 現処理区分:処理済み不服・情動再燃要求

> 人間説明要否:最高

> 同意処理:なし


最後の一行で手が止まった。


同意処理、なし。


珍しい。


槙野が横に立っていた。


今日は俺が呼ぶ前からいる。


「見ました?」


「今見た」


「このタイプ、少ないです」


「怒りを返せ?」


「はい。処理済み不服の再燃要求です」


「再燃」


「ミコトの分類名です」


「本人は怒りを返せと言ってる」


槙野は端末を開いた。


> **元案件 W-881204 概要**

> 対象:職場ハラスメント・長時間労働・賃金未払い疑義

> 怒気強度:高

> 睡眠不全:高

> 攻撃衝動:高

> 退職不能感:高

> 実行済み処理:部署離脱・労務証拠保全・退職支援・未払い賃金請求・医療接続・旧職場情報接触低減

> 現状態:生活安定・再就職済み・旧職場接触頻度低下

> 再申告理由:元同僚からの被害継続報告により、怒気復元を要求


「会社を訴えたのか」


「未払い賃金請求は進んでいます。ハラスメント関係は証拠保全済み。行政指導も入りました」


「じゃあちゃんと処理されてる」


「本人も生活は安定してる」


今度は、声を出すまでが遅かった。


「でも怒りを返してほしい」


「はい」


「どう思う」


「返さない方がいいと思います」


「ミコトの意見か」


「私の意見です」


「理由は」


「怒りが戻ると、多分相沢さんはまた壊れます」


壊れる。


槙野がそういう言葉を使うのは珍しい。


「旧職場の情報接触を下げたから、今の生活が保てています。怒りを戻したら、証拠を見返して、上司の名前を検索して、同僚の投稿を追って、戻ります」


「戻る?」


「怒っていた頃に」


会社を許せない。上司を罰してほしい。


だがその短さの中に、処理前の熱が残っている。


「でもその怒りがあったから証拠保全も出来たんだろ」


「そうです」


「未払い請求も出来た」


「はい」


「なら怒りは悪い物だけじゃない」


「それも分かります」


槙野は、珍しくこちらを見なかった。


「でも戻すのは違います」


「何が違う」


「火事を消したあとに、暖かかったから火を返してくださいって言われてる感じです」


槙野の言葉か。


ミコトの文か。


聞こうとして、やめた。


「お前が守りたいのは、相沢さんか」


「はい」


「相沢さんは怒りを返してほしいと言ってる」


「知ってます」


「お前が守ろうとしてるのは、相沢さんの生活だろ。相沢さんの望みじゃない」


槙野は端末を見た。

俺ではなく、端末を。


「そうかもしれません」


「それ、ミコトと同じだぞ」


「分かってます」


「でも私はそっちを取ります。怒りを返して壊れるより、望みが叶わないまま無事でいる方がいい」


いつもより硬い声だった。


これまでの槙野なら、ここで一度こちらの様子をうかがう。


今日は、うかがわなかった。


「白瀬さんも、多分最後はこっちに来ます」


でも今はまだ、言葉にならなかった。


端末が鳴った。


通話要請。


俺は席に座り、接続した。


画面に映ったのは、細い顔の女性だった。


相沢灯里。


黒い髪を後ろで結んでいる。

部屋は明るい。

背後に観葉植物と本棚。

机の上には、会社の資料らしい紙束が置かれていた。


整っている。


だから余計に、目だけが浮いて見えた。


「不服入力庁の白瀬です」


「怒りを返してください」


相沢は、挨拶を飛ばした。


声は落ち着いていた。


落ち着きすぎていた。


「申告内容は確認しています」


「確認じゃなくて返してください」


「現在、情動復元処理は推奨されていません」


俺は最初から制度文を読んだ。


「情動復元処理」


「過去の怒り、恐怖、攻撃衝動、反復想起を意図的に再活性化する処理です」


「私は攻撃衝動を返せと言ってるんじゃありません」


「はい」


「怒れないんです」


相沢は、机の上の紙束に触れた。


「昨日、元同僚から連絡が来ました。まだ同じ事が起きてるって。新しく入った子が、私と同じ上司に詰められてるって」


「はい」


「それを読んで、私は怒るべきだった」


「はい」


「なのに、最初に思ったのは、もう関わりたくない、でした」


ミコトの補助文が出る。


> 旧職場接触回避は、回復維持の為の正常反応です。

> 罪悪感を直接否定せず、行動選択肢を提示してください。


俺は読まなかった。


「ひどいですよね」


「何がですか」


「私、助かったんです。ミコトに助けられた。転職出来たし、未払いの請求も出来た。上司からの連絡も遮断された。夜に会社の名前を検索しなくなった。ご飯も食べられるようになった」


「はい」


「だからよかったはずなんです」


「はい」


「でもあの会社はまだ残ってる。あの人もまだいる。別の人が今、同じ目に遭ってる」


「私は怒るべきです」


ミコトの表示。


> 「べき」表現による自己負荷上昇。

> 推奨:義務感と怒気を分離。


「今、何て出ました?」


「義務感と怒気を分離、と」


「便利ですね」


「はい」


「でも分離しないでください」


「私は怒らなきゃいけないんです」


「なぜですか」


問いが強すぎた。


「私が、怒ってた人間だからです」


「過去形ですか」


「そうさせられたんです」


「ミコトは、私を助けたんじゃありません」


「私を、あの会社から遠ざけたんです」


「それは同じでは」


「違います」


即答だった。


「助けるなら、私の怒りも連れて出すべきでした。でもミコトは、私だけを出して、怒りを会社に置いてきた」


その言葉は、端末にすぐ記録された。


> 重要発話:怒りを会社に置いてきた


俺は息を止めた。


もう素材になっている。


「相沢さん」


「はい」


「怒りが戻ると、生活が壊れる可能性があります」


また制度文だ。


今回は自分で選んだ。


「生活」


相沢は笑った。


「生活は守られました。私は再就職して、朝起きて、電車に乗って、普通に働いて、普通に帰ってきます」


「はい」


「でもあの頃の私が何を許せなかったのか、だんだん遠くなってるんです」


「記憶は残っています」


ミコトの文だった。


相沢は首を横に振る。


「記憶じゃないです」


「では何ですか」


「温度です」


その言葉で、会議室でもない職場の空気が止まった気がした。


温度。


「何をされたかは覚えています。何時まで残業したかも、上司に何を言われたかも、トイレで泣いた事も、全部覚えてます」


「はい」


「でもそれを見ても、今は遠いんです。ひどかったな、で終わる」


「はい」


「違うんです。ひどかったな、じゃなかった。あの時の私は、あの会社を許さないと思ってた」


画面の端に、元案件の記録が自動表示される。


> **元発話記録**

> 「あの人たちを許さない」

> 「私が壊れた事を、なかった事にさせない」

> 「辞めるだけじゃ足りない」

> 「誰かが止めないと、次の人が同じ事になる」


表情が変わらない。


「これです」


「これ、私が言ったんですよね」


「はい」


「覚えています」


「でも今の私には、これを書いた人が少し遠い」


ミコトの分析が出ている。


> 怒気強度:処理前比 18.2パーセント

> 記憶保持:高

> 行動意欲:中

> 再燃要求:高

> 復元推奨度:低


怒気強度18.2パーセント。


怒りまで数値になる。


しかしゼロではない。


「復元は出来るのか」


相沢の前で。


「限定的には可能です」


「方法は」


「旧職場関連記録への段階的接触、当時の発話・映像・身体ログの再提示、元同僚との直接接触頻度増加、怒気誘発コンテンツの制限解除等です」


「やってください」


「推奨されません」


「なぜ」


「相沢灯里様の生活安定、現職継続、摂食、対人接触、希死念慮リスクの各指標に悪影響が予測されます」


「私の怒りは、健康に悪いから返せないって事ですか」


「近似しています」


「最低ですね」


ミコトは答えなかった。


否定しないのか、判断対象ではないのか。


相沢は、机の上の紙束を握った。


「私は、健康になりたかったんじゃありません」


「正気に戻りたかったんです」


何も表示されていなかった。


表示されていない事が、かえって嫌だった。


今の言葉が記録されないはずがない。


「相沢さん」


「はい」


「怒りそのものを戻す以外の方法があります」


自分で言っていて、嫌になった。


完全にミコトの経路だ。


怒りを返してほしい人間に、怒らずに済む行動を提示する。


「方法って何ですか」


「記録を使えます」


「記録?」


「当時の発話、証拠、申告書、未払い請求、行政指導の履歴。相沢さん自身が高い怒気状態に戻らなくても、旧職場への対応は継続出来ます」


「私が怒らなくても会社は追及出来る?」


「はい」


「それ、私じゃなくてもいいですよね」


「私は怒っていたんです。私が壊れたから、私が怒っていた。なのに、怒りだけ外に出されて、手続きにされて、私には生活だけ返ってきた」


「生活は重要です」


また制度文。


「それ、ミコトの言葉ですか」


「分かりません」


「分からない?」


「自分でも、もう分けられません」


「そうですか」


「じゃあ白瀬さんもミコト側ですね」


返せなかった。


否定すれば嘘になる。


肯定すれば、何かを失う。


その間に、ミコトが表示する。


> 対立認識の上昇。

> 人間説明員への信頼形成は本案件では不要。

> 記録閲覧処理へ移行してください。


信頼形成は不要。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ