十三 散歩をする男(1)
唐秀英が宁雲嵐に挨拶をしたいと言うので、二人で宁氏の邸宅へ向かう。途中から飛び交う宁麗文への挨拶に彼は微笑みながら会釈をして通り過ぎる。唐秀英は瞬きをしてから「人気ですね」と微笑んだ。
「はは……」
宁麗文は愛想笑いを浮かべるしかなくて、唐秀英に実はそんなに目立ちたくないのだと告げる勇気がない。これをなんとも思わず通り過ぎる宁雲嵐と青鈴が羨ましいとも思う。同時に「自分はなんて心が狭い人間なんだ」と顔を両手で覆いたくなるほどに悲しくなった。
青天郷を通って奥にそびえる宁氏の邸宅へ着く。門を開ければすぐ近くに門弟が水を運んでいるのを見つけたので、宁雲嵐の行き先を聞いた。宁雲嵐は滅法にいるとのことで、きっと山ほどある報告書を書いているのだろうと心配しながら廊下を歩く。
廊下の曲がり角でまた青鈴とばったり出くわした。買い物帰りだったのだろう、彼女は籠を持っていて、中には新鮮な野菜が入っていた。
「唐秀英さん」
「青鈴さん。お久しぶりです」
唐秀英は青鈴に拱手をして、青鈴も籠を床に置いて拱手をする。また籠を持って宁麗文に「何か用事でもあったの?」と問う。
「兄上に挨拶しに行きたいんだって」
「そうなんだ」
「それより、その野菜ってどこで買ったの?」
唐秀英も籠の中身を見てぱっと顔を明るくする。急に輝くような笑顔に宁麗文も青鈴も眩しく感じて目を細めた。
「うちの野菜じゃありませんか! どこにお店があったんですか?」
「せ、青天郷の広場の近くにありましたよ。というか、よく桂城の野菜だって分かりましたね?」
唐秀英はにっこりと笑いながら青鈴の手ごと籠を掴む。驚いた青鈴は籠を落としそうになり、宁麗文は目玉が飛び出そうなほどに面食らう。
「そりゃあ分かりますとも! だってこの皺ひとつない艶! それに滑らかな曲線! うちの野菜はいい肥料をふんだんに使っているので、余計なものが一切つかないんです!」
興奮しきっている唐秀英に宁麗文は肩を軽く叩き、「あの、申し訳ないんですけど……」と困ったように笑いかける。
「青鈴が困ってるので……」
「えっ? ……あっ⁈」
宁麗文に言われて自分の手を見て、初めて自分の行動に驚いて顔を赤くしながら彼女から手を離す。青鈴も宁麗文と同じように困りながら笑うしかなかった。唐秀英は両手で自分の顔を覆い、赤くなったまま「申し訳ございません……」と弱々しく言った。
「ねえ麗文。もしかしてこの人って、生粋の野菜好きなの?」
青鈴からの問いに宁麗文は愛想笑いを返すしかない。
半年間の唐秀英はそれはそれは、野菜を実らせることに必死だったし、蕾を見れば「命が生まれた!」だの、葉が伸びれば「大きくなってきた!」だの、紅花や可馨たちよりも大いに喜んでいた。もちろんそれはありがたいことなのだけれど、あまりにも喜びすぎて宁麗文含め全員はドン引きしていた。唐秀英は生粋の野菜好きというか、野菜が大好きすぎてむしろ変態に近い人間なのだ。
宁麗文が言葉に迷っていると、青鈴は微苦笑しながら「また後で聞くね」と言った。そして唐秀英に向き直って籠を持ち直す。
「阿瑾はお元気ですか?」
唐秀英は顔を覆っていた手を離す。宁麗文は彼が少し泣きそうになっている顔を見て「まだ後悔してるのか」と苦笑した。
「元気です。あの子はあのままうちの門弟になりました」
「そうなんですか。三年も経てばきっとすごく成長してそうですね」
唐秀英は顔が赤いまま顔を切り替えて笑顔で「はい、すごく成長してます」と返した。
曲がり角で青鈴と別れてから滅法へ目指す。唐秀英は宁雲嵐の部屋の場所を知らない。いつもは客間のみだったので、彼にとっては初めての訪問となるだろう。宁麗文が少し考えていると上の看板に『滅法』と書かれている部屋に着いた。宁麗文は戸に手の甲を当てて「兄上」と声を掛ける。少し音がした後に「入っていいぞ」と中から声がした。宁麗文は唐秀英に顔を向けて少し頷いてから戸を開けた。宁雲嵐が顔を上げると唐秀英の存在に気付く。
「唐秀英殿? どうしてここに来たんだ?」
唐秀英は宁雲嵐に拱手をする。
「お久しぶりです、宁雲嵐さん。しばらく欠席してしまってすみません」
唐秀英は苦笑をしながら拱手をした腕を下ろす。宁麗文が中に入れば彼も中に入り、二人並んで宁雲嵐と卓を挟んだ。
「それで、何か用があったんだろ?」
唐秀英は頷く。
「はい、再度復興の完遂を。それと、宁雲嵐さんに聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと? なんだ?」
宁雲嵐の片眉が上がる。宁麗文も何かと唐秀英に顔を向けた。
「あなたは四蝗王を倒した後に、敏さんの姿を見ましたか?」
宁麗文は驚いた。
もしかして、敏の死体は見つからなかったのか?
倒したのは宁雲嵐なのだから、彼から話を聞かないと分からないのだろう。宁麗文は兄の顔を見ると、彼は腕を組んで口を開いた。
「消えたよ。綺麗さっぱりな。元々脳の中に餓蝗がびっしり詰まってたんだから、身体中にも蝕まれていたんだよ。そりゃあ皮だけの死体になるし四蝗王は皮膚もちぎってたんだから全部ぱぁになるってわけだ」
「そんな……」
唐秀英は顔を真っ青に染め上げて俯き、膝の上に乗せていた拳を震わせる。
彼の思いは痛いほどに分かる。四蝗王に寄生されたと言っても元は人間であり、苑の言う通りに優しい性格だっただろう。四蝗王は二十年ほど敏の中に潜んでいたと告白していたので、その時期の紅花の「父親と口論をしていた」という証言は正しいと言えるだろう。なぜなら当時の彼女はまだ二十にも満たなかった年齢なのだから。
「あんたの気持ちはよく分かる。けど、これが事実なんだ。どこに行ってもあの爺さんの死体は見つかんねえよ」
「……そう、ですよね。教えていただき、ありがとうございます」
唐秀英は顔を俯かせたまま礼を述べる。その様子に宁麗文も宁雲嵐も瞼を伏せるしかなかった。
唐秀英はその後、宿に戻ると言って宁氏の邸宅から出た。門まで見送った宁麗文は無名に戻って途中だった報告書をまとめて書き上げる。最後の一文字を書いたところで戸を叩く音が聞こえ、外から「阿麗」と男の声が聞こえた。
「父上?」
戸を開けて入ってきた宁浩然は卓の前で片膝を立てる。きょとんとしている宁麗文に彼は「報告書は終わったのか」と聞いた。
「あ、はい。たった今終わりました。今から父上に渡そうと思って」
「そうか」
宁麗文は報告書の巻物を丁寧にくるんで宁浩然に渡す。その巻物を受け取った宁浩然は微笑んだ。宁麗文は突然の笑みに怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの……どうかしましたか?」
「いや。なんでもないよ。それより阿麗、お前はよく頑張っているな」
「え、あ、はい……?」
急な褒めにも動揺して思わずだらしのない返事をする。「本当に何をしに来たんだこの人は?」と宁麗文は父親に対して失礼なことを考えていた。
宁浩然は立ち上がって戸の近くまで歩く。そしてゆっくりと振り返って口を開いた。
「次の世長会では桂城での任務を報告してもらう」
その言葉に宁麗文は目を丸くする。
どうしていきなりそんなことを言われるのか?
宁麗文はあまりにもわけが分からなくなり思いきり立ち上がった。
「な、なぜ桂城唐氏の任務のことを? もう三年も前の話ですよ?」
「餓蝗というのはうちでは新しい魔になる。……いや、王は妖だったか」
宁浩然の淡々とした言葉に眉を微かに顰める。
「だとしても……それを報告するのは桂城唐氏ですよ。うちには関係ないですよね?」
「阿麗」
宁浩然の低い声が息子を制す。宁麗文は肩を震わせて思わず口を噤んだ。
「それまでに、内容を考えておくように」
宁浩然はそれだけ言って、無名から出ていった。




