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護誓散華  作者: くじゃく
花の想い話
38/227

十二 可馨と紅花(3)

 宁麗文は四蝗王の説明から始めないといけないと判断して茶を一口飲んだ。

 「唐公子。ひとつよろしいですか? 今回の餓蝗ですが、巣が見つかりました」

 唐秀英は驚いてまだ茶の残っている茶器に手を当ててしまう。幸いにもぬるくなっているその茶に手が掛かってしまったが、彼はそれを気にしなかった。

 「巣……というのも、敏さんの脳にありました。実際に見たのですが、敏さんは死後硬直しておりまともに動けなかった。しかし、魔……いえ、『四蝗王』と呼ばれる妖によって無理やり動かされ、そして彼女たちに危害を加えた。結局は兄上が対処してくださいましたが、おそらく以前から他の依代に寄生していたのでしょう。そして対象が使いものにならなければまた他の使える依代に寄生して……餓蝗の大量発生も四蝗王の仕業だと思われます」

 唐秀英は宁麗文の説明を聞く度に顔を青ざめ、そして少し身震いをする。宁麗文は心の中で少しばかり同情した。

 (あの時、私じゃなくて唐公子だったらどうなっていたんだろう。この人は一人息子で私みたいに兄上がいない。下手したら彼が次の依代として生きていたのかもしれない)

 「脳、ですか……凶鶏の捕食部分も大部分は脳でしたね。人間も食べていましたけど……」

 宁麗文は唐秀英に言われて初めて気付く。凶鶏は知識を得るために人間の頭部を、それも脳を捕食していた。今回の四蝗王は使役する餓蝗で町を襲撃させ、飢えた人々を喰らい尽くす。しかも依代にした人間の脳を喰らっていた。もしかすると邪祟は人間の脳を珍味か何かと思っているのかもしれない。

 「人間の脳ってそんなに美味しいんですかね?」

 ふと宁麗文の口から出てきた言葉に唐秀英は口元をぴくぴくと動かす。何も言わない唐秀英に気になった宁麗文は彼を見たが、あまりにも変な顔だったので面食らった。

 「……今、なんと言いました?」

 「え?」

 唐秀英は掛かってしまった手を手拭いで拭ってから茶器を持つ。その手はカタカタと震えていて、また茶が零れまくっている。宁麗文は自分の言った言葉に何も気付いていない。それが更に唐秀英を動揺させていた。

 「宁……宁公子は、人肉に興味がおありで?」

 「は!?」

 ようやく自分の言動に気が付いた宁麗文は慌てて手を横に振る。なぜか二人共、まだ夏にもなっていないのにダラダラと汗をかいていた。

 「いやいやいや、違います違います違います! 単なる疑問なだけで、決っっして人肉が食べたいなんてこれっぽっちも考えてないです!」

 宁麗文は何を思ったか、勢いよく手に取った茶器を飲もうとして顔にぶっ掛けてしまった。唐秀英は彼の行動に、宁麗文は自分の行動に驚いて固まる。茶屋の中は宁麗文が自分で茶を掛けてしまった音で静かになり、視線を彼にずらりと並べていた。

 宁麗文はなぜ自分がこの行動を起こしてしまったのかと次第に恥ずかしくなり、卓に茶器を思いきり置いてから立ち上がり、呆然とする唐秀英含めた来客の誰一人にも目をくれないまま走って店を出た。

 

 濡れた顔と髪と服を風で乾かしながら青天郷を駆け巡る。宁麗文は頭の中で失言をしてしまった反省と後悔の念に押されていて、考えれば考えるほどに叫びたくなる衝動に駆られていた。しかし、ここで叫びまくって走ってしまっては江陵宁氏としての品位がだだ下がりになる。それだけはごめんこうむりたい。とにかく、彼はどこに向かうかも考えずにひたすらに走っていた。

 息を酷く切らし始めてから近くにある木に手をついて肩を上下に揺らす。見上げると鬱蒼とした木々が生い茂った場所が目の前にあった。気が付けば青天郷を抜けて埜湖森の前まで来ていたようだ。

 (いつの間に。随分久しぶりに来た気がする)

 そういえばここには立ち入り禁止区域があって、陣が張られていたのだと思い出し、宁麗文は木から手を離す。しかし何も反応はなく、首を傾げながら進んでいく。何事もなかったかのような静けさが辺りを包み、たまに風が来て葉の擦れる音が響き渡るだけだった。宁麗文は以前より霊力が高まっていると感じていたが、これは陣による効果だろう。歩を進めながら木の幹に次々と触っていくが、やはり何も起こらない。

 (もしかして、既に誰かが陣を破ったとか? いや、私たちのように修位がある人じゃないとここは進めないと思うんだけど……)

 宁麗文はふと立ち止まり、辺りを見回す。前に肖子涵と来た場所ではないが、やや広く間が空いている。空から漏れる陽の光は宁麗文のいる場所をよく照らしていた。

 まだ日も沈んでいない時刻なのに薄ら寒く感じた宁麗文は足早に来た道を辿って行く。もしここで凶鶏に出くわしてしまったらと考えてしまうと、背筋がゾッと寒くなる。木を触っていた場所を辿っていくが、そろそろ怖くなってきたのか、雑草の生えている場所にも飛び込んで無理やり外へ出る。最後の木を避けて一歩踏み出すと、後から追いかけてきていた唐秀英と思いきりぶつかってしまった。

 「っだ!」

 「うっ!」

 バタンッと宁麗文は雑草の上に倒れ、唐秀英は道の上に尻もちをつく。唐秀英は雑草にまみれた宁麗文を慌てて引き起こして「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

 「うう、すみません……こんな情けない私で……」

 「宁公子、見ないうちにヘタレになっちゃったんですか? もう何も気にしてないので戻りましょうよ。さっきのは驚きましたけど、本当に何も気にしてないので!」

 唐秀英は宁麗文の手を引きながら青天郷へ戻る。宁麗文は道中で服についた葉や土埃を払っていた。唐秀英は何かを思い出したからか一度立ち止まり、宁麗文に向き直る。

 「そういえば、あなたに返すものがあるんでした。宿まで着いてきてくれませんか?」

 宁麗文は払いながら唐秀英の顔を見てぽかんと口を開ける。何か返される物があっただろうか? 彼と最後に会ったのは三年前のあの町だったので、とうの前で覚えていない。宁麗文はふたつ返事をして唐秀英の宿泊先へ向かう。

 唐秀英の宿泊している部屋に入ると、彼は一つの綺麗な瓊花けいかの刺繍が施されている嚢を卓に置いた。それの結び目を解くと中には純白に薄緑の輝くような刺繍が施されている、宁麗文のかつての外衣が入っていた。

 宁麗文はそれを見て一気に思い出した。一番最初に見つけたのは可馨で、よく話していたのも可馨、そして目の前で殺されてしまったのも彼女で、宁麗文はせめてもの思いでこの外衣で彼女を包んだのだ。

 「可馨さんは敏さんとは違う墓で眠っています。そしてそこは町のすぐ側です。そう考案したのは紅花さんでした」

 宁麗文は受け取りながら静かに唐秀英の話を聞く。

 「紅花さんは男性たちが戻ってきてからは自分の仕事を彼らに託しました。彼女は現在、科挙を合格してうちで働いています」

 唐秀英の言葉に宁麗文は驚いて思わず声を漏らす。予想もしなかったことだった。紅花は自分が可馨を殺してしまった後悔の念に苛まれて、町にいられなくなってしまったのだろうか。だとしたら可哀想なことだ……と考えていたが、唐秀英の声の調子からしてそうではないようだった。

 「もう誰も飢餓に遭わないようにと政策を練っているそうです。四蝗王が消えたのでもう餓蝗は出ないと思うんですが、また別の問題が起こってしまわないようにと。そうそう、あの町なんですが。男性たちが戻ってすぐに再復興しました。元は名前があったんですが、誰も言わなかったので知らなかったんですけど、あの後は紅花さんが町の名前を新たに決めたんです」

 「名前? 何にしたんですか?」

 唐秀英は優しく笑う。

 「『可馨は杏が好きだから、いつでも杏を見られるように杏華坊にした』と。町を出る前まで可馨さんを想っての名付けだと聞きました」

 「杏華坊……」

 宁麗文は三年前の、あの半年もの間を思い出す。たまに誰かの誕生日を祝いに開かれた宴に確かに杏があった。それを一番多く食べていたのが可馨だった。そして宁麗文に内緒でくれたのも杏だった。宁麗文はよく食べる子だと思っていたが、実は好物だったんだと思い返しては微笑む。半年の間だったが、確かに絆というものはあったし、天候に恵まれない時期もあれど楽しい時間を過ごせたのだ。

 宁麗文の目頭が熱くなり、鼻の奥がつんと痛くなる。唐秀英は彼の泣きそうな顔に微笑んで、「いい名前ですよね」と言った。宁麗文は目尻を指でなぞるように拭いながら「いい名前です」と笑った。

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