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護誓散華  作者: くじゃく
晴れの行方
40/227

十三 散歩をする男(2)

 報告書を提出し終えた宁麗文は暇ができたので再び青天郷を歩く。ぼんやりとしたまま歩いて、たまに甘味のある店を見ては買って食べていた。

 (なんで急に杏華坊のことを? あれは唐公子が報告するべきなのに。……でも、三年前からここ最近まではそんな余裕もなかっただろうな。いや、それでもありえないって)

 宁麗文は溜息をついて山査子飴の最後の一欠片を頬張る。ガリゴリと歯で飴を咀嚼して食べ終えた棒を持っていると、向こうから他の住民とは違った服を着ている男が見えた。

 その人物は腰までの黒髪を三つ編みにしていて、少し浅黒い肌を持っている。綺麗に整えられている眉はこの町を楽しげに上げていて、目は宁麗文より細くややつり目だ。耳下から顎にかけての曲線は急でそれに加え鼻筋も細くて高い。眉目秀麗という言葉がよく当てはまるだろう。体躯もよく、きっちりと着こなしている服のお陰でよりよく見える。

 その男の左手には剣を、右手には半分ほどの饅頭を持っていて、歩きながらそれを食べている。あちらこちらに視線を投げ、たまにうら若き少女と目が合えば片目を閉じて返す、ということを繰り返していた。

 (げっ、もしかして……)

 宁麗文はある一種の危機を感じて扇子を取り出そうとしたがそれもやめ、こそこそと道行く人に紛れながら彼に見つからないように通りすぎようとする。しかし、悲しいかな、たまたま横を通った男は宁麗文の棒を持つ手首をしっかりと掴んだ。

 「おっ、宁麗文じゃん! 世長会ぶりだな!」

 はつらつとしたその笑顔で宁麗文に話しかける男に、振り返った宁麗文は頬をぴくぴくと動かした。

 「……どうも、秦公子」

 

 宁麗文と彼との出会いは約一年前。宁雲嵐と低級邪祟の怨詛浄化の依頼に向かっていて、その道中に邪祟を見つけた。

 宁麗文は見つけた邪祟に向かって点火符を投げ、燃えたところで斬りつける。それはかつての肖子涵のやり方だった。それを一度や二度繰り返して札が無くなれば祓邪に霊力を込めて斬り倒していく。宁雲嵐も札を使わずに剣先に霊力を込めて邪祟を斬り倒す。残りの邪祟は次々と森の中へ入っていき、二人はそれを追いかけて浄化した。

 「どうだ、麗文。そっちは終わったか?」

 「終わったよ。それにしても、結構な数だったな」

 宁雲嵐は豪静を鞘に納めて両腕を組みながら近くの木にもたれる。

 「どうにもこうにも、最近増え始めててんてこ舞いなんだから仕方ないだろ。まあ、それのお陰でお前の経験も重なるけどな」

 「はは……」

 宁麗文も祓邪を鞘に納め、塵と化した札を見つめる。それは火で燃え上がって灰になっていた。宁麗文は札をじっと見つめて顔を上げる。

 「そろそろ戻った方がいいんじゃないかな。依頼者も心配してるだろうし」

 宁雲嵐は「そうだな」と木から離れて宁麗文の元へ歩く。その時、彼の背後にゆらりと何かが立ち上がった。

 宁麗文は瞳孔をぎゅっと縮小し、祓邪に手を掛けて宁雲嵐の名前を叫んだ。宁雲嵐も彼の様子に気が付き、後ろを振り返る。まだ残っていた邪祟は鋭い爪を宁雲嵐の目先に振り下ろす!

 ……かと思われたが、その邪祟は腹を剣で貫かれて塵となって消えた。代わりに彼の前に立っているのは灰色の服を着ている浅黒い肌をした男だった。

 宁雲嵐はぽかんと口を開け、そして瞬きをする。男は剣を斜めに地面に向けて「危なかったな!」と笑う。

 「あ、あんた、膳無秦氏ぜんむシンしの息子か」

 男は長い三つ編みを揺らしながら破顔する。

 「うん、そうだよ? ……え、もしかして俺って認知されてなかった?」

 二人は突然現れた膳無秦氏の男にただただ呆然とするしかなく、共に顔を見合わせた。

 その後、御剣で森から抜けて河の近くで休む。改めて宁麗文と宁雲嵐はその男に拱手をした。

 「さっきはありがとう。あんたがいなかったら死んでたよ」

 男は手を振りながら「いいよいいよ」と笑う。そして彼も拱手をした。

 「俺は膳無秦氏の長男、秦麗孝シンリキョウだ。あんたらとこうやって話すのは初めてだな」

 秦麗孝は腕を下ろして剣の柄の先に掌を乗せる。にこにこと笑っているその顔を見た宁麗文と宁雲嵐は隣同士で小声で話した。

 「膳無秦氏ってもっと静かな感じじゃなかった? 息子がこんなのなんて聞いてないんだけど」

 「俺だって聞いてない。あいつ、ずっと真顔じゃなかったか?」

 確かにこの秦麗孝という男は、世長会では何も動くことなく目だけで行動をしていた。髪も三つ編みにしておらず、一つにまとめて高く結上げられていて生真面目な雰囲気だったのだ。

 しかし、今二人の前に立っているこの男はどうか。常ににこにこと笑っていてもの言いも軽い。世長会で見た時とは大違いで、もはや同一人物かと疑わしいほどだ。

 「おい、聞こえてんぞお二人さん。俺に対する悪口はやめてくれ」

 秦麗孝は腕を組んで眉を顰める。どうやら彼は耳がよく、どんな話も筒抜けになるようだ。宁麗文は薄らと笑って「早く依頼者の元に行かないといけないんだよな……」などと心の中で愚痴っている。宁雲嵐が秦麗孝に「そういや、なんで秦公子はここにいるんだ?」と問いを投げた。

 「もしかして他に依頼者が頼んだとかか?」

 これに秦麗孝は片眉を上げる。組んでいた腕を離して今度はおどけるように軽く肘を曲げて掌を上に向けた。

 「いや、ただの散歩」

 「散歩……」

 宁麗文はやや呆れた声で繰り返す。ますます世長会での彼との違いがありすぎて、最早そっくりの他人が喋っているのかと思ってしまいそうだ。

 「そう、散歩。ずーーっと家にいるのも退屈だし、かといって任務を任されても嫌だ。だから至るところに散歩をしながら怨詛浄化をしてるってわけ」

 話を聞いた宁麗文はわけが分からなくなって頭の中を紐解くように必死に整理する。要するに、この秦麗孝という男は何事にも縛られたくなくて、自分でどこかへ行ってついでに怨詛浄化をしているという、なんとも奔放な男なのだ。宁麗文は桂城唐氏の宗主である唐暁明を思い出して眉間を揉んだ。宁雲嵐は宁麗文の肩に肘を掛けて「ふうん」とだけ返す。どうやら宁麗文と同じ感情ではないらしい。

 「……私たちは依頼任務を任され、報告をしにすぐに帰らなくてはなりません。なので秦公子とはここでお別れとなります。兄上を助けていただき、ありがとうございました」

 宁麗文は兄の肘を退かしながら会釈をして踵を返す。きょとんとして、退かされた腕を下ろしてから宁雲嵐も秦麗孝を一目見て会釈をしてから続いた。秦麗孝も目を丸くしながら呆然とその場で置いていかれた。

 宁麗文を追いかける宁雲嵐は彼を通りすぎて一歩前で止まる。彼は宁麗文の顔を見て驚いた。

 「なんて顔してるんだ」

 「だってあの人、世長会の時と全然違うからさ。本当は違う人なんじゃないの?」

 宁麗文は眉を顰め片頬を膨らませる。宁雲嵐は溜息をついて頭を搔いた。

 「あのなあ、麗文。世の中にはああいう奴だっているんだ。皆が皆、一貫して同じ態度なわけないだろ。お前だって俺と青鈴と、父上と母上との態度が違うだろ。そういうことだ」

 「だからって……」

 宁麗文が続きを言いかけると、ガサッと大きく雑草が揺らぐ音が聞こえた。二人してその方向へ身体を向け剣に手を添える。その音は段々と近付き、遂にそこから何かが飛び出した。

 「……は? 猿?」

 宁麗文が気の抜けた声を出す。その猿は弱った鳴き声を発しながらどこかへ向かっていく。唖然とした二人は何かがあったのかとその猿の行き先を見ていくと、また猿のいた雑草からまた音がした。宁麗文はまた来るのかと剣から手を離したその瞬間、彼の顔に飛び込んだのは猿の形をした邪祟だった!

 「うわ!?」

 「麗文!?」

 宁麗文は尻もちをつき、猿の邪祟を右手で掴んで投げ捨てる。邪祟はすぐに雑草に潜り込んでどこかへ消え去った。くちゃくちゃになった髪をそのままにして急いで立ち上がって祓邪を抜く。

 「なんなんだ、あのクソ猿!!」

 宁麗文は目を吊り上げて宁雲嵐の耳が破裂しそうなほどの大声を上げてそのまま後を追う。宁雲嵐は耳を塞いだ後、我に返って宁麗文の後を続いて追った。

 宁麗文は怒りを露わにしながら邪祟を追いかけていき、その距離はまさかの四十里。本来なら息を切らして倒れるまでなのだが、この時の彼は韋駄天走りの如く森の中を駆け抜けている。それに追いつけなくなった宁雲嵐は息を切らし、仕方なく御剣をして宁麗文を捕まえようと豪静を引き抜いた。

 「あのバカ弟! いつか倒れちまうぞ!」

 宁雲嵐を肩を上下に揺らしながら豪静に乗って霊力を込めて木々を通り抜ける。そして空へ飛び出して上から宁麗文を探した。しかし、この森は木々が鬱蒼としていて、中々彼を見つけられない。宁雲嵐は目を皿にしながら探すしかなかった。

 一方その頃、宁麗文は猿の邪祟をしっかりと確認しながら雑草の中を走る。邪祟はかなり奥まで進んでいて、それに伴い雑草の長さも量も多くなって視認ができにくくなる。宁麗文はかなり頭にきながら髪を整えもせずに祓邪を握り締めた。遂に邪祟が立ち止まり、宁麗文も二、三歩を空けて止まる。息を荒らげに荒らげてこめかみに二本の青筋を立てる宁麗文は祓邪をゆっくりと構えた。

 「観念しろ、クソ猿……」

 祓邪に霊力を込めてゆっくりと近付き、ダンッと一歩踏み出して邪祟目掛けて振り下ろす!

 邪祟は瞬く間に光に呑まれ、そして塵へと化した。宁麗文は肩で息をしながら祓邪を鞘に納める。一つ息をすると今度は背後から轟音が鳴った。

 「は?」

 宁麗文が振り返ると、そこには彼の倍ほどの大きい猿の邪祟が走ってくるではないか!

 彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、すぐに我に返って青から白へと顔色を変えながらその場からまた走る。すぐに御剣をすればいい話なのに、彼はまたそれを頭の隅に置いて片時も思い出す余裕がなかった。

 「なんで!! 私!! ばっかり!! こうなるんだよおおおお!?」

 宁麗文は肩からずり落ちる外衣を正さず、そして髪も整えず、全身は汗まみれでとてもいいところ育ちの青年とは言えない姿になっている。しかし、正して整えて汗を拭う余裕がないので仕方がない。宁麗文は度々振り返りながらその猿の邪祟の大きさを見て更に恐れおののく。がむしゃらに走り続けて宁麗文の足に力が入らなくなり、その場で転んでしまった、その瞬間だった。

 鬱蒼として薄暗い森の中で一本の閃光が走る。それはまるで雷のようで、真っ直ぐと大きい猿の邪祟を貫いた!

 同時に顔から転んだ宁麗文はよろよろと膝を立てて振り返る。髪だけでなく、顔も汗でぐちゃぐちゃになっており、これを宁浩然と深緑が見たら卒倒するであろうほどのあられもない姿へとまた変わっていた。そんな彼の後ろにいたのは、宁麗文を背にして地面に着地した秦麗孝だった。

 彼は自分の剣を自由自在に手で回し、残った塵を振ってできた風で払い落として鞘に納める。そして振り返って宁麗文を見た。宁麗文は彼に感謝を述べようと脚に力を入れた、その時だった。

 「宁麗文! お前、すっげえ汚ねえぞ! だはははははははは!!」

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