097 フィンの予感
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フィンの首飾りの鍵を手に入れようと、馬車を動かすことにしたルシードだったが、そこへフィンが慌ててメモ帳にペンを走らせ、ルシードへと見せる。
『待ってくださいぴょん』
もはや恥ずかしいなどと言ってはいられない。フィンの胸には、今も嫌な予感が重くざわめいていたのだ。首飾りの鍵は手に入れたいが、それよりも先に原因を突き止めたかった。
フィンはルシードが気づいて馬車を走らせようとするアルマリーゼを止め、馬車の外へと降りていたワン太とニャン吉も何かあったのかと御者台に前足をかけてフィンの行動を待った。
『私は森の奥に用事があるんですぴょん』
「森の奥?」
『鍵も欲しいですぴょん。でも、森の奥で何かが起こる。そんな予感がするんですぴょん』
「……予感」
「獣人の、特に女性は男性に比べて感受性が高いらしいわ。人間では感知できない何かを、獣人なら察知できるのかもしれないわね」
予感がするというだけで森の奥に? とルシードは思ったが、アルマリーゼがフィンの言葉を補足するように言い、フィンは肯定を示そうとコクコクと頷いた。
「ふーん。それで、その予感ってのは、鍵を手に入れるよりも優先したい、と?」
これにもフィンはコクコクと首を縦に振って肯定する。
「森の……奥」
フィンの焦る様子から急いでいるのだということはわかるが、ルシードたちが今いる森はとてつもなく広い。フィンの言うところの森の奥が最奥なのだとすれば、アニスからレーヴェに戻るよりも、更に時間を取られてしまうことだろう。ただでさえアニスで七日も足止めされているのだ。フィンの希望を叶えたいところではあるが、アルマリーゼは許可しないだろうと、ルシードは予想する。
「それはどの程度の予感なの? たとえば、そうね……一、この森が滅ぶ。二、この国が滅ぶ。三、世界が滅ぶ」
だが、ルシードの予想とは違い、アルマリーゼはフィンの言葉を気にかけるように問いかけた。
気にかけたことにも驚くルシードだが、ちょっと質問が極端すぎないだろうかと思う。それとも、精霊にも獣人と同じように何か感じるものがあるとでも言うのだろうか。ルシードは疑問に思いながらも、フィンの答えを待つ。
アルマリーゼに問われたフィンは少し考え、メモ帳にペンを走らせる。
『三ですぴょん』
自分で書いておきながら、フィンは少し気まずい。胸に宿る予感がどの程度かと聞かれても、正直困るのだ。今日はなんだか嫌な予感がするな、と思えばクローゼットの角に足の小指をぶつけたり、何もないところで転んでしまったりと、とても世界の滅亡とは程遠いものしか感じたことがない。
しかし、三つのうちのどれと聞かれては、フィンは三を選ぶ。生まれた時からこの森で生活するフィンにとって、森が滅ぶとは世界が滅ぶと同意なのだ。森、それすなわち世界である。フィンがこう解釈するのも、あながち間違いではない。
「……はあ。いいわ、付き合ってあげる。ここで世界が滅んでは、私たちの目的も叶わないでしょうしね」
そうと知らないアルマリーゼは、仕方がない、とフィンを森の奥へ運ぶことに決めた。
とはいえ、フィンの信じがたい答えだけで決めたのではない。ウサギ耳の少女の名――フィン・エル・シュレディング。この名を知った時に、アニスから目と鼻の先に建てられた城の名が入っていることに気づいたからだ。特定はできないが、おそらくは王女、もしくは最近王が変わったところから、王の妹あたりではないかとアルマリーゼは見ていた。
当然、獣人に特殊な能力が備わっていることを知っているアルマリーゼは、その獣人、しかもおそらくは王族であるフィンは獣人の中でも強い感受性を持っているはずだと断定し、更には世界の危機を感じ取ったと言うのなら、レナードのもとへ行く前に世界が滅んでしまうかもしれないと思ったのである。
まさかフィンがクローゼットの角に小指をぶつけることや、何もないところで転んだことと同列に考えているなど考えもしないアルマリーゼは、フィンに付き合うという苦渋に満ちた決断をしたのだ。
ちなみにルシードは、フィンの名を知った時、どこかで聞いたことがある名前だな、程度の思いしか持たなかった。
「あなたは道案内だから前に乗ってちょうだい。ルシードとあなたたちは邪魔だから、荷台に行って。方角はこのままでいいのかしら?」
フィンを御者台の隣に乗せ、ルシードとワン太、ニャン吉を荷台へと追いやり、アルマリーゼはどこへ馬車を走らせるかフィンに尋ねる。
集中するためか、目を瞑ってフィンはある方角を指で示す。
方向に間違いはない。今も道なりに続く、馬が向いている方向だった。
「鍵を持ってる男とは方向が違うニャ。いいのかニャ?」
そこへ鼻をスンスンと鳴らしたニャン吉が一言。
「いいのね?」
フィンの横顔から答えはわかりきっていたが、アルマリーゼが短く聞くと、フィンは大きく頷く。
もしかしたら、本当に森に危機が迫っているかもしれないのだ。一生喋れなくなることなど、すでに小さな問題だった。
「飛ばすわよ」
フィンの返事に、アルマリーゼは馬に鞭を入れた。
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結果から言うと、アルマリーゼの操縦はひどいものだった。よく馬が平気だな、とルシードが思うほどにアルマリーゼは馬車を飛ばしたのだ。今まで乗った馬車の優に五倍近い速度。荷台は揺れ、文句を言いたくても舌を噛みそうになり、それも言えない。それでも獣人に育てられただけあって馬も頑丈だったのか、走りに走ったが、やはり限界はあるのだろう。馬の速度が落ちたところで休憩を挟むことになった。立たせたまま休ませるのも悪いと馬を荷台から離し、逃がさないように木にロープでくくりつけると、よほど疲れたのだろう。二頭の馬はすぐに眠ったようだ。
「アルマのおかげで……二重の意味で距離は稼げたみたいだけど、今がどのあたりかはわからないな。地図には森の道なんて載ってないし」
「そうね。ずっと同じ景色に見えなくもないわ」
少し皮肉を込めて言った言葉も、アルマリーゼには届かなかったようだ。ルシードは肩を竦め、目を落としていた地図を冒険者カバンに仕舞う。二重の意味とは、一日かけて走りそうな距離をほんの二時間ほどで移動し、フィンの目的地が近づいたこともあるが、先刻ルシードたちを襲った隻眼の老人が追いかけてきていることだ。それも老人一人ではなく、数が増えている。できれば今の状態で戦闘は避けたいところだ。そこで静寂の能力を使うかとも考えたが、馬車ごと包み込むとなると魔力が足りるかが心配になり、結局は使わないことにした。
「少し近くを見回ってくる。ここは頼んだ。何かあれば、すぐに呼びかけてくれ。跳んで駆けつけるよ」
「ええ、任されたわ」
襲撃者ばかりを心配して魔獣に襲われては堪らないと、ルシードは地面から立ち上がり、それに反応したワン太とニャン吉を静かに手で制す。疲れてしまったのか、ルシードも解毒が初めてということでうまく薬を抜くことができなかったのか、どちらにしろ、休憩に入ってすぐにワン太を枕に、ニャン吉にしがみつくようにしてフィンは寝息を立てていた。その光景を微笑ましく思い、起こしてしまっても悪いと、一人で見回りに出る。
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周囲を警戒するように見て回るルシードだったが、森は静かなものだ。今までのように動物一匹見ないわけでもない。むしろ逆、たくさんの動物が無防備にも眠っている姿を見せ、ルシードが近づいて触れても、起きる気配を見せなかった。それが僥倖とばかりに動物図鑑を手にし、動物たちを楽しむルシード。至福の時間に包まれ、これは魔獣はいないかな、と引き返そうとしたルシードだったが、そこで――異変に気づいた。
「あれ? ……なんだ? 何か……何か違和感が……」
森におかしなところはない。それでもぐるりと周囲を確認する。
「そういえば……肉食も草食も、同じ場所に集まるものなのか? それに、どうしてみんな同じ方角を向いて寝ているんだ?」
動物図鑑に記載されていた説明を読むに、他の動物を襲って肉を食べる動物がいれば、草木だけを食べる動物がいるのだ。それが同じ場所にいる。気になるどころの話ではない。
更には見渡す限りの動物達は、皆が同じ方角を向いて眠っているのだ。まるで目的地があり、向かっている途中で眠ってしまったかのように見えなくもなかった。
そこでルシードは目を魔力で強化し、動物たちが向かったであろう方角を見る。
「近くに何か……いるな。行ってみるしか――」
何者かの姿を直接目で見てとれたわけではない。だが、強化した目で周囲を渦巻く魔力を見たルシードは、原因を探ろうと強く魔力を感じてしまったせいで、ある感情を引き起こす。
「なんだこの感じ……引きこまれるようだ。俺も……」
ルシードは何かに呼ばれるように、ふらふらとした足取りで足を進める。
はたしてこの先にいる者は――――。
◇
「この感じ、何か……」
ルシードと時を同じくして、アルマリーゼも何かを感じ取っていた。
「何かしら? 何か……」
周囲を見渡すも、おかしなところはない。自分の気のせいだったのかと、アルマリーゼは飲んでいたコーヒーカップを口に近づけ――
「――えっ?」
ようとして、違和感に気づいた。
その違和感とは、二匹のレゾナンスウルフたちがフィンと一緒になって眠っていたのだ。
ルシードに魔力を与えられた魔獣が周囲を警戒することなく寝ている。これはおかしな話だ。近くに危険を嗅ぎ取れず、安心して眠っているというのならわかる。しかし、主であるルシードが見回りに出ているというのに、この子たちが主を置いて寝ているという事実――特に『寝ている』という点で、アルマリーゼはある魔獣の存在を思い出す。
「いけない――ルシード!」
あの魔獣はルシードにとって天敵と言っても過言ではない。絶対に会わせてはいけないとアルマリーゼは影に潜り、ルシードの場所へと瞬時に跳んだ。




