096 ウサギの少女
◇
「――ウサギは絶対にピョンって鳴くニャ!」
騒がしい声に、少女は意識を取り戻す。
ウサギはそんなふうに鳴かないよ、と言おうとしたが、声の主は誰だったのか……どうして自分は寝ていたのかを思い出そうとして、自分を薬で眠らせた男の顔を思い出す。
「誰が姉――あら、起きたみたいよ」
少女の動揺が表に出てしまったのだろう。その場にいた一人が、少女が目覚めたことに気づいたようだ。
ビクリと震えたが、それでも少女は状況を確認しようと目を開く。
場所は馬車の荷台。時間は城を抜け出した時と同じ夜。自分を取り囲むようにして人間の少年と、嗅いだこともない不思議な匂いの少女、それと見たこともない真っ黒な犬が二匹。自分を眠らせた獣人の男たちの姿はなかった。
「良かった、ちゃんと薬は抜けたみたいだな。どこか痛いところとかはないか?」
少年の、少女を気遣う優しい声。その声から、もしかして助けられたのだろうかと少女は思うが、それでも少女は少年を警戒する。少年は――人間だ。少女とは違う種族。味方とは限らない。
それでも、少年の問いに答えなければ何をされるかわからないと、無言で首を左右に振った。
「そっか。俺はルシード、こっちがアルマリーゼで、こいつらが……あー、まあ、こいつらの紹介はいいか」
少年――ルシードは名乗り、自分の隣にいるアルマリーゼを紹介したが、何故か二匹の犬については誤魔化すように口を濁し、それを聞いていた犬たちは、まるで知性があるかのように顔を見合わせた。
「覚えてないかな? 君は攫われたみたいなんだけど、ちょうど俺たちが通りかかってね。見過ごせないと助けにきたんだ」
ここで少女は、やはり助けられたのだと知り、コクコクと首を縦に振る。まだ直接会話する初めての人間ということで、怖くて声が出せなかったのだ。
「それで、君を元の場所に返そうと思うんだけど、一人……じゃ無理だよね。送っていきたいのはやまやまなんだけど、ほら、今はちょっと人と獣人が喧嘩になりそうな雰囲気だろ? 俺たちも余計な刺激は与えなくないんだ。喧嘩はしたくないしね」
喧嘩。ルシードは戦争のことを物柔らかに言ったのか、少女が幼いと見て言ったのか、とにかく、これには少女はムッと頬を膨らませた。
自分は幼く見えても一国の姫だ。子ども扱いされたくなくて抗議しようとし――
「……!」
パクパクと口を動かすことしかできなかった。
不思議に思い、少女は自分の喉に手を当てる。すると、首には覚えのない何かがあった。
「……? ……!?」
これは何かと尋ねようとしても声が出ず、少女は焦る。
「……これって、攫われたショックで声が出なくなったのかな?」
「さあ、どうかしら? 私にはそれほどショックを受けているようには見えないけれど……」
耳の良い少女は、ルシードがアルマリーゼに小声で話す声をも拾う。
だが、確かにショックは受けたものの、アルマリーゼの言うように声を失うほどではない。どちらかと言うと、初めての人間との出会いの方が驚いている。
それでも、やはり声を失うほどではないのだ。何かがおかしいと周囲を見渡し、そこにあった木箱を見つける。
何か人間たちと会話できる手段になるものはないかと中を漁り……メモ帳とペンを見つけたところで、同時に鏡を見つけた。手のひらサイズの鏡が二枚。おそらく陽の下で遠くにいる者との連絡手段に使う物だろう。しかし、少女には関係ないと、一枚を手に取ったところで気づく。少女の首には、首輪がつけられていたのだ。
錠のついた首輪。少女の手で壊せる物ではない。ただ、いつか見た魔道具の本で見たことがあった。
つけた者の声を奪う首飾り。どこからどう見ても少女には首輪にしか見えないのだが、作った者が言うのだ。首飾りなのだろう。
少女はセンスがないと思いながらも、ルシードたちに首飾りのせいだと教えようと、手振りで自身の首を何度も指差す。
「ん? なんだろ? 何か言いたそうな……首? 首輪? それのせいで声が出せない?」
すぐに気づいてくれたことに、少女は笑顔で頷く。やはり人間であるルシードにも首飾りではなく、首輪に見えるのだと、二重の意味で。
「つけるだけで声を出せなくなる魔道具か? 外して……ああ、ダメだ。鍵がかかってる。木箱の中に鍵はなかった?」
少女は首を左右に振る。首飾りに気づいた時に鍵も探したが、見つからなかったのだ。
「まいったな……無理矢理壊して大丈夫だと思うか?」
「どうかしらね。私も魔道具には詳しくないから……無理に壊すと、一生声を奪われたままかもしれないわ」
アルマリーゼの声に、少女はギョッとする。一生声が出せなくなるのは嫌だった。
「うーん、お前たちは鍵を見てないか?」
次にルシードは二匹の犬に尋ねたが、犬が理解しているだろうか。少女は考えるが、それでも微かな期待を胸に、犬たちを見る。
「私が襲った男は持ってるように見えなかったワン」
少女は思考が停止する。気のせいだろうか。犬が喋ったように聞こえたのだ。獣化している獣人ではない。獣人であれば、少女はすぐに気づく。
「むー、最初に逃げた男が、腰に布袋をぶら下げてたニャ。もしかしたら、中に鍵が入ってたかもしれないニャ」
「ここにないなら、その男が持っているか……そもそも持って来てないか、だな。最初から攫うつもりだったのかは知らないけど、鍵を失くしては大変だし、両方同じ場所にあっては、すぐに外されてしまうかもしれないしな」
気のせいではなかった。犬が喋り、ルシードは何もおかしくないと言わんばかりに犬と会話している。少女はまだ夢の中にいるのかと頬をつねるが……痛い。夢ではなかった。
「鍵を取りに行くしかないな。男たちがどこから来たのかは知らないし、逃げた男たちの方か。……追えるか?」
「任せるワン!」
「にゃははは、ネズミを追う猫の気分ニャ!」
「……ネズミ?」
「追うのはいいけれど、この馬車は置いて行くの?」
少女を攫った男たちが獣人だと知らないルシードは、ニャン吉がネズミと言った言葉を尋ねようとしたが、そこにアルマリーゼが口を挟んだ。
「え? あ、そうだな。馬は荷台に繋がれたままだし、置いてくってのもかわいそうだな。この子を抱えて走るってのもあれだし……このまま馬車で追うか。道のない森の中に逃げたんだろうけど、走るにしても走りやすい道に戻ってるだろうしな」
「ふふっ、なら、御者は私に任せてもらおうかしら。一度やってみたかったのよ」
「……いいけど、ちゃんと操縦してくれよ」
「当たり前じゃない。私を誰だと思っているのよ」
アルマリーゼという名前は偽名なのかな? いったい、誰なんだろう。少女は疑問に思い、そこで初めて自分が名乗ってもいないことを思い出した。
攫った男たちから助けられ、更に首飾りを外そうとしてくれているのだ。相手が人間だからと、名乗らないままいるのは気が引けた。
そこで少女は先程見つけたメモ帳とペンを取り出して、自分の名前を書き連ねる。
「お、何か言いたいことがあるみたいだな」
ルシードは少女を邪魔しては悪いと思ったのか小声だ。しかし、耳の良い少女には聞こえている。
「やっぱり語尾にピョンって付けるのかな?」
しかし、次に出た言葉に、少女は耳をピクンと動かして手を止めた。
彼はいったい、何を言っているのだろうか……まさか獣人だからといって、語尾に自身の種族を知らせる符号をつけているとでも思っているのだろうか。少女はルシードの言っている意味を模索する。
「楽しみだワン」
「ワクワクするニャ」
それでも、そんな馬鹿なことがあるわけがない、と少女は再びメモ帳にペンを走らせようとしたが、犬たちの語尾に気づき、またしても手が止まる。そういえば、どうしてこの犬たちは語尾に『ワン』とか『ニャ』と付けているのだろうか。特に一匹の犬は、犬にもかかわらず、『ニャ』?
少女はメモ帳からルシードの方をチラリと見ると――何かを期待しているのがはっきりとわかる顔がそこにはあった。
少女に逃げ場はない。彼らは自分を助け、今も助けようとしてくれているのだ。自分に返せる何かがあれば、返したかった。
それでも、問題はある。
……ウサギはなんと鳴くのだろうか? 目覚める際に訂正しようとはしたものの、少女はウサギの鳴き声を知らない。獣人の国は森に囲まれていることもあって、動物は多い。それでも、少女はウサギが鳴いたところを聞いたことがなかったのだ。
いや、ウサギの鳴き声を聞いたことがないということは、このまま語尾に何も付けずにメモ帳を見せるべきだという啓示かもしれないと思い、少女は語尾に何も付けずに見せようと、どこかホッとして決めた。
だが――
『――ウサギは絶対にピョンって鳴くニャ!』
それは天啓か、ただ単に目覚めた時に聞こえた最初の第一声が耳に残っていただけか……少女は覚悟を決めて文字を書き足す。
「あのねぇ……あなたたち――」
アルマリーゼが何か口にしかけたが、少女は恥ずかしさのあまり聞こえていない。顔を真っ赤にしながらも、自身の名を書いたメモをルシードたちに突き出した。
『私の名前はフィン・ロウ・シュレディングですぴょん』
「ピョンニャ! やっぱりピョンだったニャ!」
「――もう好きにして」
少女――フィンが名前を見せたところでニャン吉が大はしゃぎし、アルマリーゼは修正することを諦めたのか、御者台へと移って行った。
「へえ、フィンって言うのか。可愛い名前だね。短い付き合いだとは思うけど、よろしくな」
ルシードは興奮するニャン吉を押さえつつも笑顔でフィンに応え、アルマリーゼがうまく馬車を扱えるのか心配になったのか、あとを追った。
「でも、紙に書いたのに……語尾も付けるものなのかワン?」
最後にワン太が小さく放った言葉は、フィンの耳にだけ届き、フィンはやってしまったと、更に真っ赤になるのだった。




