095 邂逅
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共鳴で報せを受けたルシードは、ほどなくしてレゾナンスウルフたちのもとへと現れ、少女を確認する。
「この子で間違いない。やっぱり獣人だったんだ」
「あら、立派なウサ耳。金のウサギなんて珍しいわね。触り心地もなかなかよ」
唐突に少女の耳を触り始めたアルマリーゼに、ルシードはギョッとする。今は眠っているようだが、少女が目を覚まし、不快に感じたなら大変だ。いつだったか、ルシードが読んだ本であった国際問題という話にまでなってしまうかもしれない。
「ば、馬鹿ッ! 何やってんだ!? そんなことをして、怒られたらどうする!」
「大丈夫よ。薬か何かで眠らされているみたい。あなたも触ってみたら?」
「……え? そ、そう? それじゃあ、ちょっとだけ――」
アルマリーゼの口車に乗せられ、少女の耳に触れようとしたルシードだったが、伸ばした手を止め、馬車の外へと目を向ける。
空に満月が出ていることからも木々に囲まれた森でも十分に明るいが、見通せる範囲の向こう側から微かな気配。ルシードは魔法で灯りを生み出すことはせず、目に魔力を集めて見る。
するとそこには、確かにこちらを見据え、近づく人影があった。
左目に三本の傷痕を残す隻眼の年老いた老人だが、一目で只者でないことだけはわかる。
「ボス、何か近づいてくるみたいだワン」
「この匂い、この子を攫ったやつらの仲間かもしれないニャ」
「アルマ」
「ええ、気づいているわ。かなりの手練れね。向こうもこちらに気づいているみたいよ」
一人ならいざ知らず、この大人数だ。静寂の能力を使っても逃げられはしないだろう。ルシードは荷台から降り、老人を待ち構える。
「ふむ。俺が一番とはな……クロウのやつめ、どこで油を売っているのだ。しかも、一人で出て行っただと? あいつの鼻も狂うことがあるのだな」
老人の言葉はルシードの耳に届いているが、その意味までは通じていない。そこでルシードは、ウサギの少女を攫った一味なのか、尋ねようと口を開きかけ――
「さて――返してもらうぞ、人間」
次に老人から発せられた言葉と殺気によって、少女を攫った人間の仲間なのだと判断した。
「アルマ、その子を連れて安全なところに下がってくれ。お前たちもだ……俺がやる」
ルシードは今も荷台で少女の前に立つアルマリーゼと、ルシードの隣に並んで老人と対峙するワン太、ニャン吉を下がらせる。この二匹では老人に傷一つつけることもできないだろうということは、戦う前から理解していたからだ。
荷台から少女を抱いて降りるアルマリーゼと、アルマリーゼを守るようにして後退する二匹を背中に、ルシードは一歩前に出る。
しかし、ルシードは老人と対峙しても、剣を取り出さない。相手が素手と見て、ルシードも素手のまま、老人を注意深く観察して向き合う。
剣を抜かない理由はある。老人の言葉が気になったからだ。
『人間』、老人はルシードに対して確かに人間と称した。これはおかしな話だ。同じ人間である老人が、ルシードを人間と呼ぶなどと……ルシードはその意味を知るまでは剣を抜くわけにはいかないと、体術で組み伏せることを決めたが、老人の雰囲気は異質。目で捉えることはできないが、テオやベルの纏うものと同じに感じたルシードは、おそらくは仙気術を使っているのだと考え、生身では対抗できないと、全身に魔力を通して老人の出方を見る。
しかし、老人――ゲンも攻めあぐねていた。
武器を持っておらず、ただ棒立ちに見えるルシードに隙はなく、遠目からでもある程度の力量を測れるゲンを持ってしても、力の底が見えなかったのだ。
それでも、ゲンから動かねばならない。相手は姫を攫った人間で、今も姫は人間の一人によって遠ざけられようとしている。ゲンが動かなければ、お互いに動けぬまま、またしても姫を見失うことになってしまいかねない。
そしてゲンは動く。ルシードまで一直線、真正面から近づき、右の拳を振るう。
それは普通の拳ではない。防御に回す力をも右拳に乗せた突き。ただの人間と同じ強度ならば、触れるだけで胴に穴が空く拳だ。それを、ルシードの顔めがけて突き出した。
だが、ルシードもただの人間ではない。ゲンの右拳に込められた、目では見えない力を感じ取り、目を見張るも、それでもゲンの伸びきった腕を見切り、紙一重で躱そうとして――顔に衝撃を受け、背後に飛ぶようにして仰け反った。
そのままの勢いで後方へと両手をついて回転し、ルシードはゲンから距離を取る。
「……今のを躱すか」
「躱してはいないさ」
ルシードは痺れが残る鼻先をなで、危ないところだったと内心で思う。
「ふん。誤魔化せると思ったか……当たりはしたが、威力を殺すために自分でうしろに飛んだな? 本来ならば、今ので勝負は決していたはずだ」
「……バレてたか。けど、今のは完全に躱したと思ったんだけどな」
ルシードはゲンの拳をはっきりと見てとったにもかかわらず、躱せなかった。いや、拳は確かに躱したが、目に見えない何かに殴られてしまったといったところだろう。
これにはルシードも戦い方を変えなければならなくなった。
テーオバルトは前に出る戦いを好まない。相手の剣を見切って躱し、無駄な動作なく反撃に移る。
だが、実際に目で見えない攻撃方法を持つ相手には相性が悪い。躱したと思い、前に出たところで攻撃を受けては、受けるダメージが跳ね上がってしまう。攻撃を受けてもなお、前に出ることができれば違うのだが、先程のゲンの拳を見たルシードは、まともに受けてしまっては起き上がることはできないだろうと結論付け、もはや視覚的にわかる魔法を使うことも辞さない。
それでも、魔法使いだと気づかれない対策があったルシードは、今度はこちらから動こうとして――
「ふっ、貴様のように、一重で躱そうとする者には使える手なんだがな……今ので決まらぬのであれば、分が悪いか」
ゲンの言葉に、冒険者カバンへと伸ばす手を止めた。
「姫様はしばし預けておく。扱いは慎重に行え。もし誤れば……」
命で償ってもらう。そう口にしようとして、ゲンは止めた。姫が無事であろうとなかろうと、どちらにしても命を奪うことに違いはないのだ。姫を丁重に扱ったところで、死んでもらうことには変わりはない。
「……誤れば?」
言葉を切ったゲンが気になったのだろう。問い返してくるルシードに、ゲンはどう口にしたものか迷ったが、結局は無言でルシードから距離を取り――闇の中に姿を消した。
「え? いや、誤れば……何? すごく気になるんだけど」
ルシードは闇に消えたゲンに一人愚痴るが、追うような真似はしない。ここにはウサギの少女がいるのだ。攫われた少女を取り戻すために馬車を追ったというのに、他にも仲間がいるかもしれない中、敵の本命を残して襲撃者を追うわけにもいかない。
「さっすがボスだワン!」
「にゃははは! 一昨日来やがれニャ!」
そこへ空気を読まないレゾナンスウルフの二匹が駆け寄ってきた。アルマリーゼはウサギの少女を抱え、二匹の態度にげんなりとした様子だ。
「考えても仕方がない、か。とにかくその子を起こそう。また荷台に寝かせてくれ」
必要な魔力さえあればできないことはない。ルシードはベルの言葉を思い出し、酒の毒が体の抵抗を上げることによって分解できるならば、薬が相手でもできないはずはないと、少女を馬車の荷台に寝かせるように指示を出す。
次に老人が消えた方角へと注意深く視線を送り、老人との距離を確認してから、この距離ならば見られることはないと少女に触れる。
「おお、ふわふわしてるぞ! この触り心地は癖になりそうだ」
「ボス! 私にも触ってみるワン!」
「ニャ!? こっちの方が触り心地が最高ニャ!」
「……何をやっているのよ。さっさと起こしてあげなさい」
ルシードが触れたのは少女のウサギ耳。レーヴェではベアトリクスの手前、使い魔だという猫に触れなかったのだ。そのこともあって、感慨深い気持ちで少女のウサギ耳の感触を楽しんでいたが、アルマリーゼに注意されて渋々と少女を眠らせている原因である薬を消すため、魔法を使う。
「これでよし、あとは目覚めるのを待つだけだ。しかし……ウサギはなんて鳴くんだ?」
「鳴くって、またその話なの? その話なら……あら、ウサギって鳴くのかしら?」
アルマリーゼはルシードが口走った言葉から、またしても獣人が語尾に何か付けるものだと話しているのだと理解したが、獣人は語尾に何も付けないのだと言い聞かせようとしたところで、ウサギの鳴き声を思い出せず、考え込む。
「ウサギは……いや、俺は実物を見たことすらないからな。図鑑にも絵は載ってても、鳴き声までは書いてないし」
アルマリーゼと一緒になって頭を唸らせて考えるルシード。そこへ――
「ウサギなら、ピョンだと思うワン」
「そうニャ! きっとピョンって鳴くニャ!」
ワン太とニャン吉が、これぞ正解と言わんばかりに堂々と言った。
「へえ、そうなのか」
「え? でも、それって跳ねる音を表しているんじゃないかしら?」
「姉御はわかってないワン」
「ウサギは絶対にピョンって鳴くニャ!」
「誰が姉――あら、起きたみたいよ」
少女はこのあと、自分に訪れる悲劇を知る由もなく、目を覚ます。
◇
ゲンはルシードたちを感じ取れるギリギリの位置まで引くと、大きな溜め息をついた。
「まいったな。ありゃ一人ではきつい。まさかこの距離でこちらには気づいてないとは思うが……応援を待つしかないか」
たった一手……いや、長くを生き、多くの者と死合ったゲンだからこそ、一手合わせただけで、一人では勝てないと悟るには十分だった。
獣人が使うのは狂戦術。人間の使う仙気術とは違い、人間より優れた耐久性と俊敏性を合わせ持った獣人の肉体は、何もせずとも仙気術と同程度以上の速度を持ち、仙気術より若干劣る程度の防御力を持っている。
それすなわち、防御や速度に回す力をも攻撃に回すことができるということである。仙気術が攻撃、防御、速度に均等に力を使うならば、狂戦術は攻撃百、防御零。その名に違わず、狂った戦士だけが使う技だった。
しかも、ただの人間ならば、右拳に集めた力に触れずとも、その先から発せられる力の奔流だけで殺せるまでに、ゲンは鍛え上げている。他の獣人には使えない、ゲンが長年積み上げた武によるものだ。それをルシードは攻撃を受けると同時、うしろに飛んで見せた。初見であるにもかかわらず、なんのダメージも見せずに。
「……あいつよりも強い人間がいるとはな」
ゲンは懐かしむようにして、昔を思い出す。
五十年近い昔の話だ。名をレナードと言ったか……人間の国で英雄などと呼ばれているらしい人間が、友人を捜して獣人の国に現れた時のことだ。初めて会う人間への興味と憎しみから、ゲンは勝負を申し出た。
結局、お互いに力を使い果たし、引き分けに終わったものの、それでも英雄と呼ばれる青年に引けはとらなかったものだ。
「まだ、老いは感じていないのだがな」
七十を超えても現役を貫いているゲンは、この歳になっても衰えたと感じたことはない。それどころか、レナードと戦った時よりも数段力をつけたと自負しているほどである。
それがどうだ。あの時以上の自分を持ってしても、あの人間には勝てないと思わせたのだ。
「いや、あれは人間ではないな。人間の姿をした……化物」
口に出した言葉を一笑に付すことはできない。獣の勘。それでゲンには十分だった。あの時――王と対峙した時のことを思い出す。あの時も勝てないと瞬時に理解したが、それでも勝負を挑まねばならなかった。
だが、今回は違う。死ぬのが惜しいわけではない。人間の少年に挑み、死んでしまえば姫は戻らないのだ。今回は何よりも姫を取り戻すのが先決。ここは四獣将の誰かがやってくるのを待ち、力を合わせて取り戻すしかない。ゲンはルシードを化物と称したが、自分たちの王ほどではない。四獣将のうち、もう一人いればこちらに犠牲を出すことなく勝てるはずだと見切りをつけた。
次に、ゲンはルシードたちを見逃すまいと向けていた意識を、すぐ近くまで来ていた気配へと向ける。
「ん? その様子じゃ、まだ見つかってないのかい? クロウは近くにいないみたいだが……」
「待っていたぞ、ガイ。姫様は……見つけたが、少し問題があってな。誰かが来るのを待っていたところだ。クロウはわからん。鳥目の俺が一番だったってのに、どこで道草を食っているのやら……」
ゲンは現れたガイと合流し、先行していたはずのクロウへの愚痴をこぼす。
「なんだ、ゲンさんが一番乗りだったのかよ。しかし、問題だ? ゲンさんを悩ませる問題を、俺が助けられるかね?」
「ふっ、ただの力仕事だ。ちょっとした化物退治になるがな」
「化物? 強い魔獣でも出たってのかい?」
「それなら話は簡単だったんだがな……。ちょうどいい、サモンも来たようだ」
良いタイミングで来てくれたものだとゲンは思う。ガイとは逆方向から現れたサモンを迎え、これで四獣将が三人。姫を取り戻せると確信する。
「ふむ、気配が足らぬと思えば、クロウ殿がおらんでござるな。姫様を追ってまだ先にいるでござるか?」
「いや、なんでか知らんが、クロウは近くにいないようだ。ホントにどこ行っちまったんだかな」
「拙者の方は静かなものでござったよ。いつもは無駄に数の多いレゾナンスウルフも、今夜は見かけなかったでござる」
「ん? そういや、俺の方も見なかったな。これから退治する化物にでも食われちまったか?」
「……化物、でござるか?」
「ああ、ゲンさんがこれから化物退治に付き合ってくれってさ。どんな化物だったんだい? ……ゲンさん?」
「……聞こえている。少し考え事をな」
ゲンは先に出たクロウが魔獣を仕留めたのだと思って気にしなかったが、よくよく考えてみればおかしな話だ。姫を捜すことを第一に考えれば、クロウもすべての魔獣を始末して移動したとは考えにくい。それに……人間の側にいたレゾナンスウルフが気にかかった。
およそレゾナンスウルフではないと断言できそうなほどに強靭な肉体と、手入れされたかのような毛並み。一目見ただけでこの森で生まれる魔獣の中で、最上位に入ると思わせたほどだ。
「まあ、気にしても仕方がないか」
今夜はおかしなことだらけだ。今更魔獣の一つや二つ、気にするほどのことでもないと、ゲンは言葉の意味を理解できずに、肩を竦める二人に現状を伝えることにした。
「姫様は見つけた。……だが、お一人ではない。人間の手に捕らわれているようだ」
「は!? マジかよ……クロウの鼻もどうかしちまったんじゃねぇのか?」
「そうとは限らんでござるよ。姫様が城を抜け出されたところで、人間に出くわした可能性もあるでござる」
「それもそうか。ま、要は人間ぶっ殺して取り戻せばいいだけの話だろ? さっさと終わらせちまおうぜ」
「待て待て、まだ話は終わっていない。そもそも、お前は場所を知らんだろうが。どこへ行く気だ」
「おっと、そうだった」
今にも姫を取り戻そうと、この場を離れようとしたガイを、ゲンが止める。
「それに、言ったはずだ……化物退治とな。一人で退治できるようなら、わざわざお前たちを待ったりはせん」
「……人間相手に、ゲンさんが?」
「何かの間違い……ではござらぬ様子。信じるしかないでござるか」
ゲンに勝てる者が王以外にいるなどと聞かされても、四獣将を務めるガイとサモンには信じられない。だが、ゲンは冗談を言っているようには見えないのだ。信じるしかなかった。
「俺も受け入れがたいが、事実だ」
「へっ、どの道、姫様が戻らなければ命はないも同然だ。化物退治……付き合ってやるよ」
「拙者も同じにござる。それに、ゲン殿も拙者たちがいれば十分と思う相手なのでござろう?」
「当然だ。二人もいればこちらに被害は……む、動くようだ。こうしてはおれん。行くぞ」
見えないまでもルシードたちの位置を感じ取っていたゲンは、ルシードが動くと見て、気合を入れなおす。ガイとサモンもすでに臨戦態勢だ。
「敵は人間の男女に、魔獣を二匹従えているようだ。男は腰にナイフ、懐にも何か忍ばせているようだったが、それが何かまではわからん。どちらにしろ本命ではないだろう。他にも武器があるはずだ、心してかかれ」
「へっ、獣人にだってできねぇってのに、魔獣を手懐けるようなやつがいるとはな……人間じゃなきゃ、ゆっくり酒でも飲み交わしたいところだったぜ。ま、俺に任せときな。もしもの時は俺が壁になってやる。姫様を奪い返して逃げるか、できるようなら俺ごとやってくれ」
「ふっ、そういう役目は年功序列でござる。若い者を死なせるような真似、拙者にはできんでござるよ。その役目は拙者に任せるでござる」
「……サモン。お前、俺が一番年上だってわかって言ってるだろ」
サモンに文句を言いつつも、ゲンも若者を先に死なせるつもりはない。もしも、が起こった際には自分の命を使う必要がある、とゲンは静かに闘志を燃やした。




